マスク

 数年前から病院では医師、看護師、事務員がマスクをするようになり、マスク美人、マスク・美男子ばかりとなった。ウイルスの大きさ はマスクの目に比べれば、はるかに小さいので魚の網でメダカの侵入を防ぐようなものである。ウイルス感染は、咳やくしゃみなどの飛沫感染なので、症状のある患者が使用すればある程度の効果はあるだろが、健康人がマスクをしてもウイルスの予防にはならない。
 ここに面白い実験結果がある。大部屋に一人 のインフルエンザ患者と10人の健常人を入れ、トランプをさせるのである。それによると感染の予防効果は、定期的に手洗いをさせたグループがダントツに有効で、マスクのグループには予防効果は認められなかった。マスクは、汚染した手で鼻や口を触る機会を減らし、のどの乾燥を抑える効果はあるが、感染予防は可能性だけで、健康食品と同じ迷信である。
 100年以上前、ウィーン総合病院の産科医センメルヴェイスが手洗いで分娩時の敗血症が1/100に減 少したことを報告した。しかし医師の重鎮に睨まれ、病院をクビになり、精神病院に入れられ、彼の主張が認められたのは死から10年目であった。センメルヴェ イスは「感染予防の父」とされているが、既成概念をくつがえすのはこれほど困難なのである。
 マスクは顔の表情を隠し、安心感をもたらす別効果が ある。そのためマスクを手放せないマスク依存症が増えている。ありのままの自分を受け入れられない隠れ引きこもりである。感情の変化は口元に表れ、豊かな 表情は安心をもたらすが、マスクやサングラスは相手への壁を作り、ヒトは匿名化されたロボットと同じになる。
 かつての厚生省は、医療をサービス業に分類したが、デパートの店員、飲み屋の店員などのサービス業でマスクをしているのは病院職員だけである。しかし想像してもらいたい。マスクをしたアナウンサーやホステスがいるだろうか。マスクをした漫才師や落語家がいるだろうか。テレビに映るのは、犯罪者が連行される時だけである。
  かつての震災時、天皇陛下が被災地にお見舞いに行かれた際、陛下は膝をおつきになり、慰めの言葉で接しているのに、被災者はマスクを外さずに座ったままで あった。さらに避難民が両陛下見送る際、美智子妃殿下は「ガッツ・ポーズ」を避難民に送った。それは「がんばっ て、負けないで、一緒に乗り切りましょう」と心からの励ましの気持ちだった。この美しい心までも、マスクは日本人から奪おうとしている。そのように思うのは私だけであろうか。