モンドリアン

ピエト・モンドリアン(1872年〜1944年 71歳没)
 オランダ出身の画家。初期のモンドリアンは風景、樹木などを描いていたが、やがて完全な抽象画へ移行する。有名な「リンゴの樹」の連 作(下図)を見ると、樹木の形態が単純化され、完全な抽象へと向かう過程が分かる。

 水平と垂直の直線によって分割された画面に、赤・青・黄の三原色のみを用いるという一 連の作品がもっとも知られている。
  モンドリアンはオランダのアムルスフォルトに生まれる。幼少の頃から郊外でスケッチをするなどしていた。 1892年、アムステルダム国立美術アカデミーで教育を受け、この頃から色彩を重視する傾向が現れてくる。卒業後はリアリズムを離れ、印象派、特にゴッホやスーラの影響を受けた。
 1912年からパリに滞在したモンドリアンはすでに40歳であった。9歳年下のピカソやブラックが提唱するキュビスムに従うが、キュビスムの抽象化は、純粋なリアリティへ向かっていないと思うようになる。1914年、父親の病気によりオランダに戻るが、第一次大戦が勃発したためパリに帰れずオランダに残る。モンドリアンは「絵画は普遍的宇宙の秩序を表現すべき」と考え、そのためには「完全に抽象的な芸術が必要」とし、抽象表現を探求することになる。これまで絵画には事物の形態が必ずあったが、モンドリアンは事物の形態がない抽象絵画へ移行したのである。
 抽象表現が続く中、モンドリアンは「黒い上下左右の直線と、その線に囲まれた様々な大きさの四角形とその色面、そして平面的な形を配置する」この様式こそが彼が求めていた絵画だった。色は青・赤・黄の三色に限定し、水平・垂直の直線から成る「コンポジション(構図)」 が確立された。リアリティと調和させるため、絵を平面で捉え、額縁を取り除き、色むらのない線や色面を描き、対象物のない絵を描いたのである。
 1940年、戦火を避けてニューヨークに亡命する。「フォーチュ ン」誌は、亡命した芸術家12人を記事に取り上げ、モンドリアンが商業美術に与えた影響は大きいと書いた。以後、モンドリアンの絵はさらに華やかに展開していく。ニューヨーク時代の代表作「ブロードウェイ・ブギウギ」は、アメリカで初めて聴いたブギウギ の曲に触発されて描いたものである。
 1942年、モンドリアンは初の個展を開き評価も高まった。しかしモンドリアンはそれまでの作品に満足することなく、目指す絵画を創り上げるため試行錯誤を続け、亡くなる前に、「自分の目標は次々に高くなるので、その実現に悪戦苦闘している」と述べている。1944年、肺炎のためニューヨークで死去。モンドリアンはイブサンローサンなど多くのデザイナーやクリエイターに大きな影響を与えた。


ブロードウェイ ブギ=ウギ

1942-1943 127 x 127 cmニューヨーク近代美術館

ニューヨーク時代の代表作「ブロードウェイ・ブギウギ」は、アメリカで初めて聴いたブギウギ の曲に触発されて描いたものである。(左図)