ロッソ・フィオレンティーノ

ロッソ・フィオレンティーノ(1495年〜1540年)

 イタリア出身の画家で、ルネサンス(マニエリスム)の美術をフランスに伝える役割を果たした。 フィレンツェの生まれで、はじめはポントルモと同じ工房で修業した。1524年からローマに移住しするが、 1527年ローマ略奪にあい苦役に駆り出される。ローマからヴェネツィアを経てフランスに赴き、フランソワ1世に招かれてフォンテーヌブロー城の改築 に関わる。フォンテーヌブロー城の広間の壁に、フレスコ画でフランソワの生涯を描いたのが代表作である。ロッソの影響で、フランスにフォンテーヌブロー派と呼ばれる画家のグループが生まれ宮廷で活躍した。

玉座の聖母子と4人の聖人
1518年 172×141cm | Oil on panel |
ウフィツィ美術館(フィレンツェ)

 フィレンツェ時代初期の代表的な作品のひとつ。1518年にフィレンツェのオニサンティ聖堂内祭壇画として依頼されたことからオニサンティ祭壇画とも呼ばれる。玉座の聖母子と2天使を中心に、成人の姿で描かれる聖ヨハネとキリスト教四大神父のひとり聖ヒエロニムスを左に、キリスト教修道主義の創始者である聖アントニウスと疫病に対する守護聖人の聖セバスティアヌスを右に配しており、幼子キリストの表現はマニエリスムらしく極端に上下に短い短縮法が用いられている。

聖母の結婚
1523年133×196cm | Oil on panel |
San Lorenzo, Florence

 3歳の時から神殿へ預けられ、身も心も清く育ったマリア(聖母マリア)は、14歳の時、天使のお告げにより、主がみしるしを与えた者を夫とすることになる。天使は神殿の大司祭にこう伝えていた。「国中の独身者に一本の杖を持たせて集めよ。杖の先に花の咲いた者がマリアの夫だ」。こうして選ばれたのが、ダビデ家の子孫で大工のヨセフであった。ヨセフは他の求婚者や侍女たちが群れなす中、司祭の前でマリアの手に結婚指輪をはめて二人は夫婦となった。
 本作ではやや引き伸ばされた長身の人物たちが描写されている。伝統的色彩配色が用いられているが、金属的な光沢感や明暗対比の強い立体的造形は注目すべきである。また画面上部から下部までに配される20人以上の人物の多さも本作の特異的特長のひとつである。ロッソ・フィオレンティーノの作品は、反自然主義的な鮮やかな色彩と奇抜なフォルムが特徴である。
「聖母マリアの結婚」の中では、中央に司祭、向かって右側に杖を持ったナザレのヨセフ、そして左側にはアトリビュートの青い服を着た聖母マリアが描かれている。ヨセフの手前で黒いローブを着た男性が右手の人差し指で上の方向を指さしているが、これは二人の婚約の様子を指さしているのではなく、天の方向を指さすことで主イエス・キリストを暗示している。
 右下の女性は、天の慈愛を象徴する赤い腰布(ローブ)を身につけ、右手には聖書を開いた状態で持っているが、これは聖書の「受胎告知」に登場する天使ガブリエルを彷彿とさせる。さらに、この女性のをよく見ると、すぐ後ろで白い衣服をまとった男性の足の部分がちょうど天使の羽根のように見え、しかもちょうど「受胎告知」と同じく聖母マリアにひざまずいて向き合うような位置関係にあることから、開いた聖書を持ったこの女性は天使ガブリエルの暗喩である可能性が高い。