アポロ11号病

アポロ11号病 昭和44年(1969年)

 昭和44年7月20日、アポロ11号から発進した月着陸船イーグルが月面に着陸。人類が初めて月面の「静の海」に降り立った。アームストロング船長は月面の「静の海」に左足を踏み出し、「1人の人間にとっては小さな1歩だが、人類にとっては偉大な飛躍である」の有名な言葉で多くの人々に感動を与えた。その19分後、オルドリン飛行士も月面に降り立ち、観測装置を月面に設置し、写真撮影を行い、21.7kgの月の石を地球に持ち帰った。合計2時間20分の月面活動であった。

 月面着陸の様子はテレビで実況中継され、6億人の人々がテレビを見つめ、この快挙に歓声を上げた。月面着陸は日本時間では21日、月曜日の午前11時56分であったが、テレビの視聴率は62%を記録した。人類が月面に立ったことは技術革新の時代を予感させた。

 アポロ11号が月面着陸に成功したころ、西アフリカのガーナで急性出血性結膜炎が突如大流行となった。この伝染病はガーナの首都アクラに近いヌングアから流行し、アクラ市内に広がっていった。

 アクラ大学医学部付属コレブー病院の眼科に第1号患者が現れたのは同年6月25日だった。それまで眼科を受診する外来患者数は20人程度だったが、8月になると急増し8月18日には770人、25日には1115人となった。そして年末までに患者数は2万人に達した。

 はやり目の流行は異様なことで、この新しい伝染病はインフルエンザに匹敵するスピードで世界各地に広がっていった。ガーナのアクラ大学付属コレブー病院はかつて野口英夫が黄熱病の研究を行っていた場所である。この地に現れた新型の「はやり目」は何万人単位で流行し、2年間で世界中に蔓延した。昭和45年には、日本にも上陸して各地で集団発生した。

 ちょうどアポロ11号の月面着陸という世紀の大ニュースと時期が重なったため、急性出血性結膜炎は月から持ち帰った病原体によるものなどとうわさされ、現地の人は「月の神が人類の暴挙に怒り、地球に新しい病原体を送り込んだ」と信じ込み、急性出血性結膜炎はいつしかアポロ11号病と別名がつけられた。

 このうわさは無理からぬ話だった。月には生物がいるかもしれないと議論されていた時代である。実際、宇宙飛行士が月から帰ってきた時、飛行士は1週間近く隔離された。それは月や宇宙から有害な未知のバクテリアやウイルスを持ち込む可能性があったからである。月から持ち帰ったものすべてと宇宙飛行士が隔離され、徹底的に調べられた。もちろん月の石などからも有害物質、生物は発見されなかった。

 急性出血性結膜炎はエンテロウイルス70型、コクサッキーA24の変異株の¥ウイルスによって引き起こされる。同じ病原性を持った2つのウイルスが、時期を同じくして人類の前に出現した理由は今でも謎である。

 エンテロウイルス70型は、昭和46年に国立予防衛生研究所ウイルス中央検査部長・甲野禮作と山崎修道が、北海道で分離した株から世界で初めて発見した。2つの原因ウイルスは他のウイルスと違い33℃の低温で繁殖した。このことが消化管ではなく温度の低い結膜に感染しやすいことを示していた。

 急性出血性結膜炎の潜伏期は1日から2日で、突然目にごみが入った時のような激しい痛みがでる。目やにが出て涙が出てまぶたが腫れ、結膜の出血のため白目が真っ赤になる。白目が真っ赤になるので患者や家族は驚くが、ほとんどは特別な治療を必要とせず、1から2週間で自然に治癒する。

 感染は小学校高学年の児童から成人が多く、乳幼児では大部分が軽症であるが、ウイルス性疾患なので、眼科の医院、学校の集団検診などで感染する危険性が高い。感染力が強いので、眼科医は患者の目を触らず、結膜の出血具合で診断することになっている。感染予防のためには、タオルや洗面器などを別にして、同じ目薬を使わないことである。手指を常に清潔にしておくのが予防の第一である。

 このように急性出血性結膜炎は世界中に流行したが、ウイルスの性質が変わったせいか、最近ではまれな疾患となっている。なぜ突然地球上に現れ、突然去っていったのかは謎のままである。