アルティキエーロ

 14世紀後半、アルティキエーロは古代ローマから栄えたヴェネトの画家の中では傑出した存在であった。ヴェローナのゴシック様式の創始者といわれながら、彼についての記録はほとんど存在しない。おそらくゼーヴィオ近郊で生まれた。ヴェローナ王デラ・スカーラ家に仕えた。1364年頃、デラ・スカーラ宮殿でフラウィウス・ヨセフスの「ユダヤ戦記」に基づく連作のフレスコ画を描いた。パドヴァのサンタントニオ大聖堂に描いたフレスコ画はこれまではヤコポ・ダヴァンツィ作とされてきたが実際は二人の共同作業でアルティキエーロは報酬として792ダカット(中世ヨーロッパの貨幣単位)受け取っていた。聖ヤコブ(大ヤコブ)の生涯を描いた最初の7枚は、アルティキエーロが描いたものである。

 ルティキエーロはジオットの影響を受けていて、三次元的に人物群を配置する効果的な手法、人物像の堅牢さ、量感がジオットを思わせる。またそのことがアルティキエーロの特徴である。精巧な舞台装置を思わせる場面設定は動きの少ないゴシック的であり、14世紀末の趣味を感じさせる。ここにアルティキエーロの複合的な魅力がひそんでいる。

聖ゲオルギウスの打ち首

1385年のディテール/パドヴァ/サン・ジョルジョ祈祷所

 膝をつき斬首されようとしているのは、伝説上の戦士聖人として名高い聖ゲオルギウスである。彼をテーマとした絵画は、「聖ゲオルギウスと竜」を取り上げたものが多いが、この作品は数少ない殉教場面を描いている。

 背を丸めてひざまずく姿は決して弱々しいものではなく、合わせた手にも強い意志が感じられる。斬首されるまでに、毒杯を飲まされ、車輪に縛りつけられ、煮えたぎる大釜に投げ入れられる拷問に耐えたとされている。彼の心身の強靱さは筋金入りだったが、最期のこの時にもその信仰心に一点の曇りはなかった。

 この美しいフレスコ画は、パドヴァのサンタントニオ聖堂の前庭に、ルーピ・ディ・ソラーニャ伯爵が建てた礼拝堂の壁面を装飾している。アルティキエーロは、パドヴァの画家アヴァンツォと組んで壁画制作をしているが、量感のある人物たちを広大な自然や建物の背景が包み奥行きのある構成にしている。

 細部の精妙な描写、強く豊かな表現力によって聖書の中の物語を、現実的な生き生きとした人間ドラマにしている。

 特筆すべきなのは、彼の恵まれた才能が、常に日常的な生活感を見逃さなかったということだった。この作品の中でも、残酷な処刑場面を幼い息子に見せまいと、この場から連れ出そうとする父親の姿がみえる。このような画家の細やかな神経が新鮮に映る。

キリスト磔刑

フレスコ画/

パドヴァ、サンタントニオ大聖堂