ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ

 ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ(1255/1260年頃〜1319年頃)はゴシック期のイタリアの画家。13世紀末~14世紀初頭にシエナで活動した。その様式はビザンティン絵画を基盤とし人間描写や空間把握は現実感を増している。チマブーエ、ジョットとともにゴシックとルネサンスの橋渡しをした。シエナ派の巨匠であるが、シエナ派とは、14世紀のシエナに生まれたビザンティンとゴシックが合流した美術傾向である。鮮やかな色彩、甘美さ、細部へのこだわり、そして曲線が特徴的で、シエナ独自で発展した美術動向と言えるものでした。

 イタリア中部の都市シエナは独特の絵画の伝統をもち、シモーネ・マルティーニらの巨匠を輩出している。ドゥッチョはシエナ派の祖と見なされヨーロッパの絵画が中世からルネサンスへと移る節目に位置している。国際ゴシック様式の形成にも関与している。

 ドゥッチョの美術家としての活動が最初に記録されるのは、1278年、ドゥッチョはシエナ市政府のために文書箱や収税帳簿の表紙の装飾などの仕事をしたことが記録に残っている。代表作としてはフィレンツェのサンタ・マリア・ノヴェッラ聖堂にあった「聖母子と六天使、通称ルチェライの聖母」(1285年、ウフィツィ美術館蔵)及びシエナ大聖堂のために制作された「マエスタ(荘厳の聖母)」(1308 - 1311年)がある。「マエスタ」はドゥッチョの代表作で、完成時にはシエナの市民たちがこの巨大な絵(370×450cm)をかついでドゥッチョの工房から大聖堂へ運んだとされている。横長の大画面に玉座の聖母子と諸聖人・天使を表したもので、背景を金地とする点や、聖母を他の人物たちより一段大きく表す点はビザンティン風だが、人物の人間的な表情や仕草、着衣のひだの自然な描写などにルネサンスへの歩みが感じ取れる。この作品は裏面にキリストの受難の諸場面を表し、ピナクル(祭壇画上部の尖塔形部分)やプレデッラ(裾絵)にもさまざまな場面が描かれていたが、これらは分割されて一部は他の美術館等の所蔵となっている。

 このほか、シエナ大聖堂のステンドグラスのデザインもドゥッチョによるものとされている。ドゥッチョの1300年頃の作とされる板絵の「聖母子」は2004年11月、ニューヨークのメトロポリタン美術館が4,500万ドル以上の高値で購入し同美術館による一作品の購入金額としては最高記録であった。しかしコロンビア大学の研究者はこの絵を19世紀の偽作としている。

 テーブルの向こうにいるイエスからパンを差し出されたユダは、一瞬、息を呑んだに違いない。「すでに知っておられる」との思いはユダを後悔に押しやったかもしれない。しかしユダは祭司長たちから銀貨30枚を裏切りの報酬として受け取っていたので、引き返すことはできなかった。キリストが捕らえられる前の、弟子たちとの最後の食事場面を描いた「最後の晩餐」は、6世紀のビザンティン・モザイクから見ることができる。当時はD字型のテーブルの端にキリストが座り、弟子たちはその後ろに、順番に乗りかかるような格好で表現されていた。

 13世紀シエナ派の画家ドゥッチョは、情緒的で繊細な感性で全員がテーブルを囲むような配置の「最後の晩餐」を描き出した。中央のキリストが裏切り者にパンを差し出していなければ、緊迫した場面とは判らないほどである。しかしやや硬くぎこちない表現ながら、だれが誰であるかは比較的正確に描き分けられています。12~13世紀の芸術家は、ユダ以外の使徒たちをほとんど区別しようとしてこなかったがドゥッチョは配慮をしていた。

イエスが「はっきり言っておく。あなたがたのうちの一人が私を裏切ろうとしている」と言ったとき、驚く使徒たちの中で、まず最初に主よ、それはだれのことですか」と尋ねたのは、イエスの胸もとに寄りかかったヨハネだった。彼は、弟子たちの中でも、イエスに最も愛された者でした。弱々しく悲しそうなヨハネはすぐに分かる。ヨハネにイエスが誰のことを指して言っているのか尋ねるように合図したのは、シモン・ペテロでした。半白の短い巻き毛と髭をたくわえ、イエスの隣にわかりやすく描かれている。ペテロは漁師にふさわしい赤ら顔であることも特徴である。

 またアンデレはなだらかに伸びた半白の髪、長い髭である。その長い髭が二つに分かれている様子から、ヨハネから一人置いた右側に座るのが彼である。そして小ヤコブは、顔つきや髪、髭がキリストに似ているのが特徴です。それは聖パウロが「主の兄弟ヤコブ」と呼んだことからも明らかで、ペテロの隣に坐しているのが彼でしょう。主の生前、最も近くにいた三人のうちの一人は大ヤコブである。小ヤコブよりもやや年長で髭をたくわえた彼は、ヨハネの隣の人物と思われる。ピリポとトマスは、ヨハネと同じように最も若い使徒であるので、両脇の無髭の二人が彼らであることは明らかです。二人はテーブルの両端に描かれるのが通例である。シモンとタダイは兄弟なので隣り合って座って描かれている。慣例的に老人とされているが、よく似た横顔の前景の右に座る二人であろう。バルトロマイは白く長い髭を生やしていて、マタイと似ているので前景の中央の人物であろう。左端が「マタイによる福音書」の書記者とされる聖マタイであろう。

 ところでテーブルの向こう側の聖人たちには、なぜ光輪がないのだろうか。このためイスカリオテのユダの見分けがつけにくく、前景の五人全員の人相も決して良いわけではなく、だれが誰やら、実ははっきりとは判別できないとも言われている。それはドゥッチョならではのセンスが宗教画の約束事を少し逸脱したのかもしれません。光輪を描いてしまうと、テーブルの上の繊細な描写が見えにくくなってしまうからであう。「最後の晩餐」では、ワインにパンを浸して食べたと言われているが、テーブルの中央に子羊の丸焼きが置かれている。実際には置かれていたわけはないが、ドゥッチョは犠牲の象徴を描きたかったのであろう。さらに中央手前の水差しは美しく、この場にはやや相応しくないように感じられるが、画家の思い入れが伝わるようです。

 キリストの受難がテーマの祭壇画裏面、26枚のパネルのうちの一点であっても、ドゥッチョは細やかに配慮している。未熟ながらも遠近法を用いて建物の立体感を表現し、奥行きの感じられる静謐な空間を実現している。彼はジョット以前の中世末期の画家であるが、微細な金色の線や繊細な色彩が単なる宗教画を超えた人間ドラマを感じさせる。

 「マエスタ」とはイタリア語で「荘厳」という意味である。おごそかに玉座につき、聖人や天使に囲まれた聖母子の画像をいい、多くの画家が描き続けてきたテーマである。その中でもこの「マエスタ」は最高峰の作品と言える。シエナ派の巨匠ドゥッチョの最高傑作でもある。

 やや憂いをたたえた高貴な面立ちの聖母の膝の上で、おとなびた落ち着きを見せるイエスは仕草がすでに分別を感じさせる。シエナ大聖堂の主祭壇画として描かれた本作には、シエナの10人の守護聖人たちが、優美な天使に伴われるように並んで描かれている。彼らは中央の聖母子を見つめ、それぞれが個性的に表情豊かに表現されている。

 一人ひとりがだれであるかも明らかである。聖母子を中心に天使を二人ずつ置き、左右に5人ずつの聖人が並んでいる。左から、アレクサンドリアの聖カタリナ、聖パウロ、ひざまずいているのが聖アンサヌス、そして福音書記者聖ヨハネ、聖サウィヌネ、右側へいって、最初にひざまずいているのが聖クレスケンティウス、次が洗礼者聖ヨハネ、赤いマントでひざまずくのが聖ウィクトリヌス、そして聖ペテロ、最後にヴェールを身につけているのが聖アグネスという順番である。

 さらに、後方のアーチ部には10人の使徒が描かれており、左から、タダイ、シモン、ピリポ、大ヤコブ、アンデレ、マタイ、小ヤコブ、バルトロマイ、トマス、マッティアスでと一人ひとりの名前まで明記されている。

 この作品が完成したとき、ドゥッチョの工房から大聖堂へ、シエナの住民が行列をつくって運んだとされている。人々の喜び、誇らしさに沸き立つ気分が伝わってくるような逸話です。時代とともに本来の枠は失われ、部分的に四散してしまったが、現在、大聖堂付属の美術館に収められたこの「マエスタ」は、今でもシエナの人々の大切な宝物である。

 聖母子が鎮座する玉座は、モザイクで装飾された大きな大理石の塊として表現されている。その土台には、「シエナに平和を、これを描いたドゥッチョには名誉を」と、聖母への二つの祈願が記されている。