バッハ「イタリア協奏曲」

古きをたずね新しきを知る

チェンバロで独奏する「イタリア協奏曲」。

「協奏曲」と名付けられているのにオーケストラが登場するわけでもないのは いったいナゼ!?

“音楽の父”バッハがイタリアに込めた思いにも迫ります!

 

「協奏曲」なのに ひとり!?

本来、「協奏曲」といえば、独奏楽器とオーケストラが共演する演奏形態のこと。ソリストの技巧とオーケストラの迫力ある響きが味わえ、基本的には3つの楽章で構成される大曲です。しかしバッハの「イタリア協奏曲」は、その「協奏曲」と銘打ちながらチェンバロ1台で演奏される独奏曲です。1人の演奏者が、時にはオーケストラのようにダイナミックな響きを奏で、またある時にはソリストのように技巧的な旋律部分を披露していきます。こんな一人二役が演じられるのは、「2段の鍵盤をもつチェンバロ」を駆使するからこそ。2段鍵盤のチェンバロは、上段の鍵盤=繊細でシンプルな響き、下段の鍵盤=厚みのある響きが奏でられるという特徴があります。「イタリア協奏曲」はこの楽器の特性を生かして、オーケストラとソロの部分を一人で弾き分けていくのです。「協奏曲」の基本にのっとって急―緩―急の3つの楽章で構成される「イタリア協奏曲」は、その華やかな曲調と一人二役の面白さによって、発表直後から大人気の作品となりました。

 

あこがれのスタイルを 自分のモノに

バッハが生まれた17世紀、芸術をリードする国といえばイタリアでした。ルネサンスやバロックの芸術を興し、「協奏曲」の形式を創りだしたのもイタリアの作曲家たち。芸術面で後れをとるドイツの人々にとって、イタリアの音楽は羨望の対象だったといえるでしょう。1685年、ドイツのアイゼナハに生まれたバッハにとっても、イタリアの音楽は憧れの存在でした。1710年代、20代半ばのバッハは、イタリアの「協奏曲」を学ぶ格好の機会を得ます。この時バッハが仕えていた音楽好きのエルンスト公子が、ヴィヴァルディやコレッリなどイタリアの作曲家による協奏曲の楽譜をバッハに渡し、「チェンバロ1台で弾ける協奏曲を作って!」と依頼したのです。求めに応じたバッハはこれらの協奏曲を次々とチェンバロ作品に編曲していきました。こうしてイタリアの協奏曲のスタイルや本質を会得していったのです。それから20年ほどの歳月が流れた1730年ころ。作曲家として円熟期を迎えた40代半ばのバッハはふたたび「チェンバロ1台の協奏曲」を書こうと考えます。しかし今度は編曲ではなく、オリジナルの旋律で。こうして生まれたのが「イタリア協奏曲」でした。この曲は、若い世代の作曲家の間でも「単一楽器のための協奏曲の完璧な典範」と絶賛され、バッハの音楽に対する評価を新たにさせるきっかけにもなりました。

 

チェンバロ 音色のメカニズム

イタリアうまれの「協奏曲」の響きを1台のチェンバロで表現するため、バッハは2段チェンバロの特徴を存分に生かして「イタリア協奏曲」を書いています。たとえば、主旋律を受け持つソロパートは、厚みのある響きの「下段鍵盤」で演奏。逆に、オーケストラによる伴奏のような音型を奏でる場面では、繊細な響きの「上段鍵盤」を使用。また、非常に似た旋律をまずは下段鍵盤で弾いたあと、上段鍵盤に手を移して弾いてみるとエコーのようにも聞こえます。このように2種類の鍵盤による響きの違いを使い分け、「オーケストラ」と「ソリスト」の一人二役を実現させていくのが「イタリア協奏曲」の面白さです。スタジオにはチェンバロ奏者の鈴木優人さんをお迎えし、普段はなかなか覗き込むことのできないチェンバロ内部の構造をレクチャーしてもらいながら、響きのメカニズムにも迫りました。