旧石器捏造事件

【旧石器捏造事件】

 「日本には旧石器時代はなかった」とするのが昭和20年代の考古学の定説だった。この定説を覆したのが岩宿遺跡を発見した相沢忠洋であったが、相沢忠洋が発見したのは旧石器時代後半の遺跡」だった。つまり正確に云えば「日本には旧石器時代はなかった」から日本には旧石器時代の前・中期時代はなかった」に変わったのである。

 しかし昭和51年、考古学愛好家電器メーカー勤務の藤村新一が「前・中期旧石器」を宮城県熱座散乱木で発見した。ルミ ネッセ ンス法で3万3000~4万3000年前の石器とされ大発見であった。その後、馬場壇Aで出土したものは20万年前となり、上高森では60万年前までさかのぼった。

 この発見の成果は教科書にも記載され、日本の遺跡は北京原人の時代にまでさかのぼった。しかも発掘された石器は旧石器時代、縄文時代のものと類似しており、この連続性は原人と新人の連続性を示すもので、この大発見は世界の考古学の常識を覆すものであった。

 考古学者は藤村新一の新発見を歓迎し、国は遺跡を史跡に指定し、文化庁は石器を特別展で展示し、日本各地で「~原人」ブームが起きた。埼玉県秩父市では50万年前の遺跡から住居の跡が見出され、北京原人の時代に定住生活を送っていたとした。発掘された石器は東北のから出土したものと似ていたことから、50万年前の私たちの祖先は関東と東北で交流があったとされた。

 秩父市は「秩父原人フィーバー」に沸いた。遺跡の一般公開日には7000人が詰めかけ、「秩父原人祭り」が開催され、原人鍋、原人パン、原人大福、清酒・原人の里なとが店頭に並び、夜になると松明を掲げた「原人パレート」が行われた。これらは便乗商法ではなく、地元に原人がいたという太古のロマンに市民が酔いしれていたのである。埼玉県は藤村新一に知事表彰を送くり、秩父市は感謝状を送っている。

 さらに中学・高校の歴史教科書は書き換えられ、大学入試の問題にも出されるほどであった。北京原人が発掘された周口店の石器と同じ時期の石器が発掘されたことは、中国に北京原人がいた頃には、日本にも原人が住んでいたことになる。藤村新一は「神の手」とよばれ次々に新発見を続けた。「遺物の あるところの土は見るとわかる。他より柔らかい」と藤村は言っていた。

 藤村が掘るたびに「世紀の大発見」としてスクープされた。なかなか遺物が出ないと藤村を呼ぶと「明日はあそこから出る」と言って、それが現実となった。自治体がおこなう遺跡発掘では、何も出ないと問題になるので、発掘の状況が思わしくないと、藤村に声をかけ遺跡の調査に協力させた。学会や国が認めた研究に、少数ではあるが疑問を持つ者がいた。なぜ藤村だけが掘り当てるのか。

 怪しいということから、発掘現場での藤村新一の不審な行動に疑念を持つ者が、毎日新聞に情報を提供したのである。毎日新聞の北海道支社がチームを編成して取材に着手した。発掘の現場に張り込みを行い、藤村新一があらかじめ石器を遺跡に埋め込んでいる様子を写真・ビデオで撮影したのである。

 藤村行動を録画し、結局、藤村は別の所で出た石器を、古い地層の中に埋め、翌日掘り出していたのである。さらに本人への取材から捏造の確認を得て、毎日新聞は2000(平成12)年11月5日の朝刊でこのことを報じた。報道は旧石器時代前期とされていた上高森遺跡(宮城県)の捏造であった。東北旧石器文化研究所の副理事長である藤村新一が、自ら持参した石器をひそかに更新世の地層に埋めている姿を写真に撮った毎日新聞の大スプープであった。

 その後の調査・検証によって、藤村新一が掘り出した石器は、別の遺跡で集めた縄文時代の石器を事前に埋めていたことが判明した。他人が発掘した遺物も同様の手口で、上高森遺跡をはじめ、彼が発掘に関わった旧石器時代前期・中期とされる遺跡のすべてが捏造とされた。旧石器時代前期・中期の遺跡名を載せた教科書や歴史書は、訂正や回収される騒ぎになった。この結果、旧石器時代の確かな遺跡は、約3万5,000年前以降の後期旧石器時代のものだけになった。

 「日本の旧石器時代はアジアでも最も古い70万年前に始まる」と書かれた教科書が根底から崩れた。歴史教科書問題で対立している中国や韓国は「日本人が歴史を歪曲している証明」「ひとりの研究家だけの問題ではなく、日本人の歴史認識そのものに問題がある」と大々的に報道した。

 25年間も藤村新一の捏造がばれずにいた。藤村は発掘現場の一作業員にすぎず、論文も読めず、石器の図面も書けなかったが、その藤村が25年間に160以上の発掘現場で捏造を続けていたのである。専門家である現場監督の誰ひとりとして藤村の捏造を見抜けなかったのである。

 学会では以前から発見の効率の良さ、発見時の不自然さや写真証拠がないことを指摘する意見があった。石器が水平に埋設され、単品であることに疑問を持つ学者がいた。しかし学界は捏造の疑いをもつ学者や研究者を露骨に排斥し、事実上の学会八分(村八分)にした。さらに石器からナウマン象の脂肪酸を検出した研究結果も発表され、捏造石器の信憑性を補強した。

 本来、人類の普遍的価値である遺産が観光資源になり、商業的効果をもたらしたことが事件を助長させた。捏造が発覚しても、考古学界は文化庁や関係学者の批判を行わず、学界として反省はなかった。論文も書けない藤村に欺されたでは済まされないことであるが、藤村一人に責任を押しつけて考古学協会は無罪放免になっている。

 この日本考古学最大のスキャンダルを起こした藤村新一は、マスコミや周囲の期待に応えたかったのだろう。暗黙のうちに捏造をそそのかした取り巻きがいたのだろう。しかし事件発覚後、精神鑑定すら行われず、精神障害と断定され、精神病院に隔離された。藤村新一を罰する法律がないため何ら罰も受けず、退院後、再婚して名前を変えると、年金暮らしをしている。