ルーベンス

ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)

     王の画家にして画家の王と呼ばれ、諸外国までその名声を轟かせたバロック期を代表する画家。修行時代に風景画家フェルハーヒト、アダム・ファン・ノールト、ファン・フェーンと三人の師から絵画を学んだ後、1600年から1608年までイタリアで、ミケランジェロの肉体表現、ラファエロやマンテーニャの古典思想的表現、ティツィアーノ、ティントレット、ヴェロネーゼ等ヴェネツィア派からの豊かな色彩による画面構成、コレッジョからの甘美的表現などルネサンス芸術を研究する一方、イエズス会とも接触を図る。イタリアでの滞在で一気に才能が開花し、社交性もあった画家はヴェネツィアの外交使節として、名画を寄贈するためスペインへ向かうが、途中大雨により名画を濡らしてしまう。しかし画家自身がそれを修復。その出来栄えの良さにスペイン国王は勿論イタリアの貴族からも賛辞を受けた。

 1608年、アントワープを統治していたハウスブルク家アルブレヒト大公夫妻に宮廷画家として仕え、ダイク、ブリューゲルらと共に次々と作品を制作してゆく。総作品数は約1200点と膨大な数が残っているが、大半は工房作品か他作家との共作。ルーベンスの画家としての優れた才能や洗練された友好的な態度によってイザベラ大公妃を始め、フランス王妃マリー・ド・メディシスやフェリペ四世など当時の権力者とも交友関係を築き、使節として国交の正常化に尽力を尽くすほか、歳の離れたスペインバロックの巨匠ベラスケスとも交流を持つ。