ヘンリー・ダーガー

 ヘンリー・ダーガーは世界一長い小説「非現実の王国で」の作者である。この物語は15,000ページ以上の大作で、長過ぎるため読破した者は皆無で、テキスト全文が刊行されたことはない。
 誰に見せるわけでもなく、19歳から81歳まで書き続けた。また挿絵の少女には小さなペニスが描かれており、これはダーガーが女性の裸を見たことがなかったためで、生涯、童貞だった。
 1892年にダーガーはシカゴで生まれ、4歳時に母と死別。妹は里子にだされ、8歳時には父親が体調を崩したため救貧院に入った。同級生からは「クレイジー」と呼ばれいじめられた。12歳になると精神薄弱児収容施設に移されたが、虐待や陰湿な体罰によるスキャンダルが多発する施設であった。
 そのためダーガーはこの施設を脱走し、260kmを歩いてシカゴに戻り、聖ジョゼフ病院の清掃員として働き始めた。ダーガーは孤独の中に生き、職場の病院と教会のミサに通う以外はアパートに引き籠っていた。
 人とは全くコミュニケーションを取らず、いつも浮浪者のような汚い格好をした孤独な変わり者だった。体力の衰えから作業員の仕事が難しくなり、厨房での野菜の皮むきに従事、71歳からは病気のために救貧院に入る。
 アパートの大家ネイサン・ラーナーに持ち物の処分を問われ、ダーガーは物語の存在を明かさず「全部、捨ててくれ」と答え、ダーガーは81歳で亡くなった。
 貧しい老人の孤独な死。本来ならば歴史から忘れ去られていたであろう。しかしダーガーは自分の部屋に「自分だけの王国」を築いていたのである。
 大家がダーガーの死後に、雑然としたダーガーの部屋に入ると、生涯孤独に暮らしてきたダーガーの部屋から「非現実の王国で」と名づけられた長編小説とその挿絵を発見したのである。その物語は「グランデリニア」とよばれ、奴隷制を持つ軍事国家と、「アビエニア」とよばれるカトリック国家との戦争が描かれていた。アビエニアを率いる7人の少女戦士が主人公で、彼女たちは何度も敵に捕まるが勇気と機転で抜け出し最後には勝利する。
 ダーガーは持ち物の焼却処分を依頼したのだから、それらが作品という概念はなかった。しかし大家は残された作品を見て、その芸術性を直感したのである。もし大家がアーティストでなかったら、それらの作品は無造作に捨てられていただろう。
 小説「非現実の王国で」にはストーリーの場面を描いた挿絵が描かれていた。壮大な物語に描かれていたのは大勢の少女たちである。ある時は陽気にはしゃぎ、ある時は兵士と戦い、またある時は翼を持った幻想的な生き物に助けられる少女たちの絵であった。主人公の少女たちはしばしば裸で描かれ、残虐な拷問や殺戮を受けても無邪気で楽しそうに描かれ、まさにメルヘンの世界である。 彼の姓は「ダージャー」と日本語表記されるが、実際のところ「Darger」の正しい発音は判明していない。会話を交わしたことのある数少ない隣人も、それぞれ異なった発音で彼を呼んでいたからである。彼の作品(物語・ 自伝・絵画)については、映画「非現実の王国で ヘンリー・ダーガーの謎」で知ることができる。
 ヘンリー・ダーガーの名前を知る者は読者の中にはいないであろう。しかし彼の絵は必ずどこかで見ているはずである。伝統的な訓練を受ず、名声や富を目指すでもなく、既成の芸術の流派や傾向にとらわれない芸術家として彼は高く評価され、現在は博物館でテキスト原文と共に挿絵が公開されている。
 日本では老人の孤独死が話題になっているが、ダーガーにとって彼の小説、彼の絵こそが彼の世界だった。もちろん生前のダーガーは、1度も芸術家を意識したことはなかった。
 孤独死という言葉が流行しているが、誰もが生きる世界を持っている。人間は生まれるときも死ぬときも一人、死ねば同じ骸骨になるだけである。つまり孤独死は受けを狙った造語と考えるがどうであろうか。