絵画に恋する

デボンシャー公爵夫人ジョルジアーナ

1787 ゲインズバラ

 漫画「ルパン三世」は、話術巧みな美女・峰不二子をかたわらに、相棒と組んで金庫破りや宝石を盗む。足跡は決して残さないが、彼らを数十年も追い続ける探偵がいる。このような怪盗が実際にいたのである。なぜか憎みきれない大泥棒と、彼の心をとらえ25年間も逃避行させた一枚の絵の数奇な運命についてご紹介する。
 19世紀末のことである。ヘンリー・レイモンドは上流階級の人々が集うロンドンの一等地に住み、優雅な生活をおくっていた。いつも紳士的なふるまいで、ヨットで航海を楽しみ、誰もが生まれながらの大富豪と信じていた。しかし彼こそ、数々の未解決盗難事件の首謀者であり、1876年、ロンドンのアグニュー画廊から忽然と消えたゲインズバラの傑作「デヴォンシャー公爵夫人」を盗んだ本人だった。
 通称「ヘンリー・レイモンド」は本名をアダム・ワースといった。若い頃は銀行の金庫破りや宝飾盗難でキャリアを積み、やがて米国と欧州を網羅した独自の犯罪ネットワークを築きあげる。コナン・ドイルの小説「シャーロック・ホームズ」に登場するホームズの宿敵モリアーティ教授は、このワースがモデルだされているが、極悪人モリアーティとは異なり、ワースは暴力を嫌い、部下に殺傷沙汰を起こさぬよう戒め、過失に寛大で仲間に格別の忠義を誓っていた。犯罪者にしては珍しいタイプだった。
 「デヴォンシャー公爵夫人」は、競売史上最高額10,100ギニー(現在価格約2億5千万)で落札され、アグニュー画廊でお披露目会をした後、落札者J.S.モルガン(米国モルガン財閥創始者J.P.モルガンの父)の手に渡る予定だった。この肖像画は、1787年トマス・ゲインズバラによって描かれ、デヴォンシャー公爵夫妻の屋敷に飾られていたが、1806年、侯爵夫人が亡くなり、その後、行方がわからなくなった。しかし1841年、英国のある女教師宅から発見された。ただし発見された絵はキャンバスから切り取られ暖炉の上に飾られていた。
 6年後、その作品を美術商が買い取り、繊維工場経営者の手を経て、1876年にあの有名なクリスティーズの競売にかけられ、入札の結果アグニュー画廊が落札した。
 ところが霧のたちこめる夜、アダム・ワースと2人組が画廊に忍び込み、フレームから作品を切り取り、持ち去った。当初、ワースはこの絵画を獄中にいる弟の保釈金にして釈放させるつもりでいたが、金を用立てる前に弟はあっさり釈放されてしまう。

 警察はワースをマークし始めたため姿を消した。以後26年間、ワースはどこへ行くにもこの肖像を持ち歩いていた。いつしかこの公爵夫人の魅力に憑りつかれ手放せなくなった。アフリカに渡ってダイヤモンド原石を盗む時も、渡米する時もトランクの底に隠して片時も離さなかった。彼は盗んだ大量のダイヤモンドを元手にダイヤモンド商会所を開き、富豪としてロンドンの社交界に登場する。
 米国のピンカートン探偵社は、1769年頃からアダム・ワースに目をつけ、絵画盗難事件も彼によるものと睨んでいたが、証拠がなく、逮捕に至らなかった。ワースは複数の仲介者を通じて仲間に盗難計画を伝えたため、自分の足跡を残すことはなかった。
 しかし16年後、ワースは列車強盗に失敗して逮捕され、懲役7年の判決を受け、1893年からベルギーの監獄に収容されたことがあった。この際、米国警察が「ゲインズバラの絵画を渡せば釈放する」と獄中のワースに打診したが、ワースはがんとして沈黙を守り、結局素行が良かったため4年で刑期を終え出獄する。
 出獄はしたが、健康を害していたワースは、ついに「公爵夫人」を手放す決心をする。ワースの古くからの友人で後見人でもあるパトリック・シェーディは、ピンカートン探偵社が絵画返却に協力することをワースに告げ、長年追ってきた者と追われてきた者が対面することになった。探偵ウィリアム・A・ピンカートンは、かつて「犯罪のナポレオン」と呼ばれたワースが死を目前に控えていると悟り、手厚くもてなし、問題の絵画をアグニュー画廊のオーナーに責任を持って送り届けた。
 「公爵夫人」を画廊に返却した翌年、アダム・ワースは子供たちと住んでいた閑静な邸で息を引き取った。ワースからの遺言状を預かっていたピンカートンは、自分たちの父が犯罪者であることを全く知らぬ子供たちに遺産を分配し、子供の一人を探偵としてピンカートン社で雇うことに決めた。ワースがこの世を去る前、「私の25年は公爵夫人との駆け落ちだった」という言葉を残している。
 ピンカートン探偵社にはワースに関する記録が残されているが、そこにはワースが犯した派手な事件記録とともに、「決して仲間や友人を見捨てず、社会的地位に関係なく苦しむ人々に援助を惜しまなかった男」と、長年追い続けたことで逆にワースに愛着を持ってしまった探偵の心理が記されてる。
 貧しい家庭で育ち暗黒街を渡り歩いたワースが、社交界で完璧な紳士として振る舞えたのは、人間関係において汚いことをせず、社交界に現れたのはワースは自分が惚れ込んだ「公爵夫人」に相応しい紳士になろうと努力を重ね、また「公爵夫人」を連れ歩くことで、自分が生まれながらの貴族であるかのような自信と風格を保てると思ったのだろう。
 1994年、第11代デヴォンシャー公爵は「公爵夫人」の肖像を競売で落札し、約200年の時を経て肖像画はチャッツワースに帰還した。描かれた公爵夫人の美貌は色褪せることなく、やはり美しかった。ダイアナ・スペンサー(元英国皇太子妃)の祖先ならばこそ、と見る者に今は亡き「心のプリンセス」の面影を偲ばせている。