エル・グレコ

 エル · グレコ(1541〜1614)

 イタリアやスペインで活躍したマニエリスムの画家。マニエリスムとは、盛期ルネサンスの明快で調和の取れた表現とも、バロックの動感あふれる表現とも異なった特有の表現として位置づけられている。時代背景としてローマ略奪以降、宗教改革の時代の不安な社会情勢が挙げられる。

 エル · グレコというと、スペインの画家というイメージがあるが、生まれたのはギリシャのクレタ島である。「エル・グレコ」という名前はイタリア語で「ギリシャ人」を意味している。ちなみに本名は「ドメニコス・テオトコプーロス」である。エル・グレコの作品にはどれもギリシャ語の本名でサインがされている。

 エル · グレコはクレタ島時代、イコン画を制作する職業画家として活動を始めていた。ビザンティン様式(東ローマ様式)を取得した後イタリアに渡り約10年間、ティツィアーノなどのヴェネツィア派の色彩やミケランジェロの表現を学ぶ。またパルミジャニーノなどマニエリスムの先駆者の作品から、引き伸ばされた人体比率を学んだ。

 イタリア滞在時、報酬などでの金銭トラブルが絶えず、生活ができないほど貧しい暮らしを強いられた。1576年頃スペインへ渡り宮廷画家を志すが、エル・グレコの奇抜な構図と非現実的な色彩が、当時の絶対的な権力者であったフェリペ二世の不興を招いた。その結果、宮廷画家への道は閉ざされるが、宗教関係者や知識人から圧倒的な支持を得ている。グレコが定住としたスペイン中央部の古都トレドはキリスト教やユダヤ教、イスラム教など多様な文化が混在している古い街である。

 ルネサンス以後、逞しい肉体の表現、人体の長身化が顕著になった。バロック絵画の台頭により、晩年から死去後は忘れられた存在になったが、20世紀初頭、印象派の画家達やピカソらによって、その独自性が再評価された。また彼の作品は数多いが、長期にわたり劣悪な状態に置かれていたものが大半を占め、描かれた当初の状態を保っている作品は少ない。エル・グレコの作品の85%は宗教画だとされているが、最も成功したのは肖像画家としてだそうです。


ろうそくに火を灯す少年
1575年頃 61×51cm | 油彩・画布 |
ペイソン・コレクション(New York)

 暗中ろうそくに火を灯す少年。少年の清貧な表情と、灯されたろうそくの炎の、神秘的であたたかい輝きが表現される。本作は1575年頃、イタリア滞在時に描いたとされ、エル・グレコの初期の作品である。肖像画というより人物画というにふさわしい。

 見る者を圧倒する深い精神性を持った人物の表現、対象を強く照らす光彩、そこに落ちる陰影はエル・グレコの大きな特徴であり、この作品の魅力のである。神秘的であたたかいろうそくの炎の、一瞬の揺らめきまでも、見事に捉えている。当時は失われた古代の美術品を再現することが流行していた。エル・グレコも古代ギリシアの画家アンテイフイロスによる火を吹く少年の絵を再現したと考えられる。

 これがエル・グレコの絵なのかと驚いた。

悔悛するマグダラのマリア
1577年頃 | 107×102cm | 油彩・画布 |
ウースター美術館(アメリカ・マサチューセッツ州)

 スペインのトレドに移り住んで数年後に描かれた作品。元娼婦ながら悔い改めた後にキリス卜の愛弟子となったマグダラのマリアは「悔悛」による罪の許しの典型である。イエスによって自らの罪を諭され、悔悛する「マグダラのマリア」を描いた。

 マグダラのマリアがイエスの死を見届けたゴルゴタの丘(ゴルゴタとは頭蓋骨意味る)、エル・グレコの作品に限らず、マグダラのマリアをテーマにした宗教画では頭蓋骨が描かれる。エル・グレコの最大の魅力は神秘主義的な宗教画で、狂信的にすら思えることである。

 マグダラのマリアの憂いを含む視線や表情はエル・グレコの独特の世界観があり、さらにマニエリスム特有の洗練された不安定感が表れている。上方を見上げる構図はヴェネツィア派のティツィアーノが描いた「悔悛するマグダラのマリア」と類似点が指摘されている。背景の荒野の情景やマグダラのマリアのポーズには、ティツィアーノの影響が認められる。しかしエルグレコは、背後の岩から聖女の体へとつながる対角線調、雲が切り裂く独特の空の描写、感傷的な表情によって、悔悛が生む霊的効果を劇的に表すことに成功している。本作に描かれる「マグダラのマリア」の置物は髑髏の他、イエスの足に塗ったとされる香油や十字架像などがある。この主題は当時より人気が高かったため、エル・グレコは本作の他にも同名の作品を数点描いている。

受胎告知

1590年  109×80 カンバス

大原美術館 倉敷市

「受胎告知」は聖母マリアが天使ガブリエルから、神の子キリストを受胎していることを告げられる場面が描かれている。天使が左手に持つのは、マリアの純潔を象徴する白百合の花。 中央に舞い降りているのは、聖霊の象徴の鳩である。1922(大正11)年、児島虎次郎はパリの画廊でエル・グレコの「受胎告知」が売りに出されているのを見つけ、 途方もない値段であったが、この作品を日本へ持ち帰りたいと考えた。 そこで児島は大原孫三郎に、「グレコ買いたし、ご検討のほどを」と写真を添えて手紙を送った。 受け取った孫三郎が、「グレコ買え、金送る」と送金したのは、児島が手紙を発送してから60日後であった。 当時ヨーロッパは、第一次世界大戦直後で大変な不況にあえいでおり、その不況が日本にもやってくると予見した孫三郎は、名画の収集は今がチャンスと考え決断した。現在、このエル・グレコの「受胎告知」が日本にあることは奇跡と言われている。 当時のヨーロッパの情勢、児島の絵を見る確かな目、孫三郎の英断、二人の揺るぎない信頼関係、どれが欠けてもこの奇跡はなかった。

聖セバスティアヌス
1577-1578年頃 191×152cm | Oil on canvas |
バレンシア大聖堂

 エル・グレコの大きな特徴である極端に縦に伸びだ人体構造と、筆跡を残す独特な画風がよく示される。描かれているのは聖セバスティアヌスで、聖ペトロ、聖パウロに続く三人目のローマ聖人である。聖セバスティアヌスは三世紀後半に生まれたガリア出身のローマ軍人で、マルクスとマルケリヌスというキリスト教徒に話し掛けたことで、キリスト教信者であることが発覚し、杭に打ちつけられた後、矢を放たれた逸話が有名である。さらにそれでは殉教はせず、その後、イレネという女性より癒されるが、皇帝へ過酷さを訴えたために、棍棒で打たれ殉教したとされる。聖セバスティアヌスは古くから人気が高く、幾多の画家が描いてきた。矢から射手の守護聖人、鏃は鉄であることから古鉄商の守護聖人であり、また中世時代には、ペストはアポロが放つ矢によって引き起こされるとされていたことから、ペストに対する守護聖人であった。

 たくましい肉体を画面いっぱいに描いている。全身像であったが、下部(脚部)か切り取られたという経緯を持つ。

聖衣剥奪
1577-79年 285×173cm | 油絵 カンバス 
トレド大聖堂 スペイン

 37歳時、スペイン移住後の初仕事としてトレド大聖堂の発注で「新約聖書からキリストが十字架かけられる直前の衣服を剥がれる姿」をテーマとして制作した。普通は「キ リス卜捕縛」と呼ばれる主 題で、ユダの裏切りによりキ リス卜がローマの兵士たちに捕えられ、十字架に架けられ る前にその衣が奪い取られ る場面である。

 鮮やかな真紅の服は血と炎を思わせる受難の象徴であり、天を仰ぐ静かな表情は周囲の喧騒のなかで一層際立っている。新約聖書は本来ギリシャ語で書かれており、同国の出身であるエル・グレコは、原文を理解して数々の宗教画を残している。しかし「聖衣剥奪」は外套を鮮やかな色彩で描き、また完成後、マリアが三人登場していること、キリストの頭より群衆の位置が高く描かれていること(キリストに対する冒涜)などの理由から、絵の報酬を払えないと大聖堂から通達を受けた。

 裁判で争うことになるが、大聖堂側から異端審問をかけるとおどされ、調停案(エル・グレコが提示していた額の約1/3)を受け入れた。この聖衣剥奪という主題は正典(新約聖書)には書かれていないが、イエスの上着をローマ兵士が剥ぎ取り、4つに分けた後、身に着けていた下着をくじにかけたとされる。また同内容のものが旧約の詩篇(ダヴィデ書)にも記述されている。イエスが自ら運ばされた磔刑に使用される十字架を見つめる3人のマリアは左から小ヤコブの母、聖母、マグダラのマリアとされている。マニエリスムのドラマティックで、やや大げさな人物の描写は、本作の見所のひとつである。

イエスの御名の礼拝
1577-1579年頃 140×110cm | 油彩・画布 |
エル・エスコリアル修道院

 本作は最後の審判を主題を示している、上半分に天上の世界を、下半分に現世と地獄を描いている。画面上部の天上には父なる神の威光により光り輝くイエスの御名、罪無き人々を天上へと導く天使、画面下部左には救済を求める人類と、後景に神へ祈りを捧げる預言者を描き、画面下部右には地獄へと落とされる罪人が描かれている。

 ラテン十字に、ラテン語でイエスが救済者であることを示す≪IHS≫の文字は≪JHS(Jesus Hominum Salvator)≫を意味しており、このようなギリシア語、ラテン語の組み合わせ文字は、初期キリスト教以来、福音書写本などいろいろな場所で多用されてきた。また、最近おこなわれた修復により、本作で使用された顔料の質が極めて高いことが判明した。

 引き伸ばされた人体構造を用い、躍動と色彩に満ちた天使や人物の表現はエル・グレコの大きな特徴で、また最大の魅力であった。また天へ祈りを一心に捧げる敬虔な信者たちの姿は、エル・グレコが滞在していたトレドの知識人や民衆の信仰心を煽ることとなり、以後、多くの注文を受けることになった。黒い衣を着た人はフェリペ2世である。

聖三位一体
1577-79年 300×178cm | Oil on canvas |
プラド美術館(マドリッド)

 トレドのサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂のために制作され、現在はプラド美術館に所蔵されている『聖三位一体』。ミケランジェロの彫刻作品≪ピエタ≫や、ドイツ・ルネサンスの巨匠アルブレヒト・デューラーの木版画を元に構図が展開される本作の主題≪聖三位一体≫とは、「神のは唯一の本質で、この世のあらゆるものを創造した父なる神、人間の罪を十字架上で償ったイエス、使徒などに下される聖霊の3つが存在することを意味し、現在のキリスト教の最重要教義とされている。神・子・精霊からなるもので、エル・グレコの力強く荒々しい筆跡と、マニエリスム独特の人体表現の奔放さによって、劇的な表現がされている。この深い陰影と、引き伸ばされた人体構造によって表現される父なる神とイエスは、高い聖性を示すものとして、当時の宗教関係者や知識人から圧倒的な支持を得た。

聖母被昇天

1577-1579年 401×229cm | Oil on canvas |

シカゴ美術研究所

 現在、シカゴ美術研究所の下で調査・研究がおこなわれている本作の主題は、聖母の死後、一度は魂が天に召された後、地上に復活を遂げた聖母マリアの肉体と魂が再び天上へと還る場面を描く≪聖母被昇天≫で、エル・グレコ作品の代表的な主題でもある。聖母マリアの姿は伝統的な朱色と紺色の衣服であるが、エル・グレコ独特の輝くような青色が、画面上方の天上の光に包まれた背景や天使たちとと重なり、より一層の存在感を示している。画面下部では聖ヨハネや聖ペテロなどイエスの弟子(使徒)達が、聖母の棺を囲む中、昇天してゆく聖母を目撃する場面が描かれた。またスペインは聖母信仰が盛んである為、エル・グレコを始めとするスペインで活躍した多くの画家は、聖母を主題とした作品を残している。誇大表現とも捉えられかねない劇的な人体表現を駆使し、手がけられたこの≪聖母被昇天≫は、エル・グレコの最も得意とする主題のひとつでもあるほか、聖母マリアが上弦の月に乗っていることにも注目したい。本作は≪聖三位一体≫と同様、トレドのサント・ドミンゴ・エル・アンティグオ聖堂のために制作された作品で、この連作はスペインへ渡ったエル・グレコにとって、最も大きな仕事であったと研究されている。

聖マウリティウスの殉教
1580-1582年 448×301cm | Oil on canvas |
エル・エスコリアル修道院

 欧州屈指の強国であったスペイン国王フェリペ2世から、エル・エスコリアル修道院の聖堂を飾る祭壇画が依頼された。マニエリスム初期の代表的な画家ポントルモも同テーマで「一万人のキリスト教徒の殉教」として描いていた。「聖マウリティウスの殉教」は、紀元前3世紀、デーベに駐在していた隊長聖マウリティウスを始めとするキリスト教徒兵士1万1千人が、異教の儀式に参加することを拒絶したため、皇帝マクシミリアヌスの命により虐殺された場面をである。

 奇抜な構図と非現実的な色彩が不興を買い、「祈る気が削がれる」と依頼主であるフェリペ2世の国王は別の画家へ注文をし直した。エル・グレコは宮廷画家のチャンスを失うことになる。地上部分は殺伐として残酷な描写も見られ、日本人には若干なじみのないテーマではあるが、上空、つまり殉教者たちを迎える天上の世界では、雲間から神の威光が降り注ぎ、天使たちが厳かに魂を受け入れる準備を整えている。画面左側には、エル・グレコの他の作品にも登場する天上のオーケストラ・天使の奏楽隊が神聖なる音楽を奏で、その右側の天使はオリーブの葉で作られた冠を用意し、殉教者たちの魂を導かんとしている。

キリストの磔刑と2人の寄進者
1585-1590年 250×180cm | 油彩・画布 |
ルーヴル美術館(パリ)

 ゴルゴダの丘で磔刑に処されるイエスを描いている。本作でエル・グレコは人間の存在の二重性を示している。一方では聖職者と寄進者を描き現世界を具体化しているが、画面の中心では神性と聖性を具体化した十字架に掲げられるイエスを描いている。これは本作が祭壇へ配されたとき、聖職者と寄進者の二人は、神性と聖性の象徴であるイエスと一体となり、同一視される存在であることを作意としている。引き伸ばされる人体構造に、暗い色調の中でより輝きを増す光の表現、陰鬱な世界観で深い表情を浮かべる神の子イエスの存在感は、まさにエル・グレコ作品の本質を示すものである。新約聖書によると、十字架に掲げられたイエスの頭上には「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と磔刑の罪状が付けされた。宗教画において、これはしばしば、組み合わせ文字「I.N.R.I」を用いて表現される。

悔悛する聖ペテロ
1585-1590年 106×88cm | 油彩・画布 |
ボウズ美術館

  キリスト十二使徒の一人、聖ペテロを描いた。聖ペテロは本名をシモンのガラリヤの漁夫であったが、イエスの召命により、実弟アンデレと共に最初の弟子となった人物である。ペテロとは岩を意味し、キリスト教の礎を築く存在としてイエスより十二使徒の長に使命された。またイエス昇天後は、カトリック教会初代教皇に就き、福音の布教に尽力をしたが、ローマでネロ帝により迫害を受け殉教した。新約聖書には「ペテロとアンデレの召命」、「鍵を与えられる聖ペテロ」、「足洗」、「聖ペテロの否定」などに登場する。逸話も多く、キリスト十二使徒の中でも重要視される人物である。エル・グレコはスペインでの活動で6点ほど「聖ペテロ」を題材に作品を描いたとされるが、本作はその最も初期の作品で、当時の聖人画の大きな特徴である潤む上目が良く表現されている。また祈る聖ペテロの背後には、天使によってキリストの復活を告げられたマグダラのマリアが、イエスの墓を後にする場面が描かれている。

オルガス伯爵の埋葬
1586-1588年 460×360cm | Oil on canvas |
サント・トメー聖堂(トレド)

 荒れ果てていたサント・トメー聖堂の再建に尽力し、1323年に没したオルガス伯爵の逸話を題材に描いた本作は、画面上下で、イエスに導かれ天上へと昇華してゆくオルガス伯の魂の昇天と、当時の知識人や有力者に囲まれながら執り行われる肉体の埋葬という2場面を同時に構成しており、そのどちらの表現も画家の全作品中出来栄えを見せている。父なる神の威光を受け光り輝くイエスの周りには、聖母マリアや洗礼者聖ヨハネを始めとする諸聖人の他、幾多の天使が描かれているほか、サント・トメー聖堂の司祭や当時の知識人や有力者に囲まれながら埋葬されるオルガス伯の周囲にはエル・グレコ自身の姿や画家の息子であるホルヘ・マヌエルの姿も描かれている

オリーブ山のキリスト
1590-98年 102×114cm | Oil on canvas |
トリード美術館(米)

 エル・グレコの異質的な作風がよく表れている。本作の主題はユダの裏切りによりローマ軍に捉えられることを予知したイエスが、最後の晩餐後、弟子のペトロ、大ヤコブ、ヨハネの三人を連れゲツセマネのオリーブ山に赴き父なる神へ父なる神へ災いを退けるよう(主に杯や天使の姿で表現される)祈りを捧げる「オリーブ山の祈り(ゲツセマネの園とも呼ばれる)」であり、これは混沌とした夜景の場面を月明かりに照らされる青い色調で描き、かつ印象派絵画にも通ずる、うねりにも似た不安定な構成によるイエスの内面の恐怖感や、この後、イエスに訪れるユダの裏切りと受難への苦悩を表現している。また青い色調で描かれる混沌とした夜景の中、雲の間から射し込む月明かりによって神秘的に照らされる登場人物や、その人物たちの内面まで深く抉り込む感情の表現は圧巻である。なおイエスがオリーブ山へ連れて行った弟子はペトロ、小ヤコブ(ゼベダイの子)、ヨハネの三人で、それぞれキリスト十二弟子の中でも重要視される存在。また弟子たちとは対照的に、画面右側にはイエスを捉えに来たユダとローマ兵の姿が描かれている。

聖家族と聖アンナ
1595年頃 127×106cm | 油彩・画布 |
ターベラ病院(トレド)

 聖母マリア、幼子イエス、父の聖ヨセフ、さらにマリアの母である聖アンナを描いた作品。エル・グレコは「聖家族」を何枚か書いているが、その中でも、登場人物の感情豊かな表情や、筆跡が残る独特の表現が、出来栄えのよさを見せている。

 聖衣に包まれる幼子イエスの身体、聖母マリアはマニエリスム様式らしく縦に引き伸ばされ、極めて長身に描かれている。荒々しい筆跡が残る聖アンナの表現は、最もエル・グレコの特徴を示すものである。またイエスの父でありマリアの夫である聖ヨセフは、深い精神性を感じさせる表情を浮かべ、聖人としての存在感を示している。上空の雲の形は恣意的に描かれ、聖母マリアや母アンナの頭部周辺に雲を円形に集め、逆に円形に切れ間を配置することで、後光を暗に表現されている。人物描写や衣の色彩や質感、そして独特の雲の描写に以前とは違うマニエリスムへの変化が現れているのが分かる。

トレド眺望
1595-1610年頃 121×109cm | Oil on canvas |
メトロポリタン美術館

  エル・グレコが36歳の時に、スペインの古都トレドを訪ねてから活動拠点となった。その古都トレドの初めての風景画として描かれた作品である。エル・グレコの大きな特徴である筆跡が残る画風に深緑と濃青によって表現される独特の世界観である。トレドを陰鬱でありながら印象的にも神秘的にも写している。
 本作はグレコの力作である「聖マウリティウスの殉教」が国王フェリペ2世の不評を買い、失意の後に戻ってきたトレドの街に、その心情を感じることができる。暗い雲の影に射し込む強烈な光は、深緑と濃青によって表現される作品において、最も印象的な効果を生み出している。
 エル・グレコの活動拠点の中心となったトレドの街では本作や「聖衣剥奪」など数々の代表作が生まれた。本作の毛羽立つような強い筆跡を残す画風は、印象派の作風に近く、印象派の画家達やピカソらによって、その独自性が再評価された。また街の入り口にはアルカンタラ橋が、画面右下の川の流れ部分には画家のサインが記されている。

 

聖母子と聖マルティーナ、聖アグネス
1597-1599年 193×103cm | 油彩 |
ワシントン・ナショナル・ギャラリー

 トレドのサン・ホセ礼拝堂のために制作された。本作に描かれるのは、幼子イエスを胸に抱く聖母マリア、寄り添う天使達、聖マルティーナの伝説に準ずる最初の殉教聖女のひとりとして想定された架空の聖女テクラである。さらにラテン教会四大殉教童貞聖女のひとりでローマ長官の息子の求婚を拒んだことから売春婦に貶められ裸身で市内を引き回されるも頭髪が伸び身体を覆った伝説をもつ聖アグネスである。

 本作に示されるエル・グレコ独自の様式化された端麗な表現はパルミジャニーノから影響を受けていたことが知られている。聖女テクラは「神に栄光あれ」を意味し、イコニオン人であるも聖パウロによって改宗したため婚約者にキリスト教徒であると密告され町を追放され、以後、聖パウロと共に東方で布教活動をおこなったとされる。聖テクラに寄り添う牡獅子は、異教徒によって獅子と熊の檻に入れられるも牡獅子によって守られるという伝説からアトリビュートとして描かれた。また聖アグネスの抱く子羊は彼女の聖名アグネス(Agnus=子羊)から由来しているが、その真意はギリシア語の「貞節」とされている。

受胎告知
1597-1600年 315×174cm | 油彩・画布 |
プラド美術館(マドリッド)

 マドリッドのドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院の大祭壇衝立の下段中央部として制作された。本作に描かれるのは、大天使ガブリエルから父なる神により神の子イエスを宿す聖なる器として聖胎を告げら、それを静粛に受ける聖母マリアを描いた「受胎告知」の場面である。現実感を超越した極めて象徴的な表現が示され、画面中央よりやや上に描かれる父なる神の三位のひとつである聖霊が放つ神秘的な光によって超自然的に表現される。

 全体的にはエル・グレコの古典的表現から逸脱し、グレコ独特のうねるような筆跡によって他に類をみない独特の世界観を構築している。このような神秘性を携える表現手法はエル・グレコ後期の特徴のひとつであり、本作はそれが最も明確に示される。

聖霊降臨
1605-1610年頃 275×127cm | 油彩・画布 |
プラド美術館(マドリッド)

 宗教画作品の代表的作例のひとつ。ドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院礼拝堂の大祭壇画衝立の一部であったと推測されている。本作に描かれるのは、神の子イエスの昇天から10日の後(イエスの復活から50日目)、五句節の日に聖母マリアや使徒らが集まる家へ嵐のような大きな音が鳴り響き、各々の頭上へ炎が灯り、一同を聖霊で満たし、永久に神の子イエスの弟子であることを示すと共に、布教のために異国の言語を話す能力を授かった奇跡的な逸話「聖霊降臨」である。、エル・グレコの最も大きな特徴である引き伸ばされた人体構造、強烈な色彩描写による眩い光の表現が顕著に表れている。

 教会の誕生を意味する本作の主題でエル・グレコは、書く人物に劇的な驚きを感じさせつつ、非常に神秘的な場面表現を用いることで、品格性を欠いた俗作に陥ることなく、≪聖霊降臨≫の感動の一瞬と深い聖性が見事に捉えられている。なお同サイズで半円形アーチの額縁処理がなされている点などから同美術館が所蔵する「キリストの復活」の対画であったとされている。

キリストの復活
1605-1610年頃 275×127cm | 油彩・画布 |
プラド美術館(マドリッド)

 エル・グレコが1600年代当初に手がけた宗教画作品の代表的作例のひとつ。ドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院礼拝堂の大祭壇画衝立の一部であったと推測されている。本作に描かれるのは、磔刑に処され絶命し石墓に埋葬された主イエスの亡骸が、三日後の早朝、死に勝利し復活を遂げる、「キリストの復活」で、画面上部に配される勝利の旗を持ち復活した主イエスの瞬間の静寂すら感じさせる神々しい姿。画面下部の復活を目撃するイエスの墓を見張っていた兵士らは、巨匠ミケランジェロの表現に通じる運動性の高い肉体表現と、マニエリスム様式を超えバロック的な様式に近い。登場する人物の肉体的表現は画家の現存する唯一の神話画である「ラオコーン」にも示されている。なお、同サイズで半円形アーチの額縁処理がなされている点などから同美術館が所蔵する「聖霊降臨」の対画であったと考えられている。

ラオコーン
1610-1614年頃 142×193cm | 油彩 |
ワシントン・ナショナル・ギャラリー

  エル・グレコの故郷であるギリシアの神話を描いた唯一の神話画である。ギリシア軍が残したトロイの木馬、トロイの木馬がギリシア軍の計略であるとラオコーンが槍を投じると、ラオコーンと息子たちは大蛇に襲われ、絞め殺されるという神話を描いた。ラオコーンの鬼気迫る姿がエル・グレコ独特の世界観によって表現されている。本来アポロとディアナの2人のみがラオコーンを見つめる者として描かれていたが、1950年代におこなった修復によって、画家が塗り潰したとされる逆方向を向いたディアナの顔が現れた。

羊飼いの礼拝
1612-1614年 320×180cm | 油彩・画布 |
プラド美術館(マドリッド)

 エル・グレコの作品は工房作が多い事でも知られているが、画面全てがグレコの筆によるとされる。本作に描かれるのは「神の子イエスが降誕した夜、ベツレヘム郊外の貧しい羊飼いのところへ大天使が降り救世主が生まれたことを告げた後、急いでベツレヘムに向かい厩の飼葉桶に眠る聖子イエスを礼拝する」キリスト教美術における代表的な図像のひとつ「羊飼いの礼拝」である。晩年期のエル・グレコ様式の特徴、輝度の大きい光彩表現による激しい明暗対比、極端に縦へ引き伸ばされた人体プロポーション、原色に近い強烈な色彩感覚などによって、現実世界を超越した超自然的な事象として表現している。本作では、幼子イエスを中心に、聖母マリアと夫聖ヨセフの姿を奥手へ、手前へ厩へ駆けつけた羊飼いを、上部に神の子イエスの降誕を祝福する天使たちが配されている。

フリアン・ロメロと守護聖人

1600年頃 プラド美術館蔵

フリアン・ロメロはレパントの海戦などで名を遺したスペインの英雄。彼を見守る守護聖人については諸説あるが聖ユリアヌスとされている。イタリアで身につけた表現力や自然主義の影響を感じつつも、身体の大きさに比べて異様に小さな顔や、守護聖人の不自然な頸の曲げ方や体のひねり方、そして視線にエル・グレコらしさを見ることができる。

聖ヒエロニスム

1600年頃 王立サン・フェルナンド美術アカデミー

バランスを欠いた上半身や顔の大きさ、誇張された不自然さがエル・グレコらしくて面白い。

白貂の毛皮をまとう貴婦人

1577-1590年頃 

グラスゴー美術館蔵

エル・グレコの描く肖像画は貴族や聖職者などいわゆる地元の名士のような人たちばかりであるが、本作は数少ない女性の肖像画の一つである。スペインに渡ってすぐの頃の作品で、当時のスペインでは女性の肖像画が描かれることは非常に稀だった。どこか東洋的な美女を思わせる黒い髪や黒い瞳、白い肌、こちらに目を向けるきりっとした視線が印象的である。後年、エル・グレコはマニエリスムの傾向が強くなりますが、この作品を観ると、このような作品を手掛けていれば、バロック絵画の先駆者的な存在としても成功したのではないだろうかと思う。実はこの女性はグレコの愛人ヘロニマ・デ・ラス・クエバスと言われている。

 聖母マリア

1595 - 1600年

プラド美術館

クレタは生と絵筆を彼に授け

トレードは彼の最上の祖国となり

死とともに永遠に生きはじめる

パラビシーノ

 1614年、73歳でトレードで客死したギリシア人画家、通称「エル.グレコ」死に際して、友人の修道士パラビシーノが作成した墓碑銘である。16世紀後半のギリシア、イタリア、そしてスペインという地中海の北岸諸国を巡っての人生であり、その芸術も同地域、同時代の政治、宗教、文化的な環境を投影していた。