ストラヴィンスキー「火の鳥」

飛べ!不死鳥のように

2014年ソチオリンピック開会式のクライマックス、

聖火点灯に使用された音楽、それが「火の鳥」。

ロシアの大作曲家ストラヴィンスキーの出世作であり代表作です。

激動の時代を不死鳥のように生き抜いた作曲家の物語です。

 

パリで羽ばたいた火の鳥

ストラヴィンスキー作曲「火の鳥」は、ロシアの民話が元になったバレエの為の音楽です。作曲当時、ストラヴィンスキーは27歳。まだ無名の作曲家でした。そんな彼に作曲を依頼したのは、天才興行師ディアギレフ。伝説のバレエ団“バレエ・リュス”を結成した人物です。当時、ディアギレフのもとには、ロシアの一流芸術家が集まっていました。「火の鳥」の作曲を依頼されたストラヴィンスキーは、「自分にできるのか」と不安を抱えながらも、一流芸術家の仲間入りを果たす絶好のチャンスと思い、作曲に取り組みました。1910年にバレエ「火の鳥」はパリで初演され、大成功を収めました。若きストラヴィンスキーは一夜にして時代の寵児に!ロシアの才能あふれる若手作曲家として大きく羽ばたいたのです。

 

何度でも生まれ変わる

「火の鳥」の成功ののち、一流の作曲家の仲間入りを果たしたストラヴィンスキー。しかし、ディアギレフはギャラの支払いにルーズで、十分な収入はありませんでした。さらに第1次世界大戦とロシア革命が追い打ちをかけます。お金に困ったストラヴィンスキーは、ヒット作「火の鳥」を編曲。オーケストラだけで手軽に演奏できるように6曲の組曲にしました。演奏回数が増えれば著作権料が手に入ります。「火の鳥」は生まれ変わってストラヴィンスキーを助けたのです。やがて時代は第2次世界大戦へ。戦禍を逃れアメリカに渡ったストラヴィンスキーにまたお金の問題が起こります。大作曲家であっても亡命ロシア人であるがために、著作権は保護されていなかったのです。そこで著作権を得るために、再び「火の鳥」を編曲。作曲から30年以上たっても、「火の鳥」は生まれ変わりストラヴィンスキーを救ったのです。ストラヴィンスキーは、不死鳥のごとく何度も生まれ変わった「火の鳥」とともに、激動の時代を生き抜いたのです。

 

音階が生み出す善と悪

「火の鳥」の物語は、善と悪がはっきりと分かれた物語。音楽でも善と悪が書き分けられています。善の音楽=「終曲」は、たった5つの音だけで出来たメロディーが、11回繰り返れます。一方、悪の音楽=「カッチェイ王の魔の踊り」もまた、5つの音だけで印象的に曲は始まります。同じように5つの音だけで出来た曲の善と悪を分けるのは、たった2つの音の違いだけなのです。