ブラームスの恋物語

ヨハネス・ブラームス(1833年〜1897年)
恩師の妻との禁断の愛
 人生に星の数ほどの女性が登場しても、恋愛が盛り上がるとブラームスの方から逃げていく。このような偏屈なブラームスを愛した女性がいた。それは自分の恩師の妻であり、14歳も年上の女性であった。
  ブラームスの父はダンスホールなどで演奏するコントラバス奏者だった。裕福ではなかったが、小さい頃から音楽の手ほどきは受けていた。ただ父親は家庭のた めハンブルクの売春宿でピアノを弾いていた。「沖に出た帆船が入港すると、船乗りたちが女を求めて姿を現す。女性たちは彼らを駆り立てるためダンスや接 吻、抱擁をし、その合間にぼくを膝に座らせてわくわくさせた」ブラームスは幼少期の女性についてのべている。その影響か、彼は結婚もせず、束縛もされず、 またお金で女性を買うこともあった。
 若い頃のブラームスは、金髪に青い瞳のイケメンタイプであった。周りの女性も実力のある若くてかっこいいブ ラームスを放っておくはずはなく、青年時代は何人かの女性と仲良くなっては離れるということを繰り返していた。ブラームスは付き合いだすと結婚を考えずに はいられなくなるタイプで、結婚したら拘束されるというジレンマを抱えていた。そのため女性との関係が盛り上がるとブラームスの方から逃げてしまうのだっ た。
 ブラームスのピアノ演奏は悪くはなかったが、彼の地味な性格的は演奏家には向いていなかった。演奏家の代わり作曲家になるが、20歳の頃、 彼はシューマンの元へ出向き書き溜めた曲を次々と披露した。43歳のシューマンはこの若い作曲家のにほれ込み、ブラームスを世に送り出す記事を書いた。無 名新人のブラームスが活躍できたのは、シューマンのサポートがあったらこそである。
 20歳のときに出会った恩師シューマンが彼の恋愛人生に大き く影響する。ブラームスの才能にほれ込んだのはシューマンだけでなく、その妻でピアニストだったクララもそうだった。1854年シューマンは自殺を図り精 神病院に入る。その知らせを聞いたブラームスはすぐにクララのもとに駆けつけ、こどもの世話から家事にいたるまで家族のようにクララを支えた。そして「愛 するクララ。あなたをこよなく愛しています。」という手紙も見つかっている。14歳も年上のクララとの仲は、周囲も分かるようになり、入院中のシューマン もそれに気づいた。自殺騒動から2年後、シューマンは入院中に亡くなり、ブラームスとクララは別れてしまう。 理由は確固たる証拠があるわけではない。
  クララのもとから離れたブラームスは、アガーテという女性に恋をして婚約までおこなう。しかし「結婚して束縛されたくない」という手紙を残してブラームス は去ってゆく。そしてこともあろうにクララの元に戻っていく。その後も「ブラームスは女性と仲良くなると、自ら別れを告げ、クララのところに戻る」このこ とを繰り返した。つかつ離れずの関係を続けたブラームスとクララ。その関係はクララが76歳で他界するまで続いた。
 生前、この二人は作品や演 奏について相談したり議論をしたりする最高の友人だった。二人の関係がプラトニックだったのか、そうではなかったのか分からないが、プラトニックだったと しても、そこには音楽を中心に二人の愛情があったといわざるを得ない。ブラームスの才能はこのクララの精神的な支えがあって成立したのであろう。