白鵬文化

白鳳文化
 白鳳文化は大化の改新から平城京遷都までに花開いたおおらかな文化である。法隆寺の建築・仏像などの飛鳥文化と、東大寺の仏像、唐招提寺などの天平文化との中間に位置する。天武天皇・持統天皇の時代の律令国家の気運の中で生まれた若々しい文化である。また20年毎に新殿を造営する伊勢神宮の式年遷宮や、天皇が即位された年の新嘗祭などの儀式が整えられた。
 また仏教の力で国家を鎮護する傾向が強まり、大官大寺(大安寺)や薬師寺などの大寺院が造営された。さらに遣唐使がもたらした唐文化の影響を受けた興福寺の仏頭などの彫刻が見られ、絵画ではインドの影響を受けた法隆寺金堂壁画や、鮮やかな彩色が特徴の高松塚古墳壁画がある。
 文芸では中国的教養を吸収して漢詩が盛んになり、日本古来の歌謡から生まれた和歌も五七調の長歌や短歌の形式が整えられた。額田王、柿本人麻呂らが活躍し奈良時代の「万葉集」に収録されている。
高松塚古墳
 1972年、高松塚古墳(明日香村の円墳)の玄室の壁に彩色壁画があることがわかった。当時の人物の様子がリアルに描かれ、壁画は中国や朝鮮半島の影響が見られ、天井には星宿図、北面に玄武、東面に青竜と人物群、西面に白虎と人物群が描かれていた。しかし壁面が公開されるとカビやダニによって痛みが目立ち始め、古墳を解体して修復・保存が行われている。高松塚古墳の南方約1kmにあるキトラ古墳(亀虎古墳)も同様で、玄室内の四面に四神が揃って描かれ、複数描かれている獣頭人身像は十二支である。壁画の痛みが激しく修復作業が進められている。
法隆寺金堂壁画
 金堂壁画とは金堂の柱間に12面あった仏教絵画で、釈迦・阿弥陀・弥勒・薬師の各如来の4浄土を描いた大壁4面が有名だった。しかし1949(昭和24)年、火災にて焼損した。壁画の模写作業で使用した暖房器具の電源の切り忘れか漏電が原因とされている。なかでも西6号壁の阿弥陀浄土図は有名で、日本史の教科書に掲載されていた。法隆寺金堂壁画といえば思い浮かべるほど有名で作品だった。
月光菩薩の首切り事件
 薬師寺金堂薬師三尊像の月光菩薩像の首の部分に亀裂が走っていた。この亀裂は時を経るにしたがい次第に大きくなり、1952(昭和27)の吉野地震によって亀裂は悪化した。調査した文化財保護委員会(文化庁の前身)の技官は「このままでは首があぶない、頭部をおろした方がよい」と判断、なかごの鉄心を切って頭部をおろしたのだった。しかしこれを知った人たちは「月光菩薩の首が切られた」と大騒ぎになった。

 頭部が落下しないように応急処置を施し、修理方法を慎重に検討しての処置であったならば、これほど騒ぎになることはなかった。文化財保護委員会には専門家をはじめ、人びとの批判が相継いだ。国は専門家を集め協議し、内枠固定法と金属接着剤とを併用する方針をたて月光菩薩の修理を行うことを決めた。月光菩薩像はこのような経過で現在の姿に蘇ったのである。

左上、高松塚古墳。左、高松塚古墳の玄室。上、玄室の彩色壁画
左上、高松塚古墳。左、高松塚古墳の玄室。上、玄室の彩色壁画
上、法隆寺阿弥陀浄土図。左上段、現在の法隆寺。左火災時の現場と新聞
上、法隆寺阿弥陀浄土図。左上段、現在の法隆寺。左火災時の現場と新聞
左、薬師寺。上上段、月光菩薩像。上、月光菩薩の修正前の首の部分
左、薬師寺。上上段、月光菩薩像。上、月光菩薩の修正前の首の部分