重信房子をかくまった医師

重信房子をかくまった医師 平成13年(2001年)

 平成13年3月25日、警視庁と大阪府警の合同捜査本部は山形県余目町の前病院長・村田恒有(55)を犯人蔵匿の疑いで逮捕した。村田恒有が犯人蔵匿罪とされたのは、国際指名手配中の日本赤軍最高幹部・重信房子(55、殺人未遂罪などで起訴)を、かつて千葉県内のマンションにかくまったからである。

 村田恒有が重信房子をかくまったのは、村田恒有が千葉県船橋市の千葉徳洲会病院の院長職にあった時期で、かくまったといっても、平成10年8月25日から5日間、病院が借り上げていた船橋市の分譲マンションに宿泊させただけであった。その後2人は、東京・お茶の水の居酒屋などで3回接触し、長野県の軽井沢に1泊2日でドライブをしていた。平成12年11月8日に重信房子が関西で逮捕され、押収したメモに村田の携帯電話番号と村田の部屋の鍵が見つかったため犯人蔵匿とされた。

 かつての村田恒有は東京医科歯科大在学中に社会主義学生同盟に参加し、副委員長を務め公務執行妨害で懲役10月、執行猶予2年の判決を受けていた。当時の医学部の学生はインターン制度、日韓条約、原子力潜水艦寄港などについて熱い議論を交わすことが日課のようであった。村田恒有は在学中に明大闘争を支援し、明治大学の学生会館に泊り込み、そのときに明治大学の学生だった重信房子と知り合った。重信房子はキッコーマン醤油に務めていたが、教師を目指して明大第二文学部に在籍し、重信房子はその後、赤軍派に加わることになる。

 村田恒有は、昭和46年3月に大学を卒業すると外科医として都立病院などに勤務。平成3年1月から平成10年12月まで千葉徳洲会病院長を務め、平成11年1月から山形県余目町の病院長をしていた。平成13年3月9日に退職し、妻と子供が3人いた。平成10年7月の参院選で千葉選挙区から、平成18年6月の衆院選では比例代表東北ブロックから自由連合の候補として立候補したがいずれも落選している。

 かつて過激派といわれていた赤軍派は、首相官邸占拠を狙って武装蜂起を計画していたが、事前に訓練中のメンバーが大量に逮捕され(大菩薩峠事件)、そのため「日本では革命を起こせない」と活動の場を海外に求めた。昭和46年、重信はレバノンへ出国して日本赤軍を創設、パレスチナ解放人民戦線と連携することになった。同じように北朝鮮に根拠地を求めたのが、よど号をハイジャックした田宮グループだった。

 その後、日本赤軍は国際テロ組織として多くの事件にかかわることになる。昭和47年にテルアビブ空港襲撃事件で100人以上の死傷者を出し、昭和50年のクアラルンプール米大使館占拠事件では、日本政府に三菱重工業爆破事件、あさま山荘事件の殺人犯の釈放を要求、日本政府は要求に屈し板東國男ら5人を超法規的措置で釈放させていた。昭和52年には日航ハイジャック事件を起こし、当時の福田赳夫首相が「人命は地球よりも重い」として、爆破犯の大道寺あや子ら6人を釈放、身代金600万ドル(約16億円)を出した。さらに昭和61年にはジャカルタ事件、昭和62年にはローマ事件、昭和63年にはナポリ事件など次々とテロ事件を起こしていた。

 レバノンを拠点とした重信房子と、よど号ハイジャックの犯人たちは、欧州でしばしば会っていた。しかし世界の情勢が変わる中で、日本赤軍やハイジャック犯は次第に行き場を失い、日本赤軍の残党は密かに帰国しようとした。

 日本赤軍のメンバーは世界各地で次々と逮捕され、平成12年11月8日、極秘に帰国していた重信房子も大阪府高槻市で逮捕された。かつて「テロリストの女王」「全共闘のマドンナ」と呼ばれ、どこか神秘的な美人闘士として、名をなしていた。その重信房子の突然の逮捕に、あるいは年月を経た重信の容貌の変化に多くの国民は驚いた。

 東京地検は村田恒有を犯人蔵匿、犯人隠避の罪で東京地裁に起訴。東京地裁の福士利博裁判長は数々の国際テロ事件へ主導的に関与した重信被告をかくまい、刑事司法手続きを妨害したとして、村田恒有に懲役1年6月、執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。

 この事件で村田恒有は執行猶予がつく軽微な判決で、村田恒有は院長を辞めており、社会的制裁を受けていて、適切な判決だったといえる。村田恒有は「1日も早く新しく病院に就職し、地域、患者のために専念したい」と述べていた。しかし平成14年、厚生労働省の医道審議会は村田恒有に最高刑である医師免許取り消し処分を行った。

 その年に医師免許を取り消されたのは6人で、他の5人は殺人、放火、女性患者への強制わいせつ行為であった。裁判所が執行猶予付きの軽微な刑罰を与えたのに、医道審議会は医師免許剥奪という裁判所以上の刑罰を与えたのである。犯人をかくまうのは犯罪であるが、「帰れ」と旧友に言えなかった村田の心情も十分に理解できる。少なくても医師免許を取り消されるほど医道に外れた行為、医師にあるまじき行為とは思えないが、この医道審議会の判断をどのように受け止めればよいのだろうか。なお重信房子には懲役20年が確定している。