美術史

 美術がやっかいなのは時代区分である。ルネッサンスと印象派ぐらいは知っていても、他の時代区別は馴染みが薄い。またその時代区分も、明確な区分があるわけではない。この事情を知った上で、美術の歴史を簡単に分けてみよう。

 もちろん区別は後世の者が、エイヤーと無理に決めたものだから例外もある。また画家の人生を見ると、画家自身も幼少期は過去を模造しながら、試行錯誤の上で新たな美術形式を確立して行くことが多い。このことから画家の生涯をひとつの画風区分で決めつけるのは無理がある。しかし美術を理解する上では、美術区分は大いに参考になり、理解する近道にもなるので下記のように決めた。

 

古代:原始美術、メソポタミア・エジプト・ギリシア・ローマ

  (先史〜3世紀 原始美術とキリスト誕生以前の古代美術)

中世:初期キリスト教、ビサンチン・初期中世。ロマネスク。ゴシック。

  (3〜15世紀、西ローマ帝国滅亡以降の神を中心とした美術)

近代:初期ルネッサンス、北方美術、ルネッサンス・マニエリズ・北方ルネッサンス.

   バロック・ロココ

  (15〜18世紀、ルネッサンス以降の人間中心の美術)

近代;新古典主義・ロマン主義・写実主義・印象派・世紀末

  (19世紀、フランス革命以降の市民生活が生んだ美術)

現代:キュウ・フォウピズム.抽象画家・ダダ。ポップアート

         (20世紀、情報家され産業化され、消費社会が生んだ美術)

 

古代からルネサンス前まで

 紀元前3000年頃からギリシア地域で始まった青銅器文明が 西洋美術の始まりとなった。多神教的な豊饒さに包まれ、前700年頃にギリシアは文化的隆盛を迎え、ミロのヴィーナスは前300年 頃からのへレニズム期の代表作例といえる。それまでの直立した人体と比べて、 より自然な体重のかけ方、肉体のねじれなどを特徴としている。やがて地中海文明の中心はローマに移り、マル クス•アウレリウス騎馬像をはじめ写実的な作品が多くつくられた。

ローマ美術
 世界的な大帝国として発展するローマに、戦利品としてギリシャ芸術が持ち込まれた。その素晴らしさに人々は魅了され、「ギリシャ風に生きる」ことが流行る。こうしてギリシャ芸術から理想主義などを学んだ人々は、 たとえば彫刻に傑作を多く残 している。ローマの文化はギリシャ文化とキリスト教をミックスしていき、ヨーロッパ文明の源となった。

初期キリスト教美術
 二つの時代がある。まず、キリスト教が迫害されていた頃の、 カタコンべ(地下墓室)の壁に描かれたもの。ここには、迫害者の目を避けるため十字架を暗示させるものや、キリス卜を象徴する「良き羊飼い」などの象徴的な表現がされていた。 そしてキリスト教が公認されると、立派な教会の内部をモザイク画が華々しく飾る。これらの絵にはほとんどが文盲だった信者に聖書の教えを伝えるた めの、目で見る聖書の役割があった。
ビザンティン美術
 ローマ帝国の首都がロ一マからコンスタンティノポリス(ビュザンティオン)に移りやがてビザンティン帝国となる。そして東と西の文化がミックスしてビザンティン美術が生まれた。やがてイコンと呼ばれるキリストや聖人の肖像の描かれ持ち運びのできる板絵がはやる。教会の内部や家庭で礼拝用に使われた。しかし「神様はもっと 恐れ多いものだ」と考える人が聖像破壊運動を起こす。
ロマネスク美術
キリスト教はヨーロッパ中に広がっていった。教会が次々に建てられ、写本や壁画などの活動が行われた。
象徴的で信仰に満ち、素朴な表 規だ。また、細長い柱なら細長 し、人体というように、自然の法則というよりも、建物に合わせ て変形した表現である。

 その後、ヨーロッバはキリスト教文化の時代に突入していく。識字率の低いこの時代、絵画は布教活動において最も有効な手段であった。はじめは神の姿を像にすること(偶像崇拝)が禁止されていたが、やはりメージの持つ伝達力は大きく、ほどなく聖書の諸場面を直接的に絵に描くことが西洋絵画の主流となった。

 ローマ帝国滅亡して、ヨーロッパはゲルマン系諸民族が建てた国家群に分裂する。それらの国々がすべてキリスト教国になると、約千年間にもおよぶキリスト教一色の時代を迎える。これを俗に「中世」と呼び、あらゆる文化活動がキリスト教のためになされた。

 なかでも最も創作エネルギーを注いだのが教会建築であった。とりわけアッシジのサン・フランチエスコ聖堂は、フイレンツエ派のチマブーエやジョット、シエナ派 のシモーネ・マルテイーニなど、イタリアの代表的な芸術家が集結した。

 この地に集まる芸術家は、必然的にお互いの技術や様式を知ることになり、それまでは各地に限定されていた美術形式が、初めて全体的な動きをもつようになる。これが、のちのルネサンスを準備する土壌となった。

ゴシック美術

 ロマネスクと違って人体の表現も自然に表現されるようになる。ロマネスクやビザンチン芸術と比べ、遠近が出てきてより写実的になり表情がでてくる。絵を描くのも修道士らではなく、専門の画家が生まれてくる。多くの人々は当時、文字が読めなかったので、絵画はそういった人々にキリスト教を教える材料であった。絵画は宗教的な目的で描かれていた。初期ゴシックの名作はまだビザンチンの影響が多くあるが、そこから精神性を引き出していき、説得力のある表情を描き出していったのが、ゴシック時代である。加えて、遠近法や優雅な線の使い方など、絵画は発展していくのである。

 教会の塔は高くなり、教会の内部に光を入れるため窓が多く、ステンドグラスがはめ込まれた。ロマネスク時代に比べ、新しい教会はアーチ型の天井である。これはささえる力を抑制できて、壁を薄くすることができる。そのためより多くの部分が窓として使用できるようになり、ガラスをふんだんに使えるようになった。ステンドグラスが使われ出した。光に色を加えた教会の内部は、当時の人々にとってはこの世とは思われない異空間を創り出した。ゴシック絵画は建築や彫刻よりも、ゆっくりと進んでいく。

ルネサンス
 暗い中世はおしまいである。人間性の回復の時代だ。人々は自分たちの価値、自然の美しさなど現実生活の価値を再認識しよとする。かつてのギリシャ、ローマの素晴らしさを再生しようとする。絵画は画期的な発見や発明によって、飛躍的な発展を遂げる。多くの天才たちが活躍する時代だ。

アマリズム
 あまりに洗練された表現に息が詰まったのかもしれない。構図は複雑になり、ねじれたような人体表現、誇張された遠近法や短縮法などが特徴だ。

 

 

象徴主義
写実主義も印象主義もわかってないなぁ。絵は何かを象徴して描かれるのです。つまり、頭の中で考えていること、感じていることを絵で表そうと思ったら、 何かの形を借りなくてはならないでしょう。

ナビ派
ゴーギヤンの影響を受けた若 画家たち。平坦な色面による装飾的な画面が特徴だ。日本の浮世絵の影響もある。ナビとは預日者>を意味するへブライ語。

素朴派
学校で身につけた描き方ではなく、独学、自己流で描かれた絵なので、なかなかアカデミックな評価は得られなかった。しかし20世紀に入ると、アカアカデミックな教育に毒されていない彼らの絵が注目されるようになった。

アール・ヌ-ヴォ-
フランス語でく新芸術 > という意味味のこの流れは新しさを求めた。曲線による装飾性の強調、 女性的かたちに特色がぁる。建築、工芸デザイン、ポスターなど広い分野にゎたって花開いた。

エコー・ル•ド・パリ
パリはまさに芸術の都だった。世界中から芸術家たちが集まってが、彼らは特定の運動に加わらず自分の世界を表現していく。

フオーヴイスム
激しいよ野獣だよ、色彩は爆発だよ。色を解放するんだ。色は自然を再現するためのものじゃない、ぼくらの感覚を表現するためのものなんだ。 しかし激しい情熱はわりと早くに飽和点に達し、画家たちは それぞれ違った道を歩み始める。

キユビス厶
絵は二次元ものだ。しかし現は三次元だ。次元には二次元なりの表現の仕方があるはずだ。ぃったんものを分解していろんな角度から見えたたものを同時に描いて再構築_していけぱいいんだ。こうして、画面にはバラバラになった何かが現れた。

抽象絵画
再現しようという発想が古いね。色や形といった純粋に造形的なものだけで絵を表現していけば
いいんだよ。

シュルレアリスム
ダダという、すべてを否定し、 破壊したいという運動があった<。その行き着いたところは、自分 も否定するという袋小路だった<。そして無意識という世界に救いを求めたシュルレアリス厶が誕生する。

抽象表現主義
ヨーロッパはなくあめりかでで新しい流れができ始めた。これには、第二次世界大戦を逃れ てアメリカにやって来たヨーロッパの芸術家たちの存在も大きい。画面は非常に大きくなり、 荒々しい筆致で描かれるようになる。

ポップ•アート
新聞、漫画、テレビといったマスメディアに注目した芸術家たちがいた。彼らは、大衆社会のイメージをどんどん取り入れ、 大量につくられ、消費されていくものにあふれる社会を肯定し、ちょっびり皮肉った。