女医モルヒネ殺人事件

【女医モルヒネ殺人事件】(昭和26年)

 昭和26年11月9日、東京都西多摩郡の医師・三田剛文(36)の自宅で、妻の八重子さん(33)が口から血を吐いて死んでいるのを家人に発見された。一見、病死を思わせる遺体であったが、検死の結果、毒殺であることが判明した。

 警察は同日夜、夫の三田さんの愛人で東京都・小金井町立第二診療所の医師・倉山桃子(27)を八重子さん殺害の参考人として連行しようとした。しかし倉山桃子は連行直前に服毒自殺を図り、福生病院にかつぎこまれたが、生命を取り留め、犯行を自供するに至った。

 倉山桃子は、かつて西多摩郡西秋留村(現あきる野市)の阿伎留病院に勤めていて、そこで外科医・三田剛文と親しくなった。殺された妻の八重子さんは結核で、倉山と三田は2年前から八重子さんの目を盗んで恋仲になっていた。八重子さんが肺の手術で入院したときには2人は三田の留守宅で生活を楽しんでいた。

 ところが妻の八重子さんの病気が回復して夫婦仲が良くなり、それにつれて三田の態度が冷たくなった。三田剛文にとっては遊びだったが、倉山桃子にとっては重大事であった。

 医師である倉山桃子は八重子さんの殺害を計画した。犯行当日、倉山桃子は三田宅に電話をして、福生駅に荷物が届いていると偽の話を持ち出し、三田の母親を外出させることに成功。自宅に1人でいる八重子さんを訪ね、雑談の後、「ストレプトマイシンの治療を受けている患者の血液について研究をしているので、あなたの血液をいただきたい」と申し込んだ。倉山桃子は採血すると見せかけ、塩酸モルヒネ0.4グラムを左腕静脈に注射して殺害した。

 モルヒネは鎮静、催眠作用があるが、大量投与は延髄の呼吸中枢を麻痺させ死に至らしめる。八重子さんに打ったモルヒネは通常の40倍の量であった。さらに犯行を隠すため、持参した輸血用血液を八重子さんの口に塗り、吐血による病死を装った。

 倉山桃子は茨城県生まれで、水海道女子高から、帝国女子医専(東邦医大)に進んだ。昭和19年に卒業すると西秋留村の阿伎留病院に勤め、小金井町立第二診療所に転勤していた。派手好みの女医であったが、八王子刑務所で服役することになった。