ビゼー「ファランドール」

友に受け継がれたメロディー

コンサートでも人気の曲「ファランドール」

実は友の存在がなければこの世に誕生しなかった!?

 

劇付随音楽はドーデすか?

「ファランドール」はもともとは「アルルの女」という劇の中でお芝居を盛り上げるために付けられる音楽「劇付随音楽」として作られた曲です。フランスの作曲家ビゼーは「アルルの女」に全27曲もの劇付随音楽を書き上げました。「アルルの女」を書いたのはベストセラー「風車小屋だより」でその名をはせたフランスの文豪ドーデ。当時33歳だったビゼーは劇場の支配人からこの戯曲の上演に向けて劇付随音楽を書くように依頼されます。本を読んだビゼーは緻密に描写されたドーデの世界に大きく感銘を受け、短期間のうちに次々と音楽を作り上げていきました。また、ビゼーは物語の舞台であるプロバンス地方を過去に訪れたことがあり、その経験も生かし、地域色豊かな音楽に仕立て上げました。戯曲の初演は芳しくありませんでしたが、ビゼーが作った劇付随音楽はとても高い評価を得、作曲家として大きくその名をはせることとなったのです。

 

受け継いだ音楽のバトン

1837年生まれの作曲家ギロー。パリ音楽院で学び、ビゼーより2年遅れて作曲家の登竜門・ローマ賞を受賞します。後に教師として多くの作曲家を育て、フランス音楽の発展に貢献した人物です。ビゼーとギローは留学先のローマで意気投合すると、一ヶ月もの間イタリア国内を共に旅行し、その後も親友として交流は続きました。ビゼーは30代を過ぎた頃から持病の扁桃腺の炎症が悪化し辛い日々を送りますが、そんな彼のもとにいつもギローの姿がありました。時にギローはビゼーにピアノを弾いて聴かせ、彼を勇気づけました。しかし、そんな友との時間も長くは続かず、ビゼーは心臓発作を起こし、36歳という若さで帰らぬ人となります。親友の突然の死に悲しみにくれたギローはある行動に出ます。ビゼーが生前書いた「アルルの女」の27曲からなる劇付随音楽に注目し、組曲を書き始めたのです。それは、生前ビゼーが残した組曲とは全く異なる「第2の組曲」でした。その中に私たちが今聞く「ファランドール」があるのです

 

ギローはつなぎ職人

「ファランドール」は「アルルの女」の舞台となるプロバンス地方の民謡のメロディーが2つ引用されています。一つは重厚感あふれる「3人の王の行列」、一方で軽やかにリズムを刻む「馬のダンス」。この2つのメロディーが順番に登場しますが、最後は2つのメロディーが合体してフィナーレを迎えます。これらはビゼーが書いた劇付随音楽でも登場します。では、ビゼー死後に親友ギローがまとめた組曲「ファランドール」はビゼーが書いた音楽と何が違うのか。それは2つの合体の前の「つなぎ」。「3人の王の行列」は短調で、「馬のダンス」は長調ですが、最後に合体するときには長調になっています。ビゼーの劇付随音楽ではいきなり合体させていますが、趣の異なる長調と短調のメロディーをいきなり合体させるのは不自然さを伴います。ギローは純粋に音楽として楽しめるよう組曲に編曲する際に、この合体の前に「つなぎ」を作り、互いの民謡のメロディーが寄り添うように調やテンポを一方の民謡に合わせるなどして、スムーズに最後の合体を迎えられるようにしたのです。