横浜市大患者取り違え手術

横浜市大患者取り違え手術 平成11年(1999年)

 平成11年1月11日、横浜市金沢区にある横浜市立大付属病院(腰野富久病院長)で、心臓手術予定の男性患者A(74)と肺手術予定の男性患者B(84)が取り違えられ、手術が行われる前代未聞の事件が起きた。この信じられない事件がどのように起きたのか、この事件を単なる初歩的なミスとして扱うのではなく、日本の医療が抱えているシステム上の問題として考えてみたい。

 横浜市大病院の第1外科病棟では、看護師は3つのグループに分かれて、グループごとに受け持つ患者を決める方式を採用していた。このグループ別による看護方式は米国の看護制度(モジュール)をまねたもので、患者と主治医の関係と同じように、なるべく看護師が特定の患者を担当できるようにするためであった。米国のモジュールを取り入れてのことであるが、患者1人当たりの看護師の数が、日本は米国の3分の1以下なので、ゆがみが生じないはずはない。

 朝8時20分、ちょうど病棟では看護師の申し送りの時間であった。そのため深夜から徹夜で働いていた看護師C(27)が心臓手術予定の患者Aと肺手術予定の患者Bが乗った2台のストレッチャー(担送車)を交互に動かし4階の手術室に向かった。患者A、患者Bは看護師Cのグループの患者でなかったため、看護師Cは患者A、患者Bと面識がなかった。

 手術室の入り口まで搬送すると、看護師Cは患者A、患者Bと一緒にカルテを手術室窓口の看護師Dに手渡した。患者の取り違えは、この時の氏名の確認に不備があった。それぞれの担送車の下のかごに患者Aと患者Bのカルテが入れてあったが、もしこのとき、カルテと患者を照合して確認していればこの取り違えは起きなかった。しかし看護師Dは患者Aに対し、「金曜日にお伺いしたDです。Bさんよく眠れましたか」と声をかけたところ、患者Aは「はい」と答えた。また看護師Dが「Bさんおはようございます」と声をかけると、患者Aはうなずいた。

 2人の患者は自分の名前とは違う名前にうなずいたが、これは手術前の緊張に加え、患者Aには麻酔前にモルヒネが投与されていて、患者Bは耳が遠かったために反射的にうなずいたのである。手術室のスタッフは患者確認のため、会話の最初に相手の名前を言うようにしていたが、術前の麻薬投与や難聴の患者は、その確認をすり抜けてしまうという落とし穴があった。看護師Dと2人の麻酔科医は、1月8日の金曜日に患者Aを病室に訪ねていたが、手術日が月曜日だったため、患者の取り違いに気付かなかった。

 患者Aについて手術室では次のような経過をたどった。麻酔科医Kが「Bさん、点滴をやりますよ」と声をかけて点滴を確保。患者の背中に狭心症治療薬フランドルテープが貼ってあったが、麻酔科医Kは疑問を持たずにはがして硬膜外麻酔を始めた。研修医T、術者である執刀医R(助手)、執刀医S(講師)が入室。手術は午前10時05分に開始された。

 患者Bの手術は、肺の腫瘍が悪性かどうかの診断のためだった。開胸手術で悪性ならば肺を摘除する予定であったが、ここで偶然が働いた。患者Aにも患者Bの肺と同じ部位に嚢胞様病変(良性の変化)が認められたことから、肺の嚢胞切除術が行われ、午後1時50分に手術は無事に終了した。

 一方、患者Bは手術室で、手術担当看護師HとIが、心電図のシールを貼って血圧計を巻きながらAさんの名前を言うと、患者Bはハイと返事をした。その後、麻酔科医Mが手術室に入室。麻酔科医Mが「Aさんですか。おはようございます」と声をかけると患者Bはうなずいた。麻酔科医Mは患者の顔を見て何の疑問も持たず、次に麻酔科医L(助手)、麻酔科医V(教授)が手術室に入室してきた。

 麻酔科医Mは金曜日に病棟を訪ねたときには、入れ歯と聞いていたのに歯が全部そろっていたこと、患者の髪が短く白髪が多いことに気付いた。またカテーテルを挿入して肺動脈圧、肺動脈楔入圧を測定すると、術前の異常が見られなかった。食道から超音波検査で病変を確認しようとしたが、術前の所見と異なり左心房の拡張を認めず、また僧帽弁逆流も軽度であった。

 午前9時15分、執刀医グループの医師Q、N(助手)が入室。麻酔科医L、Mと執刀医N、Qは、もしかすると患者はAではないのかもしれないと思った。しかし患者の頭髪が短いのは、前日に散髪したと解釈。肺動脈圧、肺動脈楔入圧が正常なのは、麻酔によって末梢血管が拡張して一見正常に見えていると考えた。エコーの所見が前回と違っていたが、それは病状が変化したためと解釈した。麻酔科医Mは、念のため看護師Iに、患者Aが病棟から手術室に降りているかどうかを病棟に確認するように指示した。

 看護師Iは、「Aさんの手術をしている手術室のものです。医師がAさんの顔が違っていると言っているというのですが、Aさんは降りていますか」と病棟へ問い合わせた。病棟看護師は、「Aさんは確かに手術室におりています」と返事をしたため、Iは「Aさんは間違いなくおりています」と手術室内の全員に伝えた。

 午前9時35分、心臓血管外科グループの指導者外科医Y(講師)が、手術立ち会いのため手術室に入室。外科医Yは麻酔科医に、肺動脈圧および経食道エコーの所見が術前と異なること、患者Bの顔が、以前Yが外来で診察したときの患者Aと異なる印象を持ち、「違うのではないか」と言った。しかし手術担当看護師Iから「Aさんは病棟から降りている」との返事があったこと、ほかの医師から疑問が出なかったことから、Aさん本人と考えた。

 執刀医N、Qは、麻酔科医が外科医Yと話しているのを聞いていたが、外科医Yが特に指示を出さなかったため、手術は午前9時45分に開始された。胸骨と心膜を切開後に、執刀医グループの責任者であるX(教授)が、午前10時40分頃に手術室に入室した。

 外科医Yと執刀医Xは、検査結果を再検討したが、肺動脈圧の低下、高度だった僧帽弁逆流が軽度なのは、麻酔薬による末梢血管拡張、人工呼吸により肺うっ血が軽快したためで、見かけ上心機能が改善していると解釈した。その後人工心肺を開始、左心房を切開して弁の逆流試験を行った。弁の逆流は予想よりも軽度であったが、僧帽弁前交連よりの逆流、前尖の肥厚・逸脱と腱索延長を認めた。同部が病変と考え僧帽弁形成術を施行した。再度逆流試験を行い、逆流の消失を確認して、午後3時45分、患者Bの心臓手術が終了した。

 手術後、患者Aは午後3時50分に、患者Bは午後4時20分に、それぞれICUに移動した。患者AはICU6番ベッド、患者BはICU5番ベッドに運ばれた。午後4時40分、ICUの看護師が5番ベッドの患者Bの体重を測定、その結果を見た患者Aの主治医O(助手)と麻酔科医Mは、患者Aの体重(60kg)と異なるため、この患者はAさんではないのではと疑った。午後4時45分、ICUの医師Z(患者Aの元主治医グループの1人)が、患者Bを診察し患者Aの主治医Oに「Aさんとは顔が違うのでは」と言った。主治医Oも「そういえば、もう少し眉毛と髪の色が濃かったような気がする」と答えた。

 ICUの医師Zはひょっとしたら2人が入れ替わったのかもしれないと思い、隣の6番ベッドに行き患者Aの心音を聴くと、10月に検査入院したときと同じ心雑音が聴かれた。そこで6番ベッドの患者Aに「Bさん」と呼びかけると、「はい」との答えがあったが、「お名前は何ですか?」と聞いたところ、「Aです」との答えが返ってきた。

 これが患者取り違い事件のあらましである。

 横浜市立大付属病院の説明によると、取り違えられた男性患者2人はいずれも高齢で体形も似ていた。病棟の看護師、手術室の看護師はそれぞれ本人の名前を呼んだが、それ以上本人の確認を取らなかった。手術室では本人確認はすでに終わっていると判断、髪の長さの違いは散髪をしたと思い込んでいた。さらに肺手術室では、心臓病患者特有のフランドルテープが背中に貼ってあったが、何の疑問もなくはがしてしまい、頭部と背中には以前に受けた手術の跡があったがチェックせず、結局30数人の専門家がかかわりながら、間違いに気付かなかったのであった。また自己血輸血を予定していた患者の血液を、そのまま別の患者に輸血していたが、偶然、血液型が同じだったため大事に至らなかった。

 この前代未聞の横浜市大患者取り違え事件は、日本中に大きな波紋を引き起こした。また日本中が医療不信となるきっかけをつくったが、この事件には多くの問題が含まれている。

 まず心臓や肺という重大な手術を行うのに、医療スタッフのほとんどが患者と面識がなかったことである。また患者の確認行為も名前を呼ぶだけのものであった。これは人間を相手にした医療ではなく、流れ作業による修理工場の姿であった。このことは巨大化し、複雑化した現在の病院全般に共通することであった。

 多くのマスコミがこの事件を単純ミス、犯罪的行為と解説しているが、最も大切な部分が欠落している。それは「1人で2台のベッドを運ぶことは、物理的にも困難なのに、なぜ1人の看護師が2人の患者を手術室に運んだのか」という点で、それは看護師が人手不足だったからである。不注意が重なって重大な結果を招いたことに弁護の余地はないが、ここで指摘したいのは、病院における人手不足が、医療事故を誘導したということである。

 例えば、米国では患者を搬送するのは救急救命士の資格を持つ搬送専門家がいて、看護師が患者を搬送することはない。米国では「1人の患者を数人の看護師が看る」のが常識であるが、わが国の大学病院では「1人の看護師が10人の患者を看る」のが通常で、今日でも改善していない。

 大学病院でさえ、このような人材不足である。医療従事者が少ないのは、先進医療がなかった古い時代の看護師定員を、増員していないからである。看護師増員を真剣に求めてこなかった大学関係者の怠慢、増員要求に応じなかった文部官僚と厚生官僚の責任である。また少ない人員で診療しなければ赤字を招くという診療報酬のなせるところであった。わが国の国民1人当たりの医療費は米国の半分にも及ばず、先進国では最下位である。すなわち日本の医療費を増やして、患者にリスクを負わせる医療を早急に改善すべきであるが、それがなされていないのである。「医療費を増やせば、医者を儲けさせる」というのは化石的発想で、患者取り違えの医療ミスの根底にある人材不足を改善させるべきである。

 医療情報の開示が流行語になっているが、わが国の病院の医療従事者は極めて少なく、国民がいかに大きなリスクを負い医療を受けている事実を国民に知らせなければいけない。

 日本の大学病院の病床当たりの看護師数は米国の3分の1、欧州の2分の1以下で、医療事故がいつ起きてもおかしくない環境にある。今回の事故は、この実態を垣間見させたが、医療人不足を指摘する声は極めて小さい。今回の不幸な事故を教訓に、病院医療の根本的な解決に向けての議論が高まることを期待したが、マスコミはいつものように犯人捜しに終始した。

 平成13年9月20日、横浜地裁で業務上過失傷害の罪に問われた横浜市大病院の医師と看護師の計6人への判決公判がであった。田中亮一裁判長は患者確認という医療行為で最も根本的かつ基本的行為を怠り、医療への信頼を大きく失墜させ、また社会的影響も大きいとして5人に有罪判決を言い渡した。

 取り違えの原因をつくった手術室看護師・河埜陽子(36)に禁固1年(執行猶予3年)の実刑判決。病棟看護師・山口昌子(28)は患者名をはっきり伝えずに引き渡したとして罰金30万円の判決であった。判決理由としては、河埜陽子は手術室前の通路で山口昌子に患者2人を続けて渡すように指示し、さらに患者名を確認せず、カルテを一緒に受け取らないミスを重ね、このことが今回の事件での過失が最も重いとした。

 心臓の執刀医の元第1外科部長・高梨吉則(57)は患者の心臓の状態が手術前の検診より良好だったのに取り違えに気付かずに手術したとして罰金50万円。肺の執刀医の冨山泉(37)は患者の肺に腫瘤が見つからなかったのに手術を続けたとして罰金30万円。麻酔科の宮原宏輔(30)は、患者の背中に心臓の病気の治療剤(フランドルテープ)が貼られていたのに、肺の患者と思い込んでテープをはがして麻酔をかけたとして罰金40万円。佐伯美奈子(32)は麻酔前の問診で患者の名前を呼び、疑問に思って電話で病棟に確認させ、周囲の医師にも相談するなど注意義務を尽くしたとして無罪になった。

 横浜市大病院は「患者取り違え事故」をきっかけに事故の防止策を検討、患者の手首にカルテ番号や名前を明記した識別バンドをつけ確認を徹底するようにした。それまでは医師や看護師は患者の顔を覚えておくべきとの原則論から、患者をモノ扱いする識別バンドは見送られていた。そのほか手術スタッフによる術前の患者訪問、患者に名前を名乗ってもらう方法、麻酔開始時の主治医の立ち会い、1病棟からの複数の手術は時間をずらすこと、などが挙げられた。

 患者2人はこの事件から1年以内に、取り違え手術とは無関係の病気で死亡している。このことは結果論とはいえ、2人の患者の手術はもともと不必要だったといえる。