患者憐みの令

 江戸時代の初期、将軍徳川綱吉は「鳥類を銃で撃ってはならない」というお触れを出したた。それ以降、約20年間に渡って次々と新しい法令が追加され、これが世にいう「生類憐みの令」である。この「生類憐みの令」はその名前の法令が出されたのではなく、20年の間に少しずつ増えてゆき、最終的に135個の法令を総称してよんでいる。
 これは将軍徳川綱吉が定めた法律だから誰も手を付けられず、綱吉の死後10日目にやっと廃止された。この生類憐みの令は「人間よりも犬を大切にする」法令とされ、違反した者は厳しく罰っせられ、多数の死者を含む罪人を出し、将軍綱吉は「犬公方」という別名で暗君とされていた。しかしそれは後世の全くの誤解である。
 江戸時代の初期は、戦国の影響が残っており、殺伐とした雰囲気が残っていた。病気などで苦しむ者がいても誰も目を向けず、また牛や馬も役に立たなければ捨てられ、まさに生命軽視の風潮が続いていた。
 牛や馬は年老いたり病気になるとすぐに捨てられ、その肉を食べた野犬が人々に噛み付き人間に伝染したのである。生類憐みの令で犬に関するものが多いのは、犬が野犬化する前に保護しようとした法令であったからで、法令の底辺にあるのは「動物愛護と人命尊重」であった。捨て子の禁止、旅先で病気になっても旅籠が面倒をみることが義務付けられていた。
 多くの人々が誤解しているが、綱吉の出した「生類憐みの令」によって生命を大切にする、相手の立場を尊重する道徳心をもたらした。江戸時代には落語の世界の「熊さん八っつあん」のような「助け合いの精神」があ一般的となったが、その精神を作り上げ、それを現代にまで継続させたのである。生類憐みの令によって処罰された例は約20年間でわずか69件に過ぎす、処罰を受けた3分の2は武士であった。「多数の死者を含む数十万人の罪人」というのは伝説にすぎない。
 日本は法治国家である。法治国家である以上、法を守らなければいけない。しかし法律が絶対かと言えば、もちろんそうではない。その証拠に法律は次々につくられ、不都合な法律は常に改定されるからである。法律が絶対であれば改定など必要ないはずである。
 法律は社会秩序を守るための手段にすぎず、社会秩序より法律が優先されてはいけない。法律のこの根本思想が忘れられ、法律が社会秩序が妨げられる場合がある。それは法律を盾に取り、他を支配しようとするお節介な役人によってなされることが多い。
 法定速度が60km/hの道路を61km/hで走れば法律違反である。しかし警察官が1キロオーバーを取り締まれば警察官に法の正義があってもこれでは社会秩序は成り立たない。また警察官が厳密に法律を適応すれば、警察ファッショと世間が騒ぎだすことになる。警察はこの道理を知っているので、多少の違反は見逃すことになる。
 急病人を乗せた運転手を警察官が速度違反で逮捕したらどうなるであろうか。運転手に罪があったとしても、世間は警察官を非難するであろう。速度違反に目をつぶり、病院へ先導するのが警察官の正しい行為となる。
 このように法律は厳格であっても厳密ではない。人間社会に適するように法律に幅を持たせ、その幅の裁量を役人に持たせているのである。法律の幅をある程度自由にした方が、世の中うまくゆくからである。これが法律と人間社会との関係である。
 一方、人の生命に関わる医療についてはどうであろうか。厚生省は保険医療を盾に医療への言いがかりを強めている。保険医療を厳密に適応させ、規制から外れることを不正行為として犯罪扱いにする。このようにして行政支配が強められている。日本の医療は保険医療だから、国が認めた時代遅れの保険医療に反する治療はすべて法律違反との理屈である。
 しかし医療そのものが法律で縛れるほど単純なものではない。また保険診療が現在の最善医療でないのは誰もが認めていることである。医学の進歩に行政が追いつけない怠慢を、医療側に責任転化している。厚生省はこの現実を知っているのに知らんぷりの悪代官ぶりである。
 学会で発表される治療や検査の多くは、保険医療に違反している。このように保険医療は矛盾に満ち、医療行為のひとつひとつを規定する保険医療が現実にそぐわないことを知っているのに、厚生省は保険医療を守らせようとする。
 保険医療を取り締まる行為は、急病人を乗せた運転手を厳密に罰する警察官と同じ行為である。急病人を病院へ先導する警察官は人情をもつが、厚生省は生命の重さを知らず、人情をも理解していない。法律が人の命より優先すると思っている。もちろん法定速度60km/hの道路を100km/hで走る不埒な者がいれば逮捕は当然であるが、医療においては1キロオーバーや急病人を乗せた自動車を取り締まっているのが実状である。
 これらは法律を武器とする役人の本性からくる行為である。国民は詳細を知らす、国民の監視がないので当然の成り行きである。国民は医療側の人情や正義を知らないから、また自分たちの医療が問題であることを実感していないので、不正行為の医療側が悪いと思い込んでいる。厚生省はこの世情を知っているから、国民の監視を恐れることなく恐怖行政が可能なのである。
 医療側は正しい行為を堂々と主張すべきである。保険組合が保険診療で査定された部分を過剰診療と宣伝するならば、査定は正しい医療行為の踏み倒しの部分であることを、さらに彼らの主張は食い逃げ罪人の三分の理であることを主張すべきである。法の杓子定規が厚生省にあったとしても、社会正義を医療側にある。
 ただお上のやることは間違いないとする単純な国民性があり、医療に関してはマスコミも行政側である。保険医療は医療水準どころか最低レベルなのである。
 もし法律を画一的に適応することが絶対に正しいと言い張るならば、法律を改定することである。徳川綱吉が定めた生類憐れみの令は時代が変わり、「動物愛護と人命尊重」が行き渡り、綱吉の死後十日目に廃止された。今は民主主義の時代だから、不都合な法律を改定する努力が必要である。
 保険医療の法律を変えることは困難なことではない。「保険医療よりも人間の生命を優先する」、この患者憐みの令を冒頭に加えるだけでよい。あるいは一言これを裁判官に言わせればよいのである。