バルトロメ・エステバン・ムリーリョ

バルトロメ・エステバン・ムリーリョ
1617-1682
 17世紀中期~後期にかけて活躍し たセビーリャ派の巨匠。バロック期のスペインの画家で19世紀末にベラスケスが再評価されるまで、国内外でスペイン最大の画家として名を馳せていた。

 1618年、スペイン南部のセビリアに生まれる。14人兄弟の末子で、幼い頃に両親を亡くし、姉夫婦のもとで育てられたというが、その名声に比して伝記の細かい部分には不明点が多い。

 テネブリズム(カラヴァッジョに代表される明暗対比による劇的な表現手法)の強い影響を感じさせるセビーリャ派特有の実直な明暗対比の大きい作風に柔らかく繊細で輝きを放つ表現を用いるこ とで、故郷セビーリャを中心に圧倒的な人気を得てている。当時セビーリャ派の大家として既に名声を博していたスルバランの地位をも脅かしていた。彼の功績 はイタリア芸術に押されていたスペインの美術の地位を諸外国に知らしめることで、また作品の多くは宗教画だが、風俗画や肖像画も描き、作品の総数は約 300点である。

 疫病で亡くしてしまった自分の子供達を愛しむかのように、子供を描いた絵も多数残している。ぼろをまとった貧しい少年たちをありのままに描いた風俗画にも傑作がある。 (彼は子供を次々と5人もペスト等で亡くし、6人目の娘も耳が聴こえなかった為その娘を思い最高傑作の無原罪のお宿りを描いた。

 生涯の大部分をセビーリャ周辺で過ごしている。1682年にカディス(セビーリャ南方の海辺の町)の修道院で制作中、足場から転落したことが原因で死去したという。

蚤をとる少年

1645-1650年頃 137×115cm | 油彩・画布 | 

ルーヴル美術館(パリ)

 初期を代表する風俗画。当時セビーリャに滞在していたフランドルの商人によって依頼され手がけられたとされる本作は、蚤をとっている姿から現在「蚤をとる少年」と呼ばれることが多いが、描かれた当初は貧しい身なりや粗末な食物などから「乞食の少年」と題名されていた。セビーリャ派の伝統であったカラヴァッジョに代表される明暗対比による劇的な表現手法「テネブリズム」を用い、鋭い観察眼と卓越した技術によって描き出される少年の写実的表現は、当時のスペインで盛んに描かれたモチーフのひとつであるピカレスク(騎士道小説の理想主義への反動で辛辣に社会を風刺する悪漢小説)の様式を示しており、おそらくは当時、ムリーリョが関心を持っていたフランシスコ修道会の慈善的教義を表しているとされている。

小鳥のいる聖家族

1650年 144×188cm | 油彩・画布 | 

プラド美術館(マドリッド)

 

 

 本作の題名となった小鳥を子犬に見せる幼子イエスとイエスを抱く義父聖ヨセフ、傍らで幼子イエスの愛らしい仕草を見つめる聖母マリアを配した≪聖家族≫である。ムリーリョの柔らかく繊細な描写を用いた自然主義的な表現が示されている。幼子イエスは無邪気に小鳥を右手に捕まえ、従順の象徴として知られる子犬に見せる仕草を取っている。その後方にはやや若々しさの残る義父聖ヨセフが幼子イエスを守るかのように腕の中へ抱き、画面左部分では繭から糸を紡ぐ聖母マリアが慈愛に満ちた笑みを浮かべ見守っている。

 この至極幸せであたたかみを感じる聖なる家族を光と色彩に包まれた描写と、統一と聖性を感じさせる慎ましく安定的な空間構成によって豊かなムリーリョ独自の世界観が表現されている。また画家の愛好家として知られるフェリペ5世の王妃が購入し、独立戦争時は一時的にパリのオルレアン宮へ持ち出されるも、その後スペインへ返還され、画家を代表する作品としてプラド美術館に所蔵されることとなった。

リベカとエリエゼル

1650-1655年頃 108×152cm | 油彩・画布 | 

プラド美術館(マドリッド)

 ムリーリョ作品の旧約聖書を主題に描かれた代表的作品のひとつ。イスラエルの祖アブラハムが年頃になった息子イサクの妻となる女性を探す為に故郷メソポタミアへ下僕エリエゼルを差し向ける。苦しい道中の末に、下僕エリエゼルがナホルの井戸端で疲れを癒す水を与えてくれる女性に出会わせてほしいと神に祈ると、水を汲みに井戸を訪れていた多くの女性の中から、美しい娘であったリベカが水瓶から下僕エリエゼルとラクダに水を与えた。本作はこの場面「井戸端のリベカ」を描いたもので、リベカを始めとした水汲みの女性群や後景のラクダのある風景などに、セビーリャ派伝統の実直な厳しい明暗対比から、柔らかく繊細で明るい色調によるムリーリョ独自の様式への転換が示されている。

羊飼いの礼拝 

1650-55年頃 187×227cm | 油彩・画布 | 

プラド美術館(マドリッド)

 ムリーリョが17世紀中期に描いた代表的な宗教画のひとつ。本作の主題は神の子イエスが降誕した夜、ベツレヘム郊外の貧しい羊飼いのところへ大天使が降り救世主が生まれたことを告げられた。羊飼いが急いでベツレヘムに向かい厩の飼葉桶に眠る降誕して間もない聖子イエスを礼拝する、14世紀中期頃から盛んに描かれるようになった図像のひとつで、深い陰影を刻む光彩表現と細密な描写による場面構成などセビーリャ派の典型的な特徴が示されている。