東大梅毒事件

【東大梅毒事件】

 昭和23年11月22日、東京大学付属病院で子宮筋腫の手術のために輸血を受けた婦人Aが、輸血によって梅毒をうつされたと東大総長を告訴した。婦人Aは同年2月5日、東大付属病院に入院して手術の前後に計4回の輸血を受けた。

 当時の輸血は、売血を職業とする者から血液を買い上げるシステムであった。売血を希望する職業的売血者が輸血を必要とする患者の病院に出向き、採血する方法(枕元輸血)であった。

 輸血によって梅毒をうつした男性Bは、血液斡旋所が発行した2月12日付のワッセルマン陰性の梅毒陰性証明書を持っていた。医師は「身体は大丈夫か」と簡単な問診をおこない、2月27日、男性Bの血液を婦人Aに輸血をした。ところが男性Bは、2月25日頃に売春婦と性交渉を持ち、梅毒をうつされていたのである。

 梅毒は感染から梅毒反応が陽性になるまでに2週間を要した。証明書発行後に性交渉を持つようなケースでは、梅毒陰性の証明書は何の意味もなさなかった。婦人Aは、売血者Bへの医師の問診が不十分だったとして訴えたのである。婦人Aは梅毒に感染したため、20年間続いた夫との家庭生活が維持できなくなり離婚することになった。そのために損害賠償を東大総長に求めたのだった。

 裁判では、医師が男性Bから採血する際の問診に過失があったかどうかが争点になり、最高裁で結審するまで13年間にわたり争われることになる。医師側は、「売春婦と交渉を持ったか」などと露骨な質問をしないのが慣例であること、職業的供血者に「女と遊んだことはないか」と質問しても、正確な答えが返ってこないと反論した。公判で売血者Bは「売春婦の性的交渉については、尋ねられなかったので言わなかった」と答えている。

 最高裁は梅毒の可能性を問診しなかった医師の過失を認める判決を下し、病院の敗訴となった。裁判長は「いやしくも人の生命、および健康を管理すべき業務に従事する者は、その業務の性質にてらし、危険防止のため最善の注意義務が要求される。相当の問診をしていれば、結果の発生を予見し得た」と判決理由を述べた。

 この判決は医師側にとって厳しいものであった。医療上の慣例であっても、法律がそれを許さないのであった。このようなケースは非常にまれではあるが、では医師はどうすればよかったのか。

 医師が男性Bから採血した時期は、ワッセルマン反応を調べたとしてもまだ抗体は作られず、梅毒反応は陰性の時期であった。また十分な診察を行ったとしても、梅毒の潜伏期なので症状はでていない。やはり「女と遊んだことはないか」と尋ねるべきであった。供血者が「遊んでない」と答えていれば、責任は供血者になっていたからである。

 現在の輸血は、日本赤十字社が血液業務を一括して行い、梅毒、肝炎、エイズなどの検査で安全が確認された血液だけが用いられる。しかし抗体検査によるチェックだけでは、確率は極めて低いものの輸血で絶対に感染しないという保証はない。

 しかしこの東大梅毒事件判決をきっかけに、輸血は枕元輸血ではなく保存血が主流になった。梅毒は3日で死滅するため、保存血輸血で梅毒は感染しないからであった。