ニセ全盲事件

ニセ全盲事件 昭和63年(1988年)

 昭和63年11月29日、千葉中央署は保険会社4社から7000万円の保険金をだまし取っていたとして千葉市大宮町の無職、安藤雄(41)と同市登戸の青果商、安藤喜吉(39)を詐欺の疑いで逮捕した。2人は60年3月11日の夕方、千葉市小倉台の路上で、安藤雄の乗用車に安藤喜吉の乗用車を追突させた。その後、安藤雄は「眼鏡が割れ、ガラスの破片が目に入って見えなくなった」と医師に診断書を書かせ、契約していた保険会社4社に保険金計1億3400万円を請求、約7000万円をだまし取った。狂言事故による保険金詐欺であった。

 安藤雄は近所の人にも失明を訴え、妻も子供もそれを信じていた。事故は物損事故として、警察は友人を軽い処分で済ませた。しかし安藤雄は、3年前の57年4月にもバスに足をひかれ転倒、顔を強く打ったとして左目を失明し、保険会社3社から約8000万円の保険金を受け取っていた。このため保険会社が不審を抱き、独自の調査を開始。2年半の調査の結果、事故で両目が失明したはずの安藤雄が競輪場に出掛け、タクシーでは小銭で料金を払っていることを突き止めた。

 保険会社は千葉中央署に相談、支払い済みの保険金の返還を求める民事訴訟を起こした。同署も捜査に乗り出し、失明はウソとなり逮捕となった。2人は容疑を否認し、安藤雄は民事訴訟の法廷に黒いサングラスを掛け、白いつえをついて出廷。裁判所では壁に手を当てながら歩き、宣誓書を書く際には「書き出しの場所が分からない」と手を誘導させて署名するなどの失明を装った。しかし失明はウソで、余罪を含めると2億3000万円の詐欺を働いていた。

 同様の事件が、愛媛県今治市でも起きている。ガソリンスタンドの経営者(54)が昭和53年に、車のはねた石が目に当たって失明したと松山赤十字病院に入院。医師は見えるはずと言ったが、本人は見えないと主張、医師は視力ゼロの診断書を書いた。男性は保険金3億円をせしめたが、金持ちになったことが近所で有名になり、3人組の強盗に5万円を強奪された。この時、われを忘れた男性は、警官に犯人の人相をしゃべったことからウソがばれ、5万円のために3億円を失ってしまった。

 昭和59年6月19日、東京都小平市に住む全盲の青山佳三(43)が傷害致死容疑で逮捕された。青山佳三は小平市の社会福祉協議会から200万円の融資を受け、陶器販売の会社を設立し、3人の従業員を雇っていた。その従業員の森山清司さん(47)がけいれんを起こして青山宅の2階から転落、救急車で病院に運ばれたが、頭蓋骨骨折で翌日死亡した。警察の調べによると、室内には多量の血痕が残されていて、頭部を棒状のような鈍器で殴打されていた。警察は青山佳三を殺人容疑で逮捕した。

 この事件前にも、青山佳三が関与したと思われる転落事件が起きていた。最初の事件は同年6月8日、従業員の文倉利明さん(52)が高田馬場駅のホームで後ろから押され線路に転倒、押す力が強かったためレールの反対側まで飛ばされて命拾いした。文倉さんの後ろには青山がいたが、突き落とした犯人は分からなかった。

 文倉利明さんには8000万円の保険が掛けられていて、文倉さんが会社を辞めた後に保険は解約され、森山清司さんに掛け替えられていた。さらにもう1人の従業員にも1億円の保険が掛けられ、電車のホームから突き落とされそうになった。もちろん保険金の受取人は青山であった。しかし、果たして全盲の青山に殺害が可能だったかが焦点になった。

 宮崎県日南市生まれの青山佳三は、昭和43年、脳腫瘍(下垂体腫瘍)に冒され、九州大学で手術を受けた。下垂体腫瘍は視神経を圧迫し、手術後、視力障害が残った。昭和56年、上京してきた青山は白いつえをつき、親戚に付き添われて小平市の福祉事務所を訪れ、昭和56年10月、医師の診断書により東京都から身体障害者手帳1級1種の資格を得ていた。1級1種は両眼の視力が0.01以下で、日常生活で介助者が必要とされている。

 しかしこの青山佳三の全盲は全くのウソであった。全盲の診断書をもらって2カ月後に、運転免許書を更新していた。このほか、自宅近くで自転車に乗り、子供と遊んでいる姿が目撃されていた。青山には過去に2度の逮捕歴があり、罪名はいずれも詐欺罪であった。

 全盲と診断したのは都立府中病院のI眼科医長(55)だった。I医師がどのような根拠で1級と診断したかは不明であるが、青山にだまされたことは確かだった。視覚障害の認定には、視力検査、眼底検査、超音波検査など10種類以上の検査が必要であった。慣れた眼科医ならば歩く姿で障害の程度が分かるが、青山の演技力のせいだったのか、青山は全盲の診断を受け、障害者手当をもらい、融資を受けて保険金殺人を犯したのだった。