日歯連闇献金事件

日歯連闇献金事件 平成16年(2004年) 

 日本歯科医師会(日歯)の政治団体である日本歯科医師連盟(日歯連)による政治資金不正処理が明らかになった。そのきっかけは、平成15年11月9日の衆院総選挙で日歯が推薦していた吉田幸弘議員が落選したことである。

 歯科医師である吉田議員は、平成8年に新進党から出馬して初当選。平成12年には自民党から出馬し、日歯の臼田貞夫会長は吉田議員を比例名簿の上位に掲載するように働き掛け、その結果、吉田議員は比例東海ブロック3位で当選した。ところが平成15年の衆院総選挙で吉田議員が落選、吉田議員の政治資金収支報告書からその不正が暴かれることになった。吉田議員の収支報告書と日歯連の報告書の金額に食い違いがあったからである。

 このことから様々な不正が暴かれることになった。それは日歯会長選挙でのキックバック事件、中央社会保険医療協議会(中医協)汚職事件、日歯連の政治資金の不正処理、日歯会長・臼田貞夫の業務上横領などであるが、この事件の背景は平成12年3月の日歯会長選挙にさかのぼる。日歯会長選挙で臼田貞夫が4選を目指していた前会長の中原爽を破ると、臼田会長と内田裕丈常務理事が政治献金の決定権を独占するようになった。臼田会長が吉田議員の政治資金を全面的に支援したが、吉田議員が選挙で落選すると、吉田議員の政治資金報告書から臼田会長を取り巻く不正事件が芋づる式に引きずり出されることになった。

 中医協は2年に1度の診療報酬の改定を決める諮問機関である。日歯は長年にわたる診療報酬抑制に対し、平成14年4月の診療報酬改定で「かかりつけ歯科医初診料」を設け、歯科診療報酬を上げてもらおうと画策した。平成13年、臼田会長ら5人は、対立する立場の下村健(元社会保険庁長官)ら2人に約330万円のわいろを渡し、下村健は歯科医師に有利な発言をするようになる。

 下村健委員は、厚生省保険局長から社会保険庁長官、健保連副会長と渡り歩き、9年間中医協の委員を務め、医療界ではボス的な存在であった。平成16年4月、東京地検は関係者を贈収賄容疑で逮捕したが、医療界の超大物である下村健の逮捕に医療関係者は驚いた。

 日歯連闇献金事件とは、平成13年7月2日、東京都港区の料亭で臼田会長が、橋本派会長の橋本龍太郎元総理、野中広務元自民党幹事長、青木幹雄自民党元参院幹事長ら3人に1億円の小切手を渡した事件である。それは日歯会長選挙の対立候補だった中原爽が参院選挙に出馬することになり、選挙を有利に運ぶための献金であった。

 1億円の献金自体には違法性はないが、政治資金規制法違反(不記載)とされ、臼田貞夫と橋本派の会計責任者滝川俊行が逮捕され、臼田貞夫は懲役3年、執行猶予5年の有罪判決を受け、滝川俊行は禁固10月、執行猶予4年の判決が下った。

 橋本龍太郎元総理と青木幹雄は証拠不十分で不起訴となり、野中広務は関与が消極的として起訴猶予となった。そして橋本派から小切手授受の料亭にいなかった村岡兼造が起訴された。村岡兼造は料亭現場にはいなかったが、平成14年3月13日の橋本派幹部会で、日歯からの1億円の領収書発行の要請を断ったことが起訴理由となった。

 村岡兼造は「幹部会で闇献金の話が出たことはなく、1億円については報道で初めて知った」と無罪を主張。一審の東京地裁は橋本龍太郎、野中広務、青木幹雄が証人として出廷し、村岡兼造と対峙することになった。村岡兼造は橋本龍太郎が首相の時の官房長官である。

 この構造は、リクルート事件で竹下登首相をはじめとした数十人の国会議員や経済人が関与しながら、政治家では藤波孝生官房長官だけが起訴された経緯と似ていた。

 平成18年3月30日、東京地裁の川口政明裁判長は村岡兼造に無罪判決を言い渡した。無罪となったのは橋本龍太郎元首相や自民党全体に累が及ばないように虚偽の証言をしたと判断したからである。しかし検察は控訴し、平成19年5月10日、東京高裁の須田賢裁判長は村岡兼造に禁固10月、執行猶予3年の逆転有罪判決を下した。平成20年7月14日、最高裁は上告を棄却し、村岡兼造の有罪が確定した。

 この一連の事件は臼田貞夫会長が診療報酬を上げるため、歯科系議員を増やすことが動機だった。しかし吉田議員に5000万円を現金で渡し、そのうちの3000万円をキックバックさせ、自分の日歯会長選挙の工作に使っていた。全国の歯科医師から集めた会費を自分の会長選挙に使っていたのだから、歯科診療報酬の引き上げが動機だったとしても、臼田貞夫会長に同情の声は少なかった。なお臼田貞夫会長は歯科医師免許を取り消され、吉田幸弘元議員は歯科医業停止3年の行政処分を受けた。