幼児割りばし死亡事件

 平成11年7月10日の土曜日、東京都杉並区内の福祉施設の盆踊りに参加していた杉野隼三(しゅんぞう)君(4歳9カ月)が、祭の綿菓子の割りばしをくわえたまま前のめりに転倒。割りばしがのどに突き刺さり、翌日に死亡するという不幸な事件が起きた。
 事故が起きたのは夕方の6時頃、母親が目を離したわずかな時間であった。杉野隼三君は綿あめの棒(割りばし)を口に入れたまま、何かの弾みで転倒し、割りばしが喉を刺した。隼三君はすぐに救護室に運ばれ救急車が到着した。この時点で割りばしは見つからず、「割りばしは本人が抜いた」と周囲にいた人が述べたが、引き抜いた割り箸の所在は不明であった。隼三君は母親の文栄さん(42)と一緒に救急車で三鷹市の杏林大医学部付属病院に搬送された。救急隊長は傷口の出血はにじむ程度で、舌に血液の付着があることを確認した。受傷時に軽度の意識障害は救急隊員には伝えられなかった。救急隊は男児は意識清明と判断した。隼三君は救急車の中でぐったりとしたまま1回嘔吐した。

 午後6時40分、救急車は杏林大病院に到着。救急隊長と病院看護師は再び傷口の確認をしたが、特別な意識レベル低下を感じなかった。6時50分頃、耳鼻科の医師・根本英樹(31)が舌圧子を用いて診察を行った。口腔には小さな傷口はあったが出血はなく、そのため傷の消毒をして抗炎症剤と抗生剤の軟膏を傷口に塗った。診察時間は5〜10分間であったが、医師が「口を開けて」と言うと、口を開けたので、意識はあると判断した。そのため医師は頭部CT検査や入院は必要ないと判断した。
 隼三君はぐったりしていたが、担当医は母親に「疲れているから家で休ませて、必ず薬を飲ませること、2日後の月曜日に再診すること」を伝えた。母親は「この状態で家に連れて帰っても大丈夫ですか」と尋ねたが、医師は「疲れて寝ているだけだから心配ない」と説明した。
 連絡を受けた父親が迎えに来て、母親と隼三君は帰宅。母親は一晩中、隼三君に付き添って様子を見ていたが、翌朝の6時頃までは話し掛けるとうなずき、大きな変化は見られなかった。しかし7時30分頃、弟が異常に気付き、母親が様子を見に行くと隼三君の呼吸は止まっていた。すぐに救急車を要請、隼三君は再び杏林大病院に収容されたが、午前9時2分、死亡が確認された。死亡後、頭部CT検査が行われ、後頭蓋窩に硬膜外血腫と空気の混入が認められた。
 杉野隼三君は、東京都杉並区井草に住む都立高教諭・杉野正雄さん(47)の三男で、区立井草保育園に通っていた。病院側は事故当日にCTを撮らなかったのは、「レントゲンの被曝の可能性があったから」と家族に説明した。杏林大病院は死亡後のCT検査で割りばしが死因に何らかの関連があると考えていたが、家族には昨日の事故との因果関係については曖昧な説明であった。むしろ、くも膜下出血や脳の先天性奇形などが原因ではないかと強調し、記者会見においても割りばしの関与については曖昧なものであった。
 警察が事件として捜査することになり、死亡翌日、慶応大病院で隼三君の司法解剖が行われた。その結果、のどから左小脳にかけて長さ7.6センチの割りばし片が頭蓋内に残っていたのだった。つまり隼三君の死因は、割りばしが軟口蓋から口蓋底を穿破し小脳を突き刺したことによる頭蓋内損傷だった。
 隼三君の死因が割りばしであったことを公表したのは、杏林大病院ではなく警察であった。警察の発表後、杏林大病院は記者会見を開き遺族に謝罪したが、病院側は「割りばしがのどの奥の硬い骨を突き破って、脳に達することなどは想像できなかった。また医師の言葉に本人がうなずいていたので意識レベルは保たれ、入院やCTスキャンが必要な状況ではなかった」と述べ、病院側にミスがなかったことを強調した。
 隼三君を診察した耳鼻咽喉科医師は2年間の研修を終えたばかりだったが、病院側は「担当医師は、耳鼻咽喉科の専門教育を受けており、患者の診療にまったく支障はなかった」と説明した。
 この不幸な事件の最大の争点は、医療上のミスがあったかどうかだった。家族にとっては、最高の医療を備えている救急病院で大丈夫と言われ、その翌日に死亡したのだから納得できないのは当然であった。マスコミは杏林大病院側の医療ミスとの記事を書いた。発生当時から様々な報道がされたが、その内容は例外なく担当医の非難であった、
 しかしこの事故を知った医師からは、担当医を責める声は少なかった。多くの医師は、過去の経験に基づき診察するが、これまで割りばしが口に刺さった事故はあったとしても死亡例はなかった。死に至るような事態になるとは思ってもいなかった。もし100人の医師がいたとして、何人が適切な医療行為をしたであろうか。割りばしを病院に持参していれば、その短さから体内残留を考えただろうが、割りばしは持参されず、救急隊は「割りばしは抜けていた」と担当医に言っていた。隼三君を診察した医師は、隼三君が呼び掛けに反応し、呼吸や瞳孔に変化が見られず、割りばしが頭蓋内まで刺さっているとは思いもせず、異常なしと判断したのだった。
 死亡直後に行われたCT検査では血塊は映っていたが、割ばしは確認されていない。つまりたとえ来院時にCT検査を行っても割りばしが映っていない可能性が高かった。
 平成12年10月12日、杉野隼三君の両親は適切な診断を怠りわが子を死亡させたとして、大学病院と担当医に約8900万円の損害賠償を求める訴えを起こした。杉野さん夫婦は病院に誠意ある謝罪と説明、再発防止対策を求め、真実を明らかにするために東京地裁に提訴した。
 杉野さん夫婦は杏林大病院が詳細な診察をせず、CTやMRIなどの初歩的な検査が欠けていたと主張。また隼三君の死亡後、「先天的に異常があったのかもしれない」「助かっても植物状態」と配慮のない発言をしたことが精神的苦痛を与えたとした。平成14年8月3日、東京地検は治療を行った当時の耳鼻咽喉科医師・根本英樹容疑者(34)を業務上過失致死罪で在宅のまま起訴した。
 この事件は民事事件と刑事事件の両面から争われた。争点はファイバースコープやCT検査を施行すべきだったのかどうか、もし検査を行っていたら救命できたかどうかであった。検察側は「ずさんな診察によって、救うことが可能だった命が失われた」として禁固1年を求刑。弁護側は「割りばしによる脳の損傷は予見できず、救命の可能性はなかった」と無罪を主張した。平成18年3月28日、東京地裁の川口政明裁判長は、根本英樹医師に無罪の判決を下した。ファイバースコープやCT検査を施行すべきであったが、それらの検査をして脳外科が担当しても治療は困難で、延命の可能性は極めて低いとしたのだった。
 平成20年2月12日、東京地裁は民事事件についても病院と医師の過失責任を否定し、両親の請求を棄却した。この事件は1審、2審ともに医師、病院側の過失を認めなかった。
 医療にはまさかと思う落とし穴がある。医師は常に最悪の事態を予想して診察に当たるべきである。しかしこの事件は極めてまれな例であった。担当の医師はこのような事態になるとは予想もしていなかった。医師の力量不足を言う者がいるが、この事件は不可抗力の部分が大きいと思われる。
 この不幸な事件は、子供を持つ親たちの強い関心を引いた。病院のミスを指摘する者、割りばしを持たせて歩かせた親の責任を言う者、救急医療の不備を指摘する者、綿あめ製造者の責任を言う者。このように多くの議論があるが、いずれにしても偶発的な事故であった。
  事件後、この事件を契機として医療崩壊が大きく進行した。それまで、病院の勤務医は労働条件に見合わない低収入や過酷な勤務状況に対しても、不満を自ら封印して社会のために貢献してきたが、善意に基づいて行った医療行為の結果が思わしくなかった場合、刑事責任を問われる事態が起こり、医師が現場から立ち去っていったのである。
 特に救急医療においては、日本では元々救急科医が少なく、こわごわと働く非救急専門医によって支えられてきたが、この事件を期に、医師は自分も犯罪者として糾弾される可能性があると考えるようになり専門外の診療を避ける傾向が強まった。
 また24時間あらゆる事態に即座に対応できる体制にある病院は存在せず、多くの中小の救急病院は、医療紛争を恐れて救急医療から撤退した。このような医師への業務上過失致死傷罪での刑事責任追及に対してマスコミの果たした役割は極めて大きい。

 この事件の判決を「無念の涙」と紹介し、医師の個人名を伏せた上でコメンテーターが「この程度の医療水準でもいいのか」「脳に損傷はないのか、素人でも考えるのに処置できなかった」「担当医に過失があるといってよいだろう」などと断定した。割り箸事件についてのマスコミこそが、今日の医療の危機的状況を作り出したといわれている。
 なお本件等での刑事事件化は、医学研究にも深刻な影響を及ぼしている。現在、刑事責任につながる可能性があるとの思いから、学会や医学雑誌で症例報告、合併症報告、副作用報告が激減している。もし報道機関がその場にいれば「過失あり」と報道されかねないため、学会に行っても相手の間違いを指摘する質問さえし難い雰囲気になった。医師同士の医学的経験・情報の共有を阻害する可能性が示唆されている。 

 病院側にミスがあったかどうかは別として、歯ブラシを口にくわえて歩き回らない、はさみなど先の鋭いものを持って歩かない、もし持つ場合は先端を手で包んで持つなどのしつけが必要である。マスコミは医療事故が起きるとすぐに犯人を捜し、一種の判官びいきをおこなうが、このような事故が二度と起こらないようにするには、事故予防の啓蒙に努めるべきではないだろうか。