拒食症

拒食症(思春期やせ症) 昭和58年(1983年) 

 昭和58年2月4日、カーペンターズのカレンさんが拒食症のため、32歳の若さで生涯を終えた。カーペンターズは「イエスタデー・ワンス・モア」「オンリー・イエスタデー」などのヒット曲を次々に生み出した世界的に有名な兄妹デュオである。

 カーペンターズが活躍した1970年代の米国は、ベトナム戦争や人種差別問題などに悩んでいた。しかし彼らの曲には、米国の古き良き時代を思わせるイメージがあった。みずみずしいカレンさんの歌声は時代を超え、国境を越え、グラミー賞を3回受賞したほどである。

 拒食症という悲劇的疾患はあまり知られていなかったが、彼女の死によって世界中に知られるようになった。明るい天使のような歌声、カリフォルニアの澄んだ青空、このような彼女のイメージが、その裏に隠れた拒食症の怖さを印象づけた。彼女の死は全米に衝撃をもたらした。

 少女時代のカレンは太っていて、16歳の時に1日2リットルの水を飲むダイエットにより10キロ近くやせていた。その後、兄とグループを結成して数々のヒット曲を生み出し、ホワイトハウスに招待されたほどであったが、カレンのやせ願望は変わらず、甲状腺ホルモン剤や下剤などを大量に内服していた。

 昭和50年、カレンは体調不良から欧州ツアーをキャンセル、その後のラスベガスでのコンサートの最中に気を失って倒れた。その時のカレンの体重は37キロで、これを契機にカレンは医師やカウンセラーを訪れるようになった。カレンは昭和57年に離婚、そのころには体重も8キロ増え、拒食症を克服したと思われていた。しかし昭和58年、カリフォルニアの両親の家を訪れている最中に心臓発作で突然死亡した。死因は心臓死であるが、長年にわたる摂食障害が心臓にダメージを与えたとされている。兄リチャードは、「カレンがなぜ拒食症になったのか見当もつかない」と述べている。

 拒食症の歴史は浅く、昭和50年頃から先進国で散見されるようになった。それまで飢えに苦しんできた時代は、食べることに必死で、そのため女性の美意識はふっくらとした体形であった。それが飽食の時代になり、「太っていることが女性の美意識に反する」と受け止められるようになった。このような時代背景が「やせ願望」を引き起こした。また職場、学校、家庭などでのストレスも関与し、「過剰な美意識とストレスが、食べるという人間の本能を狂わしてしまった」といえる。

 拒食症は「思春期やせ症」の別名があるように、思春期の女性に発病する。また「神経性食欲不振症」とも呼ばれ、内科的な病気がないのに食欲がなく、やせが何カ月にわたって続き、月経が止まるのが特徴である。やせすぎて月経が止まれば普通は気にするが、彼女たちには病気という認識はなく、やせた状態に満足し、やせていても月経がなくても異常と思わず、むしろ明るく活動的である。食べれば治るので、治療は簡単と思われがちであるが、実際には困難である。やせたい願望と食欲との対立になるが、大体は食欲の方が勝って自然に治ってゆく。

 しかし重症例は、本人はやせることがうれしいので、死の自覚はなく、低栄養、全身衰弱、低体温から、眠ったまま心臓が止まってしまう。

 この疾患の根底には、女性になりたくないという成熟拒否がある。食事を拒否して女らしい体形を避けようとして、過度のダイエットから心と身体のバランスが崩れてしまう。成熟した女性になることを拒否する心理は、スリムな肉体を賛美する現代文化のゆがみといえる。

 拒食症が、経過中に過食症になることがある。極端に食べすぎてしまう過食症も、拒食症と同じ心の病気で両者は摂食障害と呼ばれている。両者は正反対に見えるが、類縁疾患であり、症状が交互に現れることがある。

 過食症は、指を口に入れて食べた物を吐き、下剤を使用するので体重は増えない。大食とは異なり人前では過食を見せることはないが、過食後に気分が落ち込み、自己嫌悪、不安などのうつ状態になる。過食症は過食の病識があるので、治療は容易で死ぬことはない。

 摂食障害は、家庭内の問題、母子間の葛藤(かっとう)などが要因とされ、家族の特徴としては親の社会的地位が高いこと、家族の会話が少ないなどが挙げられている。

 摂食障害は「思春期の女性の100人に1人程度」とされてきた。しかし慶応大の渡辺久子講師らが東京都内の私立女子中学の卒業生を高校3年まで追跡調査したところ、約20人に1人に摂食障害があったとしている。

 過食症や拒食症は精神的疾患であるが、世間の理解は低く病気への偏見がある。日本で拒食症を有名にしたのは、宮沢りえさんの「激やせ」である。りえさんの場合は、ステージママへの反抗、貴乃花との婚約騒動などがうわさされた。

 また英国の故ダイアナ妃は過食と嘔吐を繰り返えし、うつ病から自殺未遂を起こしたことを告白している。ダイアナ妃の過食は、チャールズ皇太子の浮気が原因で、婚約1週間後に過食症となった。当時19歳だったダイアナ妃は、あこがれの皇室に嫁いだが、皇太子に愛人がいたのだった。結婚してもチャールズ皇太子は愛人との交際をやめず、一方ではマスコミに追われ、彼女の過食症は悪化した。平成8年に離婚したが、翌年にはあの悲劇的事故によって他界した。