モーツァルト「交響曲第40番 ト短調」


苦しくったって・・・ 

~モーツァルトの交響曲第40番~モーツァルトの哀愁ただよう交響曲ト短調。

当時の交響曲のあり方に一石を投じた天才モーツァルトの不屈の姿に迫る!

 

交響曲をチェンジ!?

クラシック音楽の人気ジャンル、交響曲。オーケストラのコンサートでは、プログラムの主役として楽しまれています。しかし、モーツァルトが活躍した18世紀、交響曲は、なんとお客さんへの開演の合図として演奏されていたのです!そのため当時の交響曲は、お客さんの注意を引くような、大きく派手な音で始まるものが一般的でした。しかし、モーツァルトの40番の出だしは、そうした交響曲とは対照的に、ひっそりと始まります。この曲は、聴き手が自分から耳を傾けなければいけない音楽だったのです。コンサートの開演を告げる音から、芸術作品として鑑賞される音楽へ。後の時代にはプログラムの主役となる交響曲がいくつも書かれるようになりました。交響曲の価値を引き上げた先駆け、それがモーツァルトの40番なのです。

 

ニュー・モーツァルトにチェンジ!?

40番を書く少し前。20代後半のモーツァルトは、音楽の都ウィーンで大きな成功を収めていました。ピアノの名手として人気を博し、当時はピアノ協奏曲を主に作曲していました。ところが、交響曲第40番を作曲したとされる1788年、モーツァルトは苦悩の中に・・・。父や親友、娘を相次いで亡くしたうえに、祖国オーストリアがトルコと戦争を始めたのです。ウィーンでは市民の生活が苦しくなり、モーツァルトの音楽活動も打撃を受けます。収入も著しく減り、多額の借金を負うことに。苦境に立たされても、モーツァルトは、作曲への思いを捨てませんでした。彼は、それまで人気を誇っていたピアノ協奏曲ではなく、あえて脇役的存在だった交響曲で、作曲家としての勝負に出ます。そして、39番から41番の三大交響曲を書いたのです。40番には、そんなモーツァルトの野心が表れています。短調ならではの激しい曲想や斬新な音の進行などが盛り込まれた交響曲は当時の常識を打ち破るもので、聴衆を驚かせました。人生のどん底にありながら、革新的な曲を書き上げたモーツァルト。交響曲40番は、彼が作曲家人生をかけて踏み出した新たな一歩だったのです。

 

タラランがチェンジ!?

40番の第1楽章では、小さくて単純な音のかたまり「タララン」が大活躍しています。この何の変哲もない「タララン」を巧みにチェンジすることで、モーツァルトは多様な表情をもつドラマティックな音楽を作り上げたのです。冒頭の有名なメロディーも「タララン」によって構成されています。このメロディーの前には細かく刻むような伴奏がつき、メロディーそのものの出だしは小さく弱い音で、裏拍から始まります。これによって、「タララン」は聴き手の耳にフッと入り込む「吐息」のような曲想にチェンジしているのです。また曲の中盤には、弦楽器による「タララン」の掛け合いが演奏されます。ここでは、同じ「タララン」がたたみかけられることで曲想に勢いが増しています。これが、その後のメロディーの登場を盛り上げる前触れ、いわばレッドカーペットにチェンジしているのです。こうした「タララン」がチェンジする瞬間が他にもたくさん散りばめられた40番。様々な表情を見せる「タララン」に注目です。