ショパンの「英雄ポロネーズ」



 ピアノの詩人と呼ばれたショパンの超人気曲「英雄ポロネーズ」 

故郷を20歳で失ったというショパンの心にググッと迫ります

 

ショパンの失われた祖国

1810年、ショパンはポーランドの首都ワルシャワの近郊にある村で生まれました。優しい母親は、子守唄代わりにポーランド民謡を聞かせ、音楽の手ほどきをしました。ショパンのふるさとを愛する気持ちは、こうして自然に育まれていったのです。

ピアノと作曲に才能を発揮したショパンは、20歳の時、演奏旅行のために西ヨーロッパへと旅立ちました。その直後、ポーランドで革命が勃発したのです。当時のポーランドは、まわりの国々に領土を分割された、なかば植民地のような状態でした。ポーランドの人々は自由と独立を求めて立ち上がりましたが、一年と経たずに、ロシアの大軍に鎮圧されてしまいました。若くして、帰るべきふるさとを失ったショパンは、その後の生涯をかけて祖国と向き合うことになったのです。

 

パリより愛をこめて

革命によって祖国ポーランドと引き裂かれたショパンが活動の拠点としたのは、芸術の都パリでした。華やかな社交界で、ピアニスト、作曲家として、成功を収めました。

しかし、その心には、いつもふるさとのことがありました。祖国のために何が出来るのだろうか。ショパンはポーランド民謡を取り入れた作品を次々と発表し、パリの人々に、ポーランドへの関心を高めていきました。異国の地でつのる、祖国への思い。ショパンは次第に、ふるさとの音楽「ポロネーズ」に、心のうちを刻むようになったのです。

 

英雄ここにあり!

華やかで勇ましい「英雄ポロネーズ」。その「英雄」という曲名は、ショパンが名付けたものではなく、この曲を聴いた後世の人が「英雄らしさ」を感じて、つけられた名前なのです。では、この曲のどこに「英雄らしさ」があるのでしょうか。

番組では、曲の冒頭部分(序奏)から「主題」の登場にかけてにある、ショパンの「仕掛け」を解説。さらに「主題」に潜む、ふるさとの音楽「ポロネーズ」のリズムを分析します。華やかで勇ましい曲想、そして全体を貫く「ポロネーズ」のリズム。そこに、ショパンのふるさとへの思いが詰まっているのです。