成人T細胞白血病

成人T細胞白血病 昭和51年(1976年)

 熊本大の高月清教授は、昭和47年頃から、成人に特有な新型の白血病を何例か経験していた。白血病は、白血球ががん化する病気で、高月教授が経験した白血病は、白血球増加は当然であるが、リンパ球細胞の核に花びらのような切れ込みが見られる点が、ほかの白血病と違っていた。さらにこの奇妙な白血病は九州、特に鹿児島県出身者に多い特徴があった。昭和52年、高月教授はこの白血病を医学雑誌「Blood」に発表。成人T細胞白血病(ATL:Adult T-cell Leukemia)という新しい疾患概念を提唱した。

 白血球は好中球とリンパ球に大別され、リンパ球は液性免疫に関与するB細胞、細胞性免疫に関与するT細胞に分けられる。白血病の多くはB細胞由来であるが、高月教授が見いだした白血病は例外なくT細胞由来であった。この白血病は成熟したリンパ球の形をしていたので、慢性リンパ性白血病の類縁疾患とされたが、患者の多くは予後不良の経過をたどった。

 この変わった白血病については、高月教授だけでなく、九州地方の医師たちも気付いていた。熊本大の小宮悦造教授は異常細胞の形が花の形に似ていることから、フラワー細胞と名付け、著書「臨床血液学」の中でその形態をスケッチで示している。

 ATLの平均発症年齢は57歳で、症状はリンパ節腫脹、肝臓や脾臓の腫大などであるが、骨髄に転移すると、正常な赤血球や血小板が作られず、貧血や出血の症状が現れる。さらに血液のカルシウムが高くなると、食欲の低下や意識低下などが出現した。抵抗力が低下し、他臓器にも病変を作ることから症状は多彩であった。

 昭和55年6月、東京の国立がんセンターでATLの研究会が開かれた。この会合に京都大ウイルス研究所の日沼頼夫教授が出席した。日沼教授はウイルスとがんの関係を研究していたことから研究会に招かれたが、ATLのウイルス説には疑問を持っていた。

 日沼教授はATLの原因がウイルスならば、ATL細胞にはウイルスが存在し、患者は異物であるこのウイルスに抗体を作っているはずと考えた。日沼教授はATL細胞をばらばらにして、患者血清と反応させてみた。患者血清に含まれる抗体はヒトグロブリンなので、次に蛍光色素を結合させたヒトグロブリンに対する抗体を加えた。つまり「ウイルスに対する抗体・ヒトグロブリン抗体・蛍光色素の複合体」を作らせ、ウイルスを芋づる式に見いだそうとした。蛍光色素は特殊な光線を当てると蛍光を発するため、この蛍光を肉眼でとらえられれば、ウイルスの存在が確認できるはずであった。

 昭和55年11月、白血病細胞の抽出液に患者血清を加え、次に蛍光色素を結合させたヒトグロブリン抗体を反応させた。そして暗室の中で蛍光を当てて顕微鏡でのぞくと、明るい部分が浮かび上がってきた。ATL患者の血清の代わりに、正常人の血清、別の白血病患者の血清を用いても蛍光は発しなかった。つまりATL患者には特有のウイルス抗体が存在し、この抗体と反応するウイルスがATLの原因と考えた。

 日沼教授はATL細胞を大阪医科大の中井益代教授に送り、昭和56年2月、中井教授は電子顕微鏡でATL細胞からウイルスを肉眼的に検出した。さらに東京・癌研究所の吉田光昭博士が、ATL細胞から検出されたウイルスが、ATL細胞の遺伝子の中に一定の法則で組み込まれていることを証明した。つまりこのウイルスは遺伝子を介して、正常Tリンパ球を白血病細胞に変えていたのだった。この腫瘍ウイルスは、ATLの患者の白血病細胞に例外なく認められ、C型レトロウイルス(逆転写酵素を持つRNAウイルス)に属することが判明した。

 このATLウイルスの発見は、日本の医学研究の成果であったが、ATLウイルスの公式の発見者は米国立がん研究所のロバート・ギャロ博士(Robert Gallo)となっている。昭和55年、ギャロ博士がこの新種のウイルスを、菌状息肉腫という皮膚の腫瘍細胞から発見したのだった。菌状息肉腫の組織片から、新しいC型レトロウイルスを分離し、菌状息肉腫の原因ウイルスと報告したのである。しかし他の菌状息肉腫の患者からこのウイルスは見つからず、菌状息肉腫の原因ウイルスではなかったのである。ATLの患者は西インド諸島からの移民で、カリブ海周辺はATLの散在する地域だった。ギャロ博士が菌状息肉腫と思ったのは、ATLの皮膚病変だったのである。

 日沼教授がATLウイルスとATLの因果関係を証明したとき、ギャロ博士は自分のつかまえたウイルスの正体を知らなかった。ギャロ博士は細胞からウイルスを分離して、HTLV−Iと命名したが、このHTLV−Iは日本の研究者が発見したATLウイルスと同一だったことが後で分かり、ウイルス発見はギャロ博士になった。ちょうど同じころ、エイズが世界中の注目を集めていて、エイズも成人T細胞白血病(ATL)と同じレトロウイルスに属することが分かった。

 研究が進むとATL患者ばかりでなく、患者の家族にも抗体陽性者が多いことが分かった。つまり感染しても発症しない人が大部分だったのである。昭和58年、京都大ウイルス研究所の日沼頼夫教授らが、各地の献血センターに保存してある血液を調べた結果、ATL抗体陽性者は北海道1.2%▽東北1.0%▽関東0.7%▽北陸・中部0.3%▽近畿1.2%▽中国0.5%▽四国0.5%▽九州・沖縄8.0%だった。

 つまり九州・沖縄にATL抗体陽性者が多く、九州では鹿児島県、那覇市、佐世保市の陽性率が10%を超え、福岡県、大分県は3から4%だった。沖縄の陽性率は高値だが宮古島は低値だった。沖縄本島には縄文前期以降の遺跡があるが、宮古島には13世紀以前の遺物はない。宮古島に住む人々の祖先は沖縄地域とは異なり、比較的最近どこからか移り住んだと考えられた。

 このほか、岩手県の陽性率が低いが三陸地方では陽性率が10%を超える地区があった。秋田の象潟、飛島、能登半島、紀伊半島、中国地方の日本海側、隠岐、四国の宇和島近郊などに陽性者が多かった。また東京大に保存してある北海道のアイヌ民族の血清を調べると、44%という高い陽性率を示した。

 日沼教授はATLの地域性を説明するため、次のような仮説を立てた。日本に昔から住んでいた人々はATLウイルスを持っていた。そこにウイルスを持たない人々が数千年前に移住し、先住民を追い出し、そのため日本列島中央部では陽性者が減少した。つまりウイルス保持者の縄文人が、大陸からやってきた非保持者の弥生人に追いやられたとしたのである。

 韓国と中国ではATL抗体陽性者はほとんどいない。東アジアでは、日本だけに特有なもので、日本以外ではパプアニューギニア、オーストラリアの先住民族、カリブ海沿岸、南米アンデス地方、アフリカにわずかに見られる程度である。

 ATLには遺伝子解析でサブタイプがあることが分かっていて、アイヌとアイヌ以外では違うタイプのウイルスであった。つまり、古代日本人は北と南の両方のルートから別々にやってきたと推測された。

 ATLウイルス感染者は日本全国で約120万人(人口の約1%)と推定されているが、感染していても発症するのは年間700人程度で、大部分は発症しない。鳥取大の日野茂男教授は、ATLウイルスが母乳を介して母親から子へ垂直感染することを明らかにし、長崎大の片峰茂教授は13万人以上の妊婦から5000人以上のキャリア妊婦を見つけ、母乳授乳を止めさせることで1000人以上の母子感染を防いでいる。

 ATLウイルスは性行為でも感染するが、感染してもATLを発症することは極めてまれである。そのため夫婦間感染への特別な対策は立てられていない。輸血によっても感染するが、昭和61年から献血時に抗体の検査が行われ、感染の心配はない。

 鹿児島大の納光弘教授はHTLV−Iに関連した神経症状であるHAM(HTLV−1 associated myelopathy)について研究している。HAMはHTLV−1が脊髄後角に感染し、炎症性の脱髄反応により麻痺などのさまざまな神経症状を引き起こす病気である。

 ATLリンパ腫は、多彩な症状、臨床経過を取り、急性型、リンパ腫型、慢性型、くすぶり型、急性転化型に分類でき、そのうちの急性型、リンパ腫型、急性転化型が治療の対象になる。抗がん剤の併用療法によって30から70%が寛解(悪性細胞が減少して、検査値異常が改善した状態)するが、発病すれば治癒するのはごく一部で、ATLは難治性である。 

 ATL抗体陽性であっても症状や検査値異常がない者を、HTLV−Iキャリアと呼ぶが、定期的な通院の必要はない。

 ATLの発見は日本の科学者による輝かしい勝利で、「ヒトがんウイルス」を明確にしたのは、ATLが世界で初めてである。