アルカンジェロ・コレッリ「フォリア」

名旋律 秘められた思い

ヨーロッパで大流行した音楽形式「フォリア」。

多くの作曲家が「フォリア」を取り入れた音楽を作る中、後の世に多大な影響を与えた傑作を生み出したのが、「ローマ最高のバイオリニスト」と呼ばれた、アルカンジェロ・コレッリでした。

数百年に渡って人々に愛されてきた「フォリア」の歴史を辿り、名曲を生み出した男の思いに迫ります。

 

ヨーロッパを席巻! フォリア旋風

「フォリア」の起源は、15世紀後半のポルトガルまで遡ると言われています。元々は庶民の間で親しまれた踊りの伴奏曲で、イベリア半島の各地で演奏されていました。17世紀にフランスに渡った「フォリア」は、宮廷舞踊の為の音楽として、洗練された音楽形式に生まれ変わりました。その後、ヨーロッパ各地に広まり、数えきれないほどカバー曲が作られました。その中でも最も有名になったのが、イタリアのバイオリニスト、アルカンジェロ・コレッリの「フォリア」です。それまでの派手なアレンジが施されたカバー曲と違い、美しい旋律を際立たせたコレッリの「フォリア」は演奏者に好まれ、楽譜は異例のヒットを飛ばしました。その後、有名な作曲家もそのフレーズを曲に取り入れ、コレッリの作品が「フォリア」の代名詞になったのです。

 

すべては バイオリンのために…

バイオリンの名器・ストラディバリウスが誕生した17世紀のイタリア。同時代で最も活躍していたバイオリニストがアルカンジェロ・コレッリです。彼は20代半ばで「ローマ最高のバイオリニスト」の称号を手にしていたスーパースターでした。しかし当時、バイオリンはまだ発展期。コレッリは後世にその魅力を伝えようと、バイオリンの為の器楽曲の作曲を精力的に行いました。そして自らが下した厳しい条件の下、生涯で6つの作品集を残したのです(作品集6は彼の死後に出版された)。その彼が生前最後の作品集の終曲に選んだのが「フォリア」でした。コレッリは、当時誰もが知っていた「フォリア」の音楽形式を使って23に及ぶ変奏を作り上げ、様々なバイオリンの可能性を示すことに成功したのです。

 

「シンプル」の美学

コレッリの「フォリア」の楽譜は、余計な装飾が書かれておらず、とてもシンプル。それは即興演奏が主流だった18世紀において、非常に人気が出ました。演奏者にとって、自分好みに“料理(アレンジ)しやすい”ところが人気の秘訣だと考えられています。コレッリは、音を徐々に増やしていったり、反対に音を減らしたり、という単純な方法でありながら、大変効果的に23の魅力的な変奏を作りあげました。今回は、そのうち最もシンプルな変奏を取り上げ、演奏者によってどのように“味付け”が変わるのか、佐藤さんが実証して下さいました。