鶴見大の歯科医師国家試験漏洩事件

鶴見大の歯科医師国家試験漏洩事件 平成4年(1992年)

 平成4年1月、歯科医師国家試験委員を務めていた鶴見大歯学部(神奈川県横浜市鶴見区)の花村典之教授(57)が中心になって、平成3年度の歯科医師国家試験問題の一部を、鶴見大の約140人の受験生に事前に漏らしていたことが発覚した。

 花村教授は、鶴見大生の卒業試験の成績が悪いことから、国家試験での合格率低下を恐れていた。そこで、国家試験前日の平成3年4月2日の「国家試験壮行会」で、国家試験の漏洩(ろうえい)講義を行った。

 現役受験生全員が鶴見大第4講堂に集められ、自ら作成した問題について黒板に図を描きながら解説をした。花村教授は「おれの首を賭けて教える」と切り出し、自分が担当した臨床実地補綴(ほてつ)科の試験問題15問(全問題数280問)のうち12問の内容と解き方を教えた。

 補綴学とは、歯のブリッジの保持力や材料などに関する学問である。その講義は、国家試験のヒントを教えるのではなく、国家試験の解答そのものの解説だった。

 さらに他の委員が作成した11の問題のキーワードも教えた。「メモを取るな。絶対に口外するな」と徹底した口止めをしての講義だった。

 後の調査で、臨床実地補綴科15問の正解率は、鶴見大歯学部が全国の歯学部の中で1番の成績だった。鶴見大の合格率は90.3%(現役と浪人を合わせた鶴見大受験者186人中、合格者計168人)となり、前年の79.3%を大きく上回った。

 花村教授は、東京医科歯科大を卒業。鶴見大大学院歯科研究科修了課程を経て鶴見大助手となり、鶴見大講師から昭和48年に鶴見大教授、平成元年4月に鶴見大付属病院長となった。平成2年10月からは、国家試験の問題作成に当たる歯科医師試験委員62人の1人として、補綴学の問題を担当していた。

 鶴見大は、大学ぐるみの犯行を否定したが、国家試験前日の「国家試験壮行会」は大学の主催だった。さらに大学当局が会費を徴収しており、大学の関与が強く疑われた。

 花村教授は、「多くの学生を合格させたかった」と動機の一部を供述、神奈川県警は歯科医師国家試験漏洩事件として捜査を開始した。

 平成4年1月16日の深夜、神奈川県警は鶴見大の花村典之教授を歯科医師法違反(守秘義務違反)の疑いで逮捕した。花村教授は「国家試験壮行会」で、受験予定者に試験問題を漏らした容疑を大筋で認め、漏洩は自分の判断で決めたと述べた。鶴見大は、3月31日付で花村教授を懲戒解雇処分とした。

 横浜地裁の公判で花村教授は起訴事実を全面的に認め、荒木友雄裁判長は「国家試験の意義を失わせ、国家試験への国民の信頼を失墜させた。私利私欲ではないにしても責任は重い」として、懲役10月、執行猶予2年(求刑、懲役10月)を言い渡した。また厚生省の医道審議会(森亘会長)は、花村教授に歯科医業停止3年の処分を下した。

 なおこの事件で鶴見大合格者の歯科医師資格をどうするかが議論された。しかし漏洩がどれだけ有利に働いたかの立証が困難なことから、鶴見大合格者の取り消しは行われなかった。

 このように鶴見大で歯科医師国家試験の漏洩(ろうえい)事件が発覚したが、医師国家試験に絡む不祥事は、これが初めてではない。昭和48年には、東京女子医大教授が医師法違反容疑で書類送検された事件があった。耳鼻咽喉科の試験委員であった女子医大教授が、学内向けに作った問題集の一部を国家試験に出題。さらにその問題集のコピーが他の医科大の受験生に出回っていたのである。

 また昭和56年には、山口大医学部の卒業試験と国家試験問題が類似していたことが発覚している。厚生省は不祥事防止のために昭和59年秋の国家試験から、試験委員名を非公開とした。平成元年春の医師国家試験では受験者の替え玉受験があった。しかし、鶴見大の歯科医師国家試験漏洩事件のように約140人もの受験生に問題を漏らした例はなく、厚生省のショックは大きかった。

 ところで全国の歯学部学生の間では、「国家試験の問題が事前に漏れるのは当たり前」との認識があった。国家試験の直前になると、それらしい予想問題と解答が全国レベルで飛び回った。そのため、今回の鶴見大の事件は、これまでの悪しき風潮への警鐘となった。

 平成12年3月、奥羽大(福島県郡山市)の卒業試験の一部が、2年間にわたり国家試験の一部と酷似していることが発覚。この事件発覚のきっかけは、予備校生を名乗る2人の学生の告発によるものであった。告発の動機は「現役の大学生には多くの問題が漏れているのに、予備校生には一部しか漏れていない」との不満によるものだった。しかしこの告発は「現役の大学生は1万円を盗んだのに、自分たちは5000円しか盗んでいない」というのと同じ不純な内容だった。当時、国家試験の問題を作る委員は73人で、作成委員はメモを取ることも、持ち出すことも禁じられていた。そのため委員たちは、事前に漏れることなど考えられないと漏洩を否定した。しかし犯人捜しの結果、奥羽大の3人の教授が国家試験委員である他大学の2人の教授から試験内容を聞き出し、予想問題を作っていたのだった。奥羽大は「教授の行為は情報収集の範囲内で漏洩ではない」と疑惑を否定。奥羽大は、厚生省の疑惑解明に非協力的であっため、十分な解明がなされず、奥羽大が前年度の補助金約4億1800万円を辞退しただけの結末になった。

 私立歯科大学にとって、歯科医師国家試験の合格率は、入学志願者数に大きな影響があった。合格率が高ければ優秀な学生が集まり、低ければ志願者が減り、さらに合格率が70%を割ると、文部省から大学運営補助金が取り消された。大学当局にとって、国家試験の合格率はそれこそ死活問題であった。