ヤン・ファン・エイク

 ファン・エイク兄弟は油絵を発明したことで有名であるが、兄弟が登場する以前からフランドル(現在のベルギー)では油絵が描かれていたことから、ファン・エイク兄弟が油絵の技法を改良し完全なものにしたとされている。

 当時、絵画の主流は「卵黄に顔料を混ぜるテンペラ画」であった。しかしテンペラ画では透明感が乏しく輝きを生み出しにくかった。そのため光をどう描けばよいのか、悩んだエイク兄弟が着目したのは油だった。油絵とは「顔料を亜麻仁油(リンシードオイル)に溶かしたもの」で、何重にも塗り重ねることができた。微妙な色のニュアンスをだすことができ、写実性が増し、まさに絵画の革命で、絵画の可能性を大きく広げることになった。

 イタリアでは中世以来、フレスコ画やテンペラ画が用いられてきたが、油絵技法はフランドル地方からイタリアへ伝えられ、ルネサンス以後は油絵が絵画の主流となった。

 ヤン・ファン・エイク(1395年頃 - 1441年)は弟の方で、兄はフーベルト・ファン・エイク (1358年?から - 1426年)である。14~15世紀のフランドルを代表する画家として兄弟ともに有名であるが、二人の兄弟以外にも弟のランベルト、妹のマルフリートも画家だったので混乱しやすい。エイク兄弟はフランドルのマースエイクの地主階級の家に生まれたとされているが詳細は不明である。

 エイク兄弟はフランドル派といわれる絵画を創始し、兄弟合作のヘントの聖ヨハネ聖堂の祭壇画が有名で、弟のヤンはブルゴーニュ公国の宮廷画家にまで上りつめ、代表作は「アルノルフィニ夫妻の肖像」である。

アルノルフィニ夫妻の肖像

1434年 油絵
ナショナル・ギャラリー(ロンドン)

 

 油彩画の基礎を築き、神の手を持つ男と呼ばれたヤン・ファン・エイクの傑作「アルノルフィーニ夫婦」である。絵具の発明から間もない革新的な作品で、モデルはイタリア・ルッカ出身の銀行家ジョバンニ・アルノルフィーニと、その婚約者ジョバンニ・チェナーミである。

 アルノルフィーニは右手を挙げながら、左手で女性の手を取り、結婚の誓いをしている。妻となるチェナーミは優しい表情でアルノルフィーニを見つめている。

 二人は結婚を誓おうとしているが、神父や証人が見当たらない。しかし当時はドレンド法開催以前だったので、結婚の儀には神父の立会は必要ではなかったのである。画面中央の奥にある鏡には二人の証人が立っているのがわかる。ひとりは赤い服をまとった男性で、青い服を着た男性はヤン・ファン・エイク自身が描かれている。その鏡の上にはラテン語で「ヤン・ファン・エイクここにありき 1434年」とエイクのサインが書かれている。エイクの細密な描写への自信が示されている。またサイン下部の鏡の周囲には、キリストの十字架の道行き(キリストの受難)の10場面が描かれている。芸術家としての自意識と自信を示している。

 この絵のテーマについては、妊娠説、占い説など諸説唱えられていたが、1960年代に、ドイツ人学者がアルノルフィーニとチェナーミの婚礼の儀を描いたと発表して以来、この説が最も有力とされている。チェナーミの手を取り祈りを捧げる姿は、窓から差し込むやわらかい光によって、より厳かで落ち着いた雰囲気をかもし出している。 

 緻密に描かれた背景には信仰心が描かれている。鏡そのものが純潔そのもので、鏡のそばにかけられたロザリオ(真珠)は貞節のシンボルで、右奥のベッドサイドの柄には出産の守護聖女「聖マルガリータ」の像が彫られている。さらに昼なのに一本だけ蝋燭が灯っているのは神がすべてを見守り、結婚を祝福していることを意味している。犬は夫婦間の忠誠と繁栄を、木のサンダルを脱ぎ素足なのは神聖な儀式で聖地に足を踏み入れることを暗示している。左手窓辺には当時は高級だったオレンジが置かれているが、オレンジはエデンの園でイブが食べたリンゴ、つまり原罪を犯す前の純粋だったアダムとイブを意味している。オレンジは純潔と無垢を表し、ふたりが清らかなままの結婚であることを示している。

 信仰心だけでなくアルノルフィーニ家が裕福だったことも強調されている。若々しい妻チェナーミの衣装は、妊娠しているように腹部が膨らんでいるが、これは当時の流行の最先端の服であった。妻となるチェナーミの短く切った円錐形の前髪も当時の流行である。

 布地の豊かな質感、美しく描かれた窓枠、さたに物体に反射する光の様子まで緻密に描かれている。本作はネーデルランド(ベルギー)で描かれ、ヤン・ファン・エイクの卓越した技術から名画として名声を博している。オーストリアのハプスブルグ家やスペインを経由した後、現在の英国へと渡った。

ヘントの祭壇画
ファン・エイク兄弟 1432年 板に油彩
シント・バーフ大聖堂(ヘント)

 ヤンとフーベルトが描いた大作「ヘントの祭壇画」が、シント・バーフ大聖堂に所蔵されている。兄フーベルトが制作を開始するが、1426年に死去。死から6年後に弟ヤンが完成させた。このため、現在でも「ヘントの祭壇画」の主たる作者がフーベルトなのかヤンなのか議論されている。オリジナルのフレームは、1566年にオランダで巻き起こった偶像破壊運動で破壊されてしまっているが、そのフレームには「上回る者は誰もいない画家フーベルト・ファン・エイクがこの祭壇画を描き始め、二番目に優れた芸術家ヤン・ファン・エイクが完成させた」とのヤンの銘が残されていた。

 「ヘントの祭壇画」は複数のパネルで構成された、高さ3m75cm、幅5m20cmの大作で、上段中央には、左から聖母マリア、父なる神、洗礼者ヨハネがそれぞれ1枚のパネルに描かれている。下段にはこの祭壇画の中心テーマである「神秘の子羊の礼拝」、キリストの復活と再生の物語です。精緻極まる圧倒的な写実と、輝きをたたえた鮮やかな色彩。この作品はレオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロといったルネッサンスの巨匠たちが生まれる前に描かれた、人類最初の油彩画である。




ファン・デル・パーレの聖母子
1434年
グルーニング美術館(ブルッヘ)

 聖職者ヨリス・ファン・デル・パーレから、自分の墓碑祭壇画用にとヤン・ファン・エイクに依頼された作品である。大きなオーク板に油彩で描かれた作品で、1434年の秋に制作依頼を受け、2年後に完成している。
 幼児キリストを膝にした聖母マリアが、アダムとイヴの彫刻などで飾られた玉座に座っている。アダムとイヴはキリストの磔刑ならびにキリストの復活の予兆である。そのほか旧約聖書のエピソードが画面中に描かれている。敬虔な雰囲気の屋内でマリアは中央に位置し、その周りを小さく囲むように、右側に依頼主ファン・デル・パーレの守護聖人である聖ゲオルギウスが中世の壮麗な騎士の甲冑に身を包んだ姿で、左側にはブルッヘ聖堂参事会の守護聖人である聖ドナトゥスが描かれている。
 描かれている二人の聖人の名前が、青銅を模した画面最下部の縁にラテン文字で刻まれている。聖ゲオルギウスは、自身の前にひざまずいて描かれたこの絵画の依頼主たる律修司祭ファン・デル・パーレと聖母に敬意を表して脱帽した姿で描かれている。白いサープリス を着用したファン・デル・パーレが手に持ち、読み上げているのは時祷書である。

宰相ロランの聖母
1435年頃 パネルに油彩 66 cm × 62 cm
ルーブル美術館(パリ)


 ブルゴーニュ公国宰相だったニコラ・ロランからの依頼で描かれた。オータンにあったロランの教会区教会ノートルダム・ドゥ・シャステルへの奉納肖像画で、ロランが画面左に聖母子と向かい合って描かれている。ノートルダム・ドゥ・シャステルが1793年に焼失した後は、オータン大聖堂に所蔵されていが、1805年にルーブル美術館へ移された。
 宙に浮かぶ天使が戴冠しようとしている聖母マリアが、ロランに幼児イエスを見せている。屋内は贅沢な飾り彫刻がされた柱を持つイタリア風の広々とした回廊を描いている。広大な背景には宮殿、教会、島々、塔を持つ橋、川、丘、野原などが詳細に描かれた町並みが表現され、この風景はロランが居住し、またそこに多くの土地を所有していたと考えられている。霧がかかった山が遠景に描かれているが、ほかの多くのフランドル風絵画と同様に絵画的効果を意図して、山や谷の勾配は実際のものよりも急峻に描かれている。
 柱の外にはユリ、アヤメ、ボタン、バラが描かれた小さな花壇があり、これはマリアの純潔の象徴となっている。
 室内には正面のポーチと側面の窓の両方から光が差し込み、ファン・エイク独特の複雑な光の表現が描写されている。強固な人格がよく描き出されているロランは毛皮で縁取りされた優雅な衣装を着用し、ロランと同じくらいの身長で描かれた聖母は赤いマントを着用し、幼児イエスは左手に十字架を持っている。
 完璧に表現された柱頭、格子模様の石畳、天使が手にする宝冠や衣服の金細工など、まさしくヤン・ファン・エイクの典型ともいえる見事な作品に仕上がっている。
 他のファン・エイクの作品と同様に、描かれている室内の調度品や人物と床のタイルとを比較すると、ロランとマリアの位置は部屋の奥からわずかに6フィートしか離れていない計算になる。もしロランが部屋の奥の柱の間から外へ出て行こうとするのであれば、身体を無理に縮める必要がある。多くのファン・エイクの作品では室内は小さく描かれることが多いが、その描写は巧妙に計算しつくされたものであり、鑑賞者に圧迫感を与えることはない。
 赤外線リフレクトグラムによる調査によって、この作品には下絵の段階から多くの変更と修正が行われていることが判明している。例えばロランの腰に巻かれた帯には大きな財布が吊り下げられていた。しかしロランが他の宮廷人とくらべて実際に非常に裕福であったため、不適切な表現であるとして消された可能性がある。記録によれば、もともとのこの絵画は「アルノルフィーニ夫妻像」と同様に、木製の額縁には献辞の入ったものであった。
 聖母マリアは幼児イエスを膝の上に抱いて座っているが、このポーズはローマ・カトリック教会において聖母を意味する伝統的なものである。ロランの前に開いて置かれている装飾写本のページには「D」という文字が見える。これは早課の冒頭の一節「主よ、私の唇を開きたまえ (Domine, labia mea aperies)」の可能性があり、もしこの推測が正しければロランの本は時祷書ということになる。
 描かれている回廊のスタイルは、他の多くのファン・エイクの絵画と同様に当時フランドルで主流だったゴシック建築様式ではなく、豪奢で優美なロマネスク建築様式で表現されている。描かれているのはおそらく当時のオータンの建築物そのものではなく「エルサレムの神の都市」であり、現界の権力者であるロランと天界の権力者であるイエスとの出会いが二つの異なる世界を融合させている。
 この絵画には七つの大罪を意味するモチーフが描かれている。ロランの頭上に描かれたレリーフには左から、「アダムとイブの楽園追放(高慢)」、「カインのアベル殺害(嫉妬)」、「ノアの泥酔(暴食)」である。ロランの背後に描かれた柱頭のライオンの頭は憤怒、そして柱基部には押しつぶされた小さなウサギが描かれ、これは中世では色欲を意味していた。これら現世の罪はすべてロラン側に描かれ、イエスとアリアの側には描かれていない。

画面中央遠景には、バルコニーか橋の上に、布や帽子を被った2人の男性が描かれている。この作品以前の「アルノルフィーニ夫妻像」で、ファン・エイクが自 分の肖像を画面中央の鏡に描いたように、この2人はファン・エイク自身と彼の助手である可能性がある。右側の男性は、ナショナル・ギャラリーが所蔵する ファン・エイクの自画像とよく似た赤い帽子を着用している。男性たちの近くに描かれた2羽のクジャクは不朽の名声と自尊心を象徴している。

 ヘントのシント・バーフ大聖堂前庭に建てられた兄フーベルト・ファン・エイク(左)と、弟ヤン・ファン・エイク(右)の像。弟のヤンはブルゴーニュ公国のフィリップ善良王の侍従兼宮廷画家だったが、兄のフーベルトに関する記録は殆どない。