ターナー

ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー
(1775年4月23日 - 1851年12月19日)
 ターナーはイギリスのロマン主義の画家である。
 1775年、ロンドンのコヴェント・ガーデンに理髪の子として生まれる。母親は精神病を患っていて、息子の世話を十分にすることができなかった。ターナーは学校教育も受けずに少年時代を過ごす。また母親の病気から女性恐怖症となり、自分も精神病を発症する可能性を心配心配して、生涯を独身で過ごした。

 13歳の時、風景画家トーマス・マートンに1年間弟子入りして絵画の基礎を学んだ。当時の「風景画家」の仕事は、特定の場所の風景を念入りに再現することであった。ターナーは次にロイヤル・アカデミー美術学校に入学。1797年には油彩画を初出品し、24歳の若さでロイヤル・アカデミー準会員となり、1802年に27歳で正会員になっている。

 初期のターナーはアカデミー受けのする写実的な風景画が主で、有力なパトロンに恵まれ画家として順調に歩み続けた。「カレーの桟橋」(1803年)、「アルプスを越えるハンニバルとその軍勢」(1812年)などはこの時期の作品でロマン主義的な光や雲に劇的な表現がみられる。
 1819年、44歳の時のイタリア旅行が転機となった。ルネサンス以来、長らく西洋美術の中心地であったイタリアへ行くことは、北方の国の画家たちにとってのあこがれでありターナーも同様であった。イタリアの明るい陽光と色彩に魅せられ、特にヴェネツィアの街をこよなく愛し、何度もこの街を訪れた。イタリア旅行後の作品は、大気と光の効果を追求することに主眼がおかれ、そのため描かれた事物の形態があいまいで抽象的になる。1842年に制作された「吹雪-港の沖合の蒸気船」では蒸気船はぼんやりとした塊に過ぎず、巨大な波、水しぶき、吹雪といった自然の巨大なエネルギーを描き出している。印象派を30年も先取りした先駆的な作品であったが、発表当時は石鹸水と水漆喰で描かれたなどと酷評された。この作品を制作するためにジョゼフはマストに4時間も縛りつけ、嵐を観察したという逸話が残っている。
 生涯を通じて画風の転換が5回あった。第一期は主題を中心に描いた風景画の時代、第二期は風景の中心に広い空間が開けてくる時代、第三期は開けた空間に光が現れた時代、第四期はその光の中に何らかの姿が描かれた時代、そして最後は風景全体が光で満たされた時代である。
 ターナーが好んで使用したのは黄色で、彼の絵具箱では色の大半が黄色系統の色で占められていた。逆に嫌いな色は緑色で、緑を極力使わないようにしていた。ターナーは知人に対して「木を描かずに済めばありがたい」と語っている。また別の知人からヤシの木を黄色く描いているのを注意された激しく動揺した。
 ターナーは手元にあった主要作品をすべて国家に遺贈したため、彼の作品の多くはロンドンのナショナル・ギャラリーやテート・ギャラリーで見ることができる。

 またターナー自身の自画像はかなり美化されたものとされている。1841年に学友チャールズによって描かれたターナーの肖像画は、前述の自画像とは風貌が著しく異なっている。

海の漁師たち
1796年
テート・ブリテン

ミノタウルス号の難破
1810年頃、
カルースト・グルベンキアン博物館

難破船
1805年 78×122cm | 油彩・画布 |
テート・ギャラリー(ロンドン)

 本作は連作海景図作品群の中の1点で、ターナーは「この版画が私を画家にしてくれた」と云うほど海景図作品の源流となっている。
 うねるような海流の躍動的表現が鮮明であるが、自然の驚異に対して為す術がない人間の姿に注目すべきである。本作品の前面に描かれているのは、荒れ狂う海で難破した大型船から脱出した生存者たちと彼らが乗る小船ある。船ごと飲み込もうとする高波に、さらわれないように必死にボートにしがみつく者の姿は、ドラマチックな印象を与えるのみならず、自然の驚異をより強調することになる。この恐怖と不安を煽る表現が、ターナーのロマン主義的傾向の最も大きな特徴である。

レイビー城、ダーリントン伯爵の邸宅
1817年

ウォルターズ美術館

トラファルガーの戦い

1822年

ロンドン国立海事博物館

青白い馬にのった死
1825年頃
テート・ブリテン

解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号
1838年 91×122cm | 油彩・画布 |
ロンドン・ナショナル・ギャラリー

 船上からこの光景を目撃したターナーが心に残る風景を描いた作品である。燃えるような太陽の輝きは、自然の強さや雄大さを表現している。本作が描かれる前年にターナーはロイヤル・アカデミーの教授職を辞している。栄光の日々の終焉を、使い古され戦艦テメレール号が破棄されることに重ねている。

雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道
1844年  90.8×121.9cm | 油彩・画布 |

ロンドン・ナショナル・ギャラリー

 グレート・ウェスタン鉄道の蒸気機関車が、雨の中で蒸気を上げ、テムズ川に架かるメイドンヘッド橋の上を渡るところを描いた作品である。本作には画家の近代性への強い関心が示されている。迫り来る機関車の前には野うさぎが必死に横切る姿が描かれていて、この野うさぎの描写によってターナーは速度を表現している。また画面左部分のテムズ川には一艘の小船が描かれており、野うさぎと共にこれらにも画家の近代化への意図が込められている。本作の色彩描写や筆触はターナーの晩年の特徴である。アカデミックな手法とは一線を画す独特の色彩や即興的で速筆的な筆さばきが存分に堪能することができる。また白色の地塗りを活かして色調を高めている。

金 枝
テート・ブリテン