ミドリ十字の未承認検査薬事件

ミドリ十字の未承認検査薬事件 平成元年(1989年)

 平成元年1月20日、ミドリ十字による未承認の放射線検査が発覚した。事件の発端は、「福島県郡山市の南東北脳神経外科病院で、未承認検査薬を利用した保険診療報酬の不正請求が行われている」との内部告発状が福島県保険課に届いたことだった。告発状には、レセプトのコピーや内部資料も同封され、極めて信憑性の高いものだった。この時点では、日本中が大騒動になるとは、誰も予想していなかった。

 福島県の特別監査によると、南東北脳神経外科病院では、脳や肺の血流検査用の放射性検査薬として、ミドリ十字の「キセノン133ガス」を使用していた。しかし同ガスは保険で認められていないため、請求可能な日本メジフィジックスのガスを使用したように見せかけていた。不正請求額は、昭和59年からの3年半で約2億9800万円であった。

 厚生省は「キセノン133ガス」を輸入販売していたミドリ十字への調査を開始。その結果、ミドリ十字は昭和58年から無許可で「キセノン133ガス」を輸入し、72の国立病院、94の大学病院、200の公立病院など計706病院に納入し、同ガスの使用で1億円以上を不正請求した病院は14施設に達していた。

 ミドリ十字が病院に売っていたキセノンガスは、200ミリ・キュリー瓶で6万3500円。一方、薬価収載されている日本メジフィジックスの同ガスは、10ミリ・キュリー瓶で3万7617円だった。成分は同じだがミドリ十字の方が10倍以上安かった。つまりミドリ十字のキセノンガスを使用しながら、日本メジフィジックスのガスを使用したと請求すれば、10倍以上の薬価差益が病院へ入ることになった。民間病院の多くはこのようにして収入を得ていた。

 公的病院は、実際より低めに請求していたが、認可されていないガスを用いて不正に収入を得ていたことに変わりはなかった。キセノンガスの半減期は4日と短いため、検査をするには多くの患者を集め、また患者を多く集めれば、それだけ利益を得ることができた。

 この事件の背景には、昭和56年に脳の血流量を測定するスペクト検査が保険で認められ、脳の障害部位とその障害程度が診断できるようになったことである。スペクト検査では、検査薬としてキセノンガスを使用するが、認可された測定機器の吸引装置はミドリ十字のキセノンガスの容器としか合わない構造になっていた。そのため、スペクト検査が保険で認められているのだから、ミドリ十字のキセノンガスも承認されているものと、病院側は軽く受け止めていた。日本アイソトープ協会も、承認されたガスとして価格表に記載していたほどである。

 ミドリ十字はキセノンガスの輸入承認を厚生省に求めたが、放射性物質の容量が大きいことから、安全性について注文を付けられていた。そのため、同社は承認申請を途中で取り下げ、未承認であることを内密に販売していた。ミドリ十字はキセノンガスを医薬品ではなく、研究用として輸入して病院に卸していた。

 厚生省は、ミドリ十字のキセノンガス・スペクト装置を認可していながら、それに使うミドリ十字のキセノンガスを未承認とした。このことはガソリン自動車の販売を許可しながら、ガソリンの使用を禁止したようなものである。代替品がないので、病院は仕方なく使用していた。

 しかし厚生省は自分たちの対応の遅れを、法律を盾に病院側に責任を押し付け、さらに自分たちの怠慢を隠すように病院の処分を行った。不正請求として全国562の病院を処分の対象とし、多額だった36病院を、保険医療機関としての指定を取り消した。

 巨額な不正請求は私立病院が主で、大川原脳神経外科病院(北海道室蘭市、3.9億円)、ツカザキ病院(兵庫県姫路市、3.1億円)、長尾病院(高知市、3億円)、崎元病院(鹿児島市、2.5億円)、中村記念病院(札幌市、2.4億円)などだった。

 公的病院では9100万円を不正請求した盛岡赤十字病院が最高額で、同病院は保険医療の指定を取り消された。そのほかに指定取り消し処分を受けた公的病院は、岩手医科大付属病院、千葉県救急医療センター、袋井市民病院、国立療養所中野病院、国立療養所福岡東病院、山形大医学部付属病院、岐阜大医学部付属病院、長野県厚生連リハビリテーションセンター鹿教湯病院、東邦大医学部付属大森病院、東大阪病院、中国労災病院などであった。

 東大付属病院、東京警察病院、国立がんセンター、都立広尾病院などは金額が少なかったため、取り消し処分は免れている。このように、ミドリ十字のキセノンガスは全国の主要病院を巻き込んだ空前の診療報酬不正事件に発展した。厚生省は、不正請求を行った全国57カ所の国立病院、国立療養所の院長・総長に対し、国家公務員法により訓告、文書厳重注意、口頭厳重注意の行政処分を行った。文部省も国立病院長73人を行政処分とした。

 保険診療停止となれば、患者の治療費はすべて自己負担となる。不正請求で、保険診療停止処分を受けたのは地域の中核病院で、病院はもちろんのこと、患者や行政の動揺は大きかった。しかし保険医療の指定取り消しを受けた病院は、その治療費を処分後に請求することが許されていた。つまり2カ月間の保険医療の指定取り消しを受けた病院は、例えば6月の保険診療医療費を8月に2カ月遅れで請求できたのである。

 いうなれば、厚生省の保険診療停止はスジを通した実効性のない処分で、マスコミが騒いだので厳格を装って処分したといえる。表面的には大規模な事件であったが、厚生省の怠慢を隠す目的もあって、形式的な処分を下したのだった。

 さらに問題の検査薬などを一括して医療機関に流していた日本アイソトープ協会に対しては、薬事法違反の疑いで6日間の業務停止処分を下した。輸入されたキセノンガスは、放射性物質の半減期が短いことから、同協会を経由せずに病院へ直送されていた。このため協会は伝票だけの処理で、現物をチェックしていなかった。

 厚生省の調べでは、ミドリ十字の佐倉工場が成田空港からの医療用検査薬輸入を一手に引き受けていた。許可を得ていない血流量検査用の放射性物質「キセノン133ガス」を「化学物質」と偽って不正輸入していたが、さらに脳血管障害の検査薬「エルマティック3」を含む計28品目の検査薬も不正に輸入して販売し、売上は23億5500万円に達していた。そのためミドリ十字は35日間の営業停止処分を受けた。

 ミドリ十字は、日本最初の民間血液銀行「日本ブラッドバンク」として創設され、創立の中心となったのは、元陸軍軍医学校教官の内藤良一である。同氏は、関東軍防疫給水部(731部隊)の元幹部を呼び集め、主要都市に採血所をつくり、医療機関に輸血用の血液を販売して業績を伸ばした。この売血が「輸血後肝炎、黄色い血」として社会問題になったため、同バンクは血液製剤中心のメーカーから脱皮を図り、昭和39年8月、社名を「ミドリ十字」に変更した。

 ミドリ十字は血友病向けの凝固因子製剤では、国内シェアの半分近くを占めたが、臨床試験に違反する人工血液の人体実験、採血ミスによる死亡事故隠しなどが発覚していた。このようなミドリ十字の体質が、後に薬害エイズ事件を引き起こすことになる。