ウェーバー「狩人の合唱」

ドイツ人の心を射止めた男

ドイツを代表する合唱曲で、男声合唱の名曲として世界中で親しまれています。この曲は、歌劇「魔弾の射手」の中の1曲で、発表されるやいなや空前絶後の大ヒットとなり、作曲したウェーバーは一躍、時代の英雄となりました。一体なぜそれほどまでに人々の心をとらえたのか?

大ヒットの方程式をひも解きます。

 

ドイツオペラの金字塔!

歌劇「魔弾の射手」が発表された19世紀初頭のヨーロッパでは、どこの劇場でもイタリアオペラばかりが上演されていました。そんな中登場したウェーバーの歌劇「魔弾の射手」は、ドイツを舞台とした、ドイツ人による、ドイツ語を使った、ドイツ人のための初めてのオペラでした。歌劇「魔弾の射手」は、ドイツの人々に古くから読まれてきた 民話が元になっています。

 

舞台は深い森―。主人公・狩人のマックスは、明日の射撃会で失敗すれば、恋人アガーテとの結婚は許されません。それにつけこんだ狩人仲間のカスパールは、百発百中の「魔弾」が手に入るとマックスをそそのかします。美しいアガーテを悪魔のいけにえにしようと企てていたのです。深夜、悪魔が引き起こす奇怪な現象の中、ついに魔弾を手に入れたマックス。しかしそれは、最後の一発だけは、悪魔の意のままになる恐ろしい弾だったのです。射撃会の日。高らかに歌われる「狩人の合唱」。ついにマックスは最後の一発を撃ちました。ズドーン!果たして…。

 

目覚めよ! ドイツ魂

ウェーバーは物心付く前から、父の率いる巡業歌劇団で各地を巡り、民衆の前で音楽や芝居を上演してまわっていました。父は、息子を音楽家に育てようと巡業先でも音楽を習わせ基礎をたたきこみました。その才能は早くから開化し、13歳にしてオペラを作曲、17歳で地方の劇場の楽長に就任。26歳の時には、プラハの名門歌劇場で指揮者となり、傾きかけていた歌劇場を見事に復興させました。そして、31歳の若さで、ヨーロッパ屈指のオペラハウス、ドレスデン歌劇場の音楽監督に抜擢されます。しかし、当時のドイツは、ナポレオン率いるフランスをはじめ、周辺国からの脅威にさらされ、政治的にも文化的にも遅れをとっていました。また、一つの民族ではあるけれど、あまたの貴族が群雄割拠し、統一された国家の形をなしていませんでした。ウェーバーは、巡業歌劇団の経験から、ドイツの民衆の気持ちというのを肌で直接感じていました。「なんとしてもドイツの民族の誇りというものを音楽で取り戻したい」と考えていたのです。そして満を持して発表したのが歌劇「魔弾の射手」だったのです。上演されるやいなや、人々を熱狂の渦に巻き込み、チケットは常に完売。1年半の間に50回も上演されるほどの人気で、オペラ史上まれに見る大ヒットとなりました。

 

その名声は海を越えてとどろき、イギリスを代表するロイヤル・オペラハウスから新作オペラを依頼されるまでになるのです。ウェーバー39歳、いよいよこれからというときでした…。ロンドンでの公演を終え、帰国する前日、ウェーバーはこの世を去ります。後に、ドイツの大作曲家・ワーグナーの尽力で、遺骨は祖国に帰るのですが、ウェーバーの遺骨をのせた船がエルベ川をゆくと、行き交う船はすべて忌旗を掲げて偉大な作曲家を迎えたと言います。

 

大ヒットの方程式

ドイツ民族の心を射とめたウェーバー。その大ヒットの方程式を作曲家・加羽沢 美濃が実演解説します。狩人の合唱」はドイツ民謡を意識して作られています。ドイツ民謡と言えば、日本では「ぶんぶんぶん」(ボヘミア民謡との説もあります)、「森の音楽家」などがおなじみです。これらと「狩人の合唱」には共通点がありました。

共通点 その1

「狩人の合唱」は主旋律のほとんどがドレミファソの5音でできてる。(一か所例外があります) 

共通点 その2

二つの和音で伴奏ができてしまう。いたってシンプル。

そう、ウェーバーはわざとシンプルさを追求したのです。それこそが、大ヒットの方程式。