救急救命士の気管内挿管

救急救命士の気管内挿管 平成9年(1997年)

 秋田県の脳卒中による死亡率は、全国平均の1.5倍で、戦前から全国第1位であった。このことは、秋田県の脳卒中死亡率は世界1であることを意味していた。

 秋田県はこの不名誉なレッテルを返上するため、昭和43年から「脳卒中撲滅運動」を実施。塩分制限などの生活改善に加え、同年、秋田県立脳血管研究センター(脳研)を設立させた。

 昭和43年当時、脳卒中は倒れた場所から患者を動かさないことが原則であった。しかし脳研はそれまでの常識を変え、患者をすぐに病院に搬送する方式を取り入れた。また24時間体制で医師と看護師が救急車に同乗して、救急車に患者が乗ると同時に気管内挿管などの救命処置を行った。この秋田脳研方式により救命率が劇的にアップし、脳卒中発症後の死亡率は全国平均が47%なのに、脳研では9%と飛躍的な改善をみせた。この好成績がその後の「全国の救命救急センタープラン」のモデルになった。

 ところが、平成9年11月11日、秋田市の救急隊員が気管内挿管を日常的に行っていることをマスコミが報道、全国的に大きな波紋をよんだ。気管内挿管とは「気管にチューブを挿入し、酸素を吸入させること」で、医師だけに認められた医療行為であった。たとえ緊急避難であっても、救急隊員の気管内挿管は違法行為であった。秋田市の警防課長は「気管内挿管は、医師の指示のもと緊急避難的に行ったもので、日常的に行ってはいない」と言い訳じみた説明を述べた。

 秋田市消防本部は救急隊員に挿管を行わないように緊急指示、救急車に備えられていた気管支挿管の器具が取り外された。秋田市当局は「救急隊員が助けたい一心で行ったもので、大変申し訳なく思っている」と述べ、救急業務調査検討委員会を設置して消防本部に残されたデータの分析や、救急隊員からの聞き取り調査を行った。

 同委員会は救急隊員の医師法違反の調査であったが、世論は反対の方向に進んでいった。「救急隊員の気管内挿管を違法行為」とするよりも、違法行為としている法律、挿管を中止させた行政に批判が集中したのだった。

 平成10年までのデータによると、秋田市では心肺機能が停止した救急患者の1カ月後の生存率は11.52%で、全国平均の2.5倍であった。この秋田市の救命率の高さは、救急隊員の気管内挿管が違法行為であったとしても高く評価された。

 秋田市の救急隊員が気管内挿管を行うようになったのは、平成4年4月からで、年平均で10件ほど行っていたと公表された。しかし後に発表は訂正され、救急出動件数は3万7950件、心肺停止状態の患者は967人、医師の指示がないのに気管内挿管を673件に行い、そのうち49人が社会復帰していたことがわかった。さらに調査が進むと、秋田県内では救急隊員による気管内挿管が1500件を超えていた。

 救急隊員は、医師が行う気管内挿管の介助を想定し、気管内挿管の実習は行っていたが、救急隊員による気管内挿管は医師法違反であった。つまり救急隊の気管内挿管は違法であるが、違法としている医師法そのものが非現実的とする意見が全国に広がっていった。

 平成3年に定められた救急救命士法では、救急隊員は人工呼吸や酸素吸入器による酸素供給しかできなかった。認められたのは、医師の指示のもとで、心肺停止状態の患者における<1>エアウエーによる気道確保<2>静脈路確保のための点滴<3>半自動式除細動器を使った電気ショックだけだった。気管内挿管は、医師の指示があっても行うことができなかった。

 救急隊員の気管内挿管は犯罪のように扱われたが、秋田県・寺田典城知事は法制度の不備ととらえ、制度是正を全国に呼びかけた。その一方で、総務省消防庁は全国の都道府県に「救急業務を行う際は、法令を順守するように」と通知を出し、厚生省も「違反行為には厳正な措置を講じる」と述べた。

 結局、法の不備を議論せず、法の順守のみを優先させることになった。しかしこの件をきっかけに、平成16年7月1日より、所定の講習と実習を受けた救急救命士であれば、気管内挿管ができるようになった。しかし救急隊員は日々の仕事が忙しく、講習を受けられず、救急救命士は少ないままである。