米軍機、病院に墜落

【米軍機、病院に墜落】昭和38年(1963年)

 昭和38年5月16日午後3時半頃、米空軍のマーチンB57爆撃機が、埼玉県南部の毛呂山町にある毛呂山病院(丸木清美院長)にごう音とともに墜落炎上した。墜落したマーチンB57爆撃機は横田基地所属の双発ジェット爆撃機で、搭乗していた2人の乗務員はパラシュートで脱出、病院の近くに降下して顔などに軽いけがをしただけだった。

 毛呂山病院は八高線毛呂山駅から100メートルの町はずれにあり、毛呂山病院と看護寄宿舎の間にマーチンB57爆撃機が墜落したのである。爆風により木造2階建ての看護寄宿舎の一部は壊れ、病棟、看護寄宿舎、院長宅は一瞬のうちに火炎に包まれ燃え広がった。

 駆けつけた同病院職員や消防隊が懸命に消火に努めたが、夕方まで燃え続け、病院は全半焼した。毛呂山病院は精神、内科、外科、結核などの病棟があり、入院患者1100人で職員500人が勤務していた。墜落した時の爆風で、入院患者・太幡吉之助さん(46)が吹き飛ばされて死亡、火災により看護婦ら14人が重軽傷を負った。