ラフマニノフ「パガニーニの主題による狂詩曲」

祖国へ届け こころの音楽

 セルゲイ・ラフマニノフ(1873-1943)が晩年に作った名曲のひとつ

「パガニーニの主題による狂詩曲」。

恐らく誰もが、CMや映画で一度は耳にしたことがあるメロディーだ。

実はこの曲、その名の通り、天才バイオリニスト、パガニーニが作った

あるメロディーが基になっている。歴代の偉大な作曲家たちも挑んだ

有名なメロディーに、なぜラフマニノフはあえて挑んだのか。

そこにはある驚きのアイデアがあった!

 

先人を超える名アイデア!

ラフマニノフが目を付けたのは、パガニーニが作曲した、バイオリンのための「24の奇想曲」の第24番目にあたるメロディーだ。ラフマニノフは、このメロディーを主題に、24種類の変奏からなる、ピアノと管弦楽のための大曲を作り上げた。そのうちの1つ、18番目に当たる変奏が、この曲の一番有名なパートとして、現在も頻繁にメディアで使用されている。そんな超有名なメロディーであるが、実は、楽譜を反行させる(楽譜上の音符の上下の動きを鏡映しに反転させること)という非常にシンプルなアイデアから生まれていた。このアイデアを思いついた時の感情をラフマニノフは、興奮を交えて友人に手紙で伝えている。

「シューマンもブラームスも思い浮かばなかったすごいアイデアが浮かんだ!この変奏ひとつがこの曲全体を救ってくれるぞ!」この発見に自信をもったラフマニノフは、一気に壮大な狂詩曲を書き上げたのだ。

 

よみがえった音楽の泉

ロシア革命で国内情勢が悪化したことを期に、アメリカへと渡ったラフマニノフ。

ビジネスの国・アメリカでは過酷なスケジュールで埋められた演奏会をこなし、一気に人気ピアニストへと上り詰めました。しかし、その一方で作曲家活動は亡命後8年に渡って途絶えていました。

創作の源だったロシアの大地を離れたことで、ラフマニノフは作曲の意欲を失っていたのです。

ラフマニノフは音楽には人の心を動かし、豊かにする力だあると信じていました。

そして、その音楽を生み出すには、自分自身の心が何かに動かされなければいけないことも知っていました。

転機が訪れたのは1931年。休暇で訪れたスイスで、故郷の風景に似た土地を見つけたのです。

そして、その場所に別荘を建て、より故郷の景色に似せる為、ロシアを彷彿とさせる白樺の木を植えました。

そこで、ラフマニノフは望郷の思いを抱え続けてた心を癒し、あの名曲「パガニーニの主題による狂詩曲」の作曲に取り掛かったのでした。

 

隠れ悪魔をさがせ!

ラフマニノフは、原曲の作曲者であるパガニーニの“悪魔に魂を売って超絶技巧を手に入れた"という伝説を曲の中でも表現したという。クラシック音楽で“死"や“悪魔"の象徴として多く引用されてきた聖歌「怒りの日」の旋律の一部を曲中に忍ばせているのだという。つまり、この曲ではパガニーニの作った旋律を“パガニーニ自身"に見立て、「怒りの日」の旋律を“悪魔"に見立て、2つの旋律が二重に変奏されていく仕組みになっているのだ。美濃さんが楽しく解説する。