グルーバー「きよしこの夜」

クリスマスソングに込めた

 平和のメッセージ

オーストリアの小さな村で生まれた歌が世界中で

歌われるようになった軌跡と歌詞に込められた

もう一つのメッセージ

 

小さな村から世界へ

この歌は今からおよそ200年前オーストリアの小さな村オーベルンドルフで生まれました。作詞したのはモールという若い神父。クリスマス・イブに村人たちへのプレゼントとして歌を披露したいと考え、当日になって急に、教会でオルガンを弾いてくれているグルーバーに、歌詞に曲をつけてほしいと依頼します。グルーバーは一緒にイブを盛り上げようと快く作曲を引き受け、その日の夜二人で村人の前で歌ったのが最初だと言われています。伴奏はグルーバーのギターでした。その後、この歌は、チロル地方のファミリー合唱団によってヨーロッパ各地で披露されアメリカにも伝わります。そして、賛美歌集にも収められ、宣教師たちによって世界中に広められたのです。

 

賛美歌からみんなの歌へ

「きよしこの夜」が日本に伝わったのは明治時代。アメリカ人宣教師たちによってもたらされたと考えられています。1909年明治42年つくられた「讃美歌 第二編」にはじめて「きよしこの夜」が収められます。当時から100年近く歌い続けているのは、聖路加国際病院 名誉院長の日野原重明さん。御年103才。日野原さんのお父さんは神戸栄光教会という129年の歴史を誇る教会の牧師でした。当初は賛美歌として定着したこの歌が日本全国で歌われるきっかけとなった一つは、戦後しばらくして、音楽の教科書に採用されたことです。学校で習ったこの歌を家族や仲間と歌う日本人が増え、宗教の枠を越えて全国へと広まったのです。また、1995年1月17日 阪神・淡路大震災によって全壊した神戸栄光教会の人々にとっては、復興の応援歌でもありました。再建までの9年間はテントの礼拝を建てクリマスには「きよしこの夜」を歌って励まし合ったといいます。明治時代に賛美歌として伝わってから100年あまり、「きよしこの夜」は、常に人々の気持ちに寄り添いながら、歌いつづけられているのです。

 

もう一つのメッセージ

日本では3番までがよく知られる「きよしこの夜」ですが、もともとの歌詞は6節までありました。1995年オーストリアのザルツブルクで、この歌の作詞者モールの自筆譜が発見されます。そこから、この歌詞がそれまで定説だった1818年のクリスマスかその直前に書かれたのではなく、2年前の1816年に作詞されていたことが明かになります。この1816年という年は、ザルツブルク周辺が、長い戦争からようやく開放された年でした。「きよしこの夜」の研究者エヴィリン・ウィンクラーさんは、「モールは戦争で荒れ果てた村の状況を憂い、この歌に平和への祈りを込めた。そのことが一番伝わるのは、第四節の“人類はみな兄弟"という言葉だ。」といいます。 その後、第一次世界大戦の戦場でも、短いながらも休戦をもたらすきっかけを作るなど、「きよしこの夜」は平和のメッセージを訴えかける歌としても歴史を積み重ねていきます。ウィンクラーさんは、「現在もこの歌の平和へのメッセージは大きな意味を持っています。世界中でもっと、第四節を歌ってほしい。」と訴えます。