ラフマニノフ「ヴォカリーズ」

言葉にできない思いを

切なく甘く…憂いのある美しい旋律で知られる名曲

曲の完成度を高めるためラフマニノフがとった行動とは

 

基礎練習が芸術に

「ヴォカリーズ」は音楽用語で「一つ以上の母音を用いて歌う歌詞のない発声練習法」のことを指します。声楽において「あえいおう」という母音を使った発声練習は美しい歌声を出すうえで欠かせないもので、19世紀にはヴォカリーズの練習曲の楽譜も数多く出版されます。そんな中、19世紀末あたりからヴォカリーズは単なる練習曲としてではなく芸術作品として扱われるようになります。この頃、フランスを発端にヨーロッパの芸術分野では、具体的・写実的な描写ではなく、見えないものや精神的なものを表現しようという「象徴主義」が広がり始めていました。この傾向は音楽の分野にも影響を与え、歌詞の意味にとらわれない表現を求めだした作曲家らが母音のみで歌う「ヴォカリーズ」に着目します。すぐにこの流れはロシアにも伝わり、ラフマニノフも1915年「ヴォカリーズ」を作曲。原曲は歌曲ですが、今日では様々なアレンジで世界中で愛されています。

 

高め合う二人

美しいピアノ曲の数々で知られるラフマニノフですが、80曲を超える「歌曲」の作曲家としても有名で、唯一歌詞のない歌がこの「ヴォカリーズ」。1915年の春にこの作品を書き終えますが、それで完成ではありませんでした。彼は出来たばかりの楽譜を持って、ロシアを代表するソプラノ・ネジダーノヴァの元を訪ねると、彼女の目の前でこの曲を弾いて聴かせ、助言を求めたのです。ネジダーノヴァは歌い手という立場からニュアンスや調、息継ぎなどいくつかの助言をします。彼女の才能を高く評価していたラフマニノフは彼女の助言通りにその場で即座に変更していきました。ネジダーノヴァは初めてこの曲を聴いた時、「どうしてこんなに美しい旋律なのに歌詞がないの?」と尋ねるとラフマニノフは次のように答えました。「なぜ言葉が必要なんです。あなたは自分の声と演奏で、言葉に頼る人なんかよりも遥かに素晴らしく、そして、沢山のものを表現できるじゃないですか」と。

 

歌とピアノの二人三脚

「ヴォカリーズ」は美しい旋律の歌で知られる曲で、ピアノは伴奏的なものと思いきや、実はとても重要な役割をしています。冒頭の旋律の箇所では、ピアノは和音がまるでタペストリーを編んでいくかのように一気にではなく絡み合いながら徐々に下降しています。この静かな下降が聴く人に「どうしたんだろう」「何が始まるんだろう」という気持ちにさせるのです。そして、曲の終盤でも同じようにこの曲の主題が出てきますが、そこではピアノが旋律を奏でます。一方、歌パートはピアノを引き立てるように低い音で別のメロディーを歌います。しかし、この引き立て役に回っていた歌の音が徐々に高い音に移行していくと、途中でピアノの音の高さを超えます。まさにここは歌とピアノ両者が主役となり、共に高め合う場面なのです。