ガーシュウィン「ラプソディー・イン・ブルー」

アメリカに愛されたメロディー

作曲家ガーシュウィンが音で描いた「アメリカ」

それはクラシック、ジャズ、ポップス・・・ジャンルをこえる一曲となった

 

アメリカを映した万華鏡

この曲のイメージが浮かんだ時のガーシュウィンの言葉が残されています。「私にはこの音楽が一種のアメリカの万華鏡として聞こえる。われらが巨大な人種のるつぼの、われらがブルースの、われらが都会的狂騒の、音楽的万華鏡として」1920年代のアメリカは第一次大戦の勝利により、空前の好景気に沸いていました。さまざまな人種が交じり合う中、新たな文化が生まれていきます。ニューヨークの街角に流れていたのは、ラグタイムやジャズ、ブルースといった音楽。独特のリズムとメロディーは、アメリカ中に広がっていったのです。ニューヨークで生まれたガーシュウィンは、幼い頃からこうした音楽を聴いて育ちました。そして、初めて手がけたオーケストラ作品「ラプソディー・イン・ブルー」に、街で耳にした音楽を積極的に取り入れたのです。ガーシュウィンが音で描いた万華鏡。街の活気と多様性を象徴する アメリカならではの曲だったのです。

 

作曲依頼は突然に

ニューヨークのブルックリンに生まれたガーシュウィン。独学で作曲を学び、ブロードウェイで人気作曲家として活躍します。そして25歳の時、彼に思いもよらぬ出来事が起こりました。ふと目にした新聞記事に「“ジャズの王様“ホワイトマンが「アメリカ音楽とは何か」という演奏会を開催。それにむけ、ガーシュウィンもジャズ風の協奏曲を制作中」と書いてあったのです。演奏会なんて、まったくの初耳。忙しい上に、これまで書いたことのない協奏曲など、無理な話だと断りました。ところが、すでに新聞で大きく取り上げられてしまったため、後戻りはできないと、なかば強引に押し切られてしまったのです。周囲の手を借り、なんとか1ヶ月程で、ジャズ風のピアノ協奏曲が完成。そしてこの演奏会で披露したラプソディー・イン・ブルーは大成功を収めたのです。クラシック、ジャズ、ラグタイム、ブルース・・・さまざまな要素が次々と現れる音楽は、聴衆の心を掴みました。そして、この曲の成功でガーシュウィンはアメリカを代表する作曲家へと羽ばたいたのです。

 

「ノリ」と「かげり」

①アメリカ中で流行ていた「ラグタイム」を感じさせるリズム。

思わず体を揺らしたくなる、指をならしてリズムをとろうとする「ノリ」を生みます。

②哀愁を感じさせる印象的なメロディーはジャズやブルースでよく使われている「ブルーノート」に秘密があります。一般的には3番目と7番目の音が少しさがっているもの(時には5番目も含む)。ブルーノートにより、哀愁を帯びた「かげり」の印象を与えます。

クルクルと形を変えながら登場する「ノリ」と「かげり」。ガーシュウィンは、これまでのクラシックにはなかったものを多彩に加えることで、人々を魅了しました。