アングル

 ジャン・オーギュスト・ドミニク・アングル(1780年〜1867年)は19世紀前半のフランスの画家。フランス南西部のモントーバン近郊で装飾美術家の子として生まれる。父親は美術家というよりは職人で、家具の装飾彫刻、看板描きから音楽まで手掛けていた。アングルも幼少期から絵画とともに音楽を学んでおり、ヴァイオリン奏者としての一面もあった。
 アングルは12歳の時、トゥールーズのアカデミーに入学する。1797年パリに出て、新古典派の巨匠ダヴィッドに入門し、1801年、当時の若手画家の登竜門であったローマ賞を受賞した。ローマ賞受賞者には、政府給費生として国費でのイタリア留学が許可されたが、アングルの場合は、当時のフランスの政治的・経済的状況のため留学が延期され、1806年にようやくイタリアのローマを訪れている。その後アングルは1824年までイタリアに滞在し、ローマ、フィレンツェで活動している。この間、ラファエッロ、ミケランジェロなどの古典を研究し、生活のために肖像画を描き、母国フランスのサロンへも出品していた。
 長いイタリア滞在の後、44歳でダヴィッドの後継者としてフランスに迎えられる。アングルは祖国フランスでも押しも押されもせぬ巨匠とされ、1855年のパリ万国博覧会においてはアングルの大回顧展が開催された。
 19世紀前半、当時台頭してきたドラクロワらのロマン主義絵画に対抗し、古典主義的な絵画の牙城を守った。アングルの現代美術家たちへの影響は大きく、アングルの最大の特徴はデッサンである。色彩や明暗、構図よりも形態が重視され、安定した画面を構成している。その作風はイタリア・ルネサンスの古典を手本とし、絵画制作の基礎を尊重しながらも、独自の美意識をもって画面を構成している。

 作品「泉」は44歳の時にデッサンをしていて、完成させたのは76歳の時である。女性の姿は非対称的で不自然であるが、女性の内面的な美しさを表現している。

 「グランド・オダリスク」(下図3段目)に登場する、観者に背中を向けた裸婦は、冷静に観察すると胴が異常に長く、通常の人体の比例とは全く異なっている。同時代の批評家からは「この女は脊椎骨の数が普通の人間より3本多い」などと揶揄されたが、アングルが自然を忠実に模写することよりも、自分の美意識に沿って画面を構成することを重視していたことを示している。こうした「復古的でアカデミックでありながら新しい」態度は、近現代の画家にも影響を与えた。印象派のドガやルノワールをはじめ、アカデミスムとはもっとも無縁と思われるセザンヌ、マティス、ピカソらにもその影響は及んでいる。
 当時発明された写真が「画家の生活を脅かす」として、フランス政府に禁止するよう抗議した一方、自らの制作に写真を用いていたことでも知られる。


1820-1856年 163×80cm | 油彩・画布 |
オルセー美術館(パリ)

 裸婦の傑作としても名高い。本作品はアングルがローマ賞受賞後、20年近く滞在したイタリアのフィレンツェで、44歳の時にデッサンをしていて、完成させたのは76歳の時である。女性の姿は非対称的で不自然であるが、女性の内面的な美しさを表現している。泉の擬人像としての裸婦作品で、画面中央に配される泉の擬人像は、正面を向きつつ首を右側に傾げ、下がった左肩に水が流れ出る水瓶を乗せ全身をS字にバランスをとっている。この体の重心を片方にのせ、もう片方を遊脚にすることで全身をS字形に流曲させる姿態は、古代ギリシャの彫刻家が用いており、ミケランジェロも傑作「ダヴィデ像(ダビデ像)」で用いるなど、古典的かつ伝統的な姿態構図として一般化している。また本作はそれを用いた新古典主義時代の典型的な作品である。大理石を思わせる滑らかな肌や皮膚、均整的で理想的な裸婦の肉体、無駄のない理知的な構図と正面性、動きの少ない安定的な画面などの点からも、芸術におけるひとつの完成形として後世の画家たちに多大な影響を与えた。

水からあがるヴィーナス(ヴィーナスの誕生)
1807-1848年 163×92cm | 油彩・画布 |
コンデ美術館(シャンティイ)

フランス新古典主義の画家アングルを代表する神話画作品のひとつ。画家27歳となる1807年から構想されていたものの、完成まで実に40年以上の歳月を要した本作は、愛と美と豊穣の女神で、ギリシア神話におけるアフロディーテと同一視される「ヴィーナス(ウェヌス)」を画題に女神の誕生の場面を描いた作品である。
 女神ヴィーナスは神々の最初の王としても知られる天空神ウラノスから滴った精液が海に落ち、その泡から誕生したとされており、本作では女神が泡から生まれ出でる光景が官能的に描かれている。画面中央に配される美の女神ヴィーナスは黄金に輝く長い髪を両手で柔らかく掻き揚げながら視線を向けており、その無感情的ながら堂々としたその姿には美の女神としての神々しさを感じることができる。また片足に重心をかけ、さらに身体手足全体で大きなS字の曲線を形作る姿態で女神の裸体は描写されているが、本作で用いられる誇張的なS字曲線は女神の官能性をより強調する効果を発揮している。そしてヴィーナスの足元には愛の神アモール(別名キューピッド。ギリシア神話におけるエロスと同一視される)たちが無邪気な様子で纏わり付くように配されている。さらに後方へ目を向けてみると左側には夜明けを思わせる太陽が昇り、濃青の海がその陽光にうっすらと輝いている。本作で前景に描かれる女神ヴィーナスと薄暗い背景の色彩的対比は、彼女の艶かしい官能性と共に特筆に値する出来栄えを示している。なお本作にはルネサンス三大巨匠のひとりで、画家自身多大な影響を受けていたラファエロ・サンツィオの『ガラティアの勝利』からの影響が指摘されている。

グランド・オダリスク(横たわるオダリスク)
1814年 91×162cm | 油彩・画布 |
ルーヴル美術館(パリ)

 アングルが34歳の時に描いた代表作「グランド・オダリスク」。当時流行したオリエンタル趣味で、ナポレオンの妹ナポリの王妃カロリーヌの依頼により描かれた。しかし制作途中で帝政が崩壊した為、数年の後にサロンへ出品された。女性美を輝く肌と優雅な曲線を用い、抽象的表現で描かれている。発表時は調和や統一性、形式美、理知などが尊重される時代だった。そのためそのいびつな背中と伸びきった腕の裸婦に、当時の評論家から非難を受けたものの、人体構造的にはあり得ない伸びきった背中や太過ぎる腰・臀部・大腿部は、vが美を追求した末に辿りついた表現として、現在ではアングルの大きな特徴として認識されている。アングルは、若い頃に修行で訪れたローマでルネサンス芸術に触れ、巨匠ラファエロの影響を強く受け、この裸婦の顔つきもラファエロの傑作「若い婦人の肖像(ラ・フォルナリーナ)」の影響と思われる。

 ドヴォーセ夫人の肖像
1808年 76×59cm | 油彩・画布 |
コンデ美術館(シャンティイー)

 「皇帝の玉座のナポレオン」をサロン出品して酷評を受け、失意の内に訪れたローマの地で描かれた。ローマ法王庁に派遣されていたフランス大使シャルル・アルキエの愛人「ドヴォーセ夫人」をモデルに描かれた肖像画作品である。画面中央のドヴォーセ夫人は背もたれの赤い曲線の優美な椅子に柔らかく腰掛け、顔面は真正面から、身体やや斜めに構えた姿勢で捉えられている。薄く上がった口角、真っ直ぐに向けられた瞳の輝き、左右対称に分けられた頭髪、凛とした眉に知性を感じることができる。
 さらに黒髪と同じドレスの深い色彩は天鵞絨(ベルベット)風の質感と品位があり、衣服や首飾りの色とドヴォーセ夫人の白い肌や大きな金色のショールとの対比を生み出している。そして左手の指輪、右手の扇子と細い腕輪が緻密な筆捌きで描き込まれている。そして本作で注目すべきは、明らかに長すぎる左腕の不自然さを消していることにある。左腕のみに注目し、右腕や全体と比較すると右腕の長さに気がつくが、黄金のショールで左腕を隠し、また左半身を前斜めに向けて描くことで全体のバランスを整えている。さらに陰影に乏しい黒色の衣服や対角的に描き込まれる丸みを帯びた赤い椅子によって、不自然さの隠蔽に成功している。このような理想美のための構造的な違和を用い、さらにそれを見事に調和化させる表現手法や写実的描写には、アングルの類稀な画才といえる。

ドーソンヴィル伯爵夫人の肖像
1845年 131.8×92cm | 油彩・画布 |
フリック・コレクション

 アングルが2度目のイタリア滞在から帰国し、フランス画壇の最高権威者として熱狂的に迎えられて間もない1845年に制作された。モデルはアカデミー会員としてもよく知られた名門貴族ドーソンヴィル伯爵の夫人であり、ブロリ公女の義姉妹でもある社交界の花形「ルイーズ・ド・ブロリ」である。画面中央へ配されるドーソンヴィル伯爵夫人は大きな鏡台へ凭れ掛かるように立ちながら視線を観る者へと向けており、右手は胴から下腹部を押さえるような、左手は顎のあたりに軽く添えるような姿態を見せている。この独特な左手の仕草は、2度のイタリア滞在中で熱心に研究していた古代ローマの彫刻に倣った「瞑想」を意味するもので、伯爵夫人の知性と教養の高さを示している。また伯爵夫人が身に着ける衣服は艶やかな光沢を帯び一見して品質と地位の高さを知ることができる。そして伯爵夫人の背後の鏡台には彼女の後頭部が映っており人間としての2面性を暗喩させている。極めて高度な写実的描写や、美しきドーソンヴィル伯爵夫人の魅力的な顔立ちや表情なども特筆に値するが、本作で最も注目すべき点はあえて非現実的な人体描写をおこない、観る者へ理想的な形体の視覚認識をおこなわせている点にある。伯爵夫人の左肩から背にかけての急激な湾曲は人体の骨格構造的には有り得ないものであり、また両腕の長さも画面奥側の右腕が極端に長く描かれている。しかし画面全体としては人体の不自然さを全く感じることは無く、むしろ湾曲は伯爵夫人の女性らしさを、左右の腕は全身姿態の絶妙な均衡を保たせる効果を発揮している。このような理想美追求のための現実性の変改はアングルの大きな特徴であり、本作には画家の美に対する確固たる信念・対峙がよく示されている。

ルイ十三世の誓願
1824年 421×262cm | 油彩・画布 |
ルーヴル美術館(パリ)

アングルの宗教画作品のひとつ。アングルがイタリアで名を馳せパリへと戻る前年の1824年に、画家の故郷モントーバンのノートル・ダム大聖堂の依頼によって制作された。本作は聖母被昇天の日(8月15日)にフランス国王ルイ13世が同家の守護聖人でもある聖母マリアと幼子イエスへ誓願する姿を主題に描かれている。画面上部中央へ配される幼子イエスを抱く聖母マリアは神々しく輝く光に包まれながら清廉な表情を浮かべている。この聖母マリアの姿はアングルがイタリアで強く影響を受けたりラファエロ・サンツィオの「システィーナの聖母」を模しているが、原図と比較するとアングル独特の堅牢的な形式性がより色濃く反映されている。また画面ほぼ中央に配される左右の緑色のカーテンを広げる2天使を境に、画面下部やや左側へ王を示す冠とブルボン家の紋章である百合が先端についた黄金の杖を聖母マリアへ差し出し誓願するルイ13世が描き込まれている。やや過ぎた感も認められる古典様式を意識した堅硬な画面構成や色彩表現、極めて高度な写実的描写などは成熟期を迎えつつあるアングルの絵画的特徴がよく示されている

 
ヴァルパンソンの浴女
1808年 146×97.5cm | 油彩・画布 |
ルーヴル美術館(パリ)

 アングル初期を代表する裸婦作品のひとつ。1808年のサロンへ出品され高い評価を受けたほか、1855年の万国博覧会へも出品されている。本作は「浴女」を背面から捉えたアングルの典型的裸婦作品で、名称の「ヴァルパンソン」は本作を当時400フランで購入し所有したヴァルパンソン氏に由来する。画面中央やや右側へ配される頭にターバン風頭巾を着けた浴女は、寝具に腰掛け一息をつくような自然体の様子で背後から描かれている。皺ひとつよらない理想化された肌の表現や、全体的に丸みを帯びた女性らしい肉感とふくらみの描写は、あたかも古代の彫刻を模したかのような形状的美しさに溢れている。
 また正確なデッサンに基づいた高度な写実性は、本作の洗練性を視覚的に強調する効果を生み出している。線描を重要視するアングルの様式的傾向が良く示され、さらにこの背面から捉えられた裸婦像は、アングル晩年の代表作「トルコ風呂」にも取り上げられている。なお1855年の万国博覧会への出品は、ヴァルパンソン氏と懇意であった当時21歳の若きエドガー・ドガが仲介したことによって実現し、その際、アングルがドガと対面し助言を与えたという有名な逸話が残されている。


帝の座につくナポレオン1世
1806年 260×163cm | 油彩・画布 |
軍事博物館(パリ)

 アングルの初期を代表するフランス皇帝に就任した「ナポレオン・ボナパルト」の姿を描いた肖像画。1806年、フランス第一帝政時に立法院からの依頼により制作され、同年のサロンへも出品された。国民投票の圧倒的支持を得た「皇帝ナポレオン1世」である。
 画面中央に描かれた皇帝ナポレオンは時が止まったかのように真正面を向き、観る者へ視線を向けている。その姿は己の絶対的な勝利と権力を示している。またナポレオンの頭には勝利と栄光を象徴する月桂樹の葉の黄金の冠が被せられている。ナポレオンが身にする毛足の長い豪奢な衣服は、フランスの最高権力者(君主)が身に纏う衣服そのものであり、その地位の高さを連想させる。さらに黄金で作られた玉座に座するナポレオンは、王を象徴する杖を右手で掲げ、祝福を与える指の形をした杖を左手で軽く添えている。このように皇帝や権力者、絶対者としての象徴的要素が描かれている。安定的な正面的構図や、画家の極めて高度な写実性、真実性は観る者を惹きつける。そこには幻想性や神秘性すら感じさせるが、あまりにも厳格な正面性と迫真的写実表現から、サロン出品時、ゴシック様式や初期ネーデルランド絵画の巨匠ヤン・ファン・エイクの写実性や自然主義的描写と比較され、時代錯誤と酷評を浴びせられた。なおアングルは批評家らによる本作への酷評に強く落胆し、同年、イタリアへと旅立っている。

スフィンクスの謎を解くオイディプス
1808年 189×144cm | 油彩・画布 |
ルーヴル美術館(パリ)

 ローマ賞大賞を受賞した数年後のローマ留学での最初の作品。本作はギリシア神話による。怪物スフィンクスに「朝は4足、昼は2足、夜は3足で歩むものは何か?答えられたらテバイの地を与えよう。答えられなかったらお前を殺す」と謎をかけられ、それに見事回答を言い当てる(未来のテバイ王)オイディプスの最も有名な逸話のひとつを主題にしている。
 画面中央に配されるオイディプスは、洞窟の入り口に陣取り謎を問いかける胸部(女性)の曲線的フォルムを強調したスフィンクスを指差し、凛々しく悠然とした姿で回答を述べている。オイディプスはスフィンクスへと身体を向けるよう上半身を丸くし、また一段高い岩の上に置かれた膝から直角に曲がる左足へスフィンクスを指差す左腕を置いている。極めて端整で古代彫刻を連想させる男性的な力強さを感じさせる。この男性裸体像であるが、複雑なしたい構成を用い、さらにほぼ真横から当てられる光彩設計により身体は平面化し、あたかも浮き彫りのような印象すら受ける。この独特の平面化こそ当時の新古典主義の様式美や自然主義的表現とは一線を画す、アングルのロマン主義的な革命性(近代性)の表れである。本作は1808年にパリの王立絵画・彫刻アカデミーへと送られた。平坦で厳格な画面の構成と表現に審査委員会は不満を述べたが、本作の独創的な空間表現は近代の画家たちに多大な影響を与えた。なお本作の画面奥に描かれるスフィンクスに恐れ戦き逃げ出す男は、フランス古典主義の巨匠ニコラ・プッサンに着想を得たとされている。

ラファエロとラ・フォルナリーナ
1811-12年64.7×53cm | 油彩・画布 |
フォッグ美術館

 アングルの歴史的肖像画作品である。スイスの銀行家プルタレス=ゴルジエ伯爵の依頼により、画家が滞在していたローマの地で制作した。1814年のサロンへも出品されたことが確認されているた。ルネサンス期の画家ラファエロと彼の永遠の恋人ラ・フォルナリーナとされる。「画面中央に配されるラファエロはラ・フォルナリーナを両腕でしっかりと抱き寄せ、その顔は画面右側の製作途中の画布へと向けられている。
 この画布に描かれるのは名高い「若い婦人の肖像)」であり、ここに抱き寄せるラ・フォルナリーナから、理想的絵画上のラ・フォルナリーナへの芸術的昇華が指摘されている。また画面奥右側にはラファエロ屈指の傑作として知られる『小椅子の聖母』が配されており、アングルのラファエロ、そして「小椅子の聖母」に対する深い敬意の念を感じることができる。なおラファエロとラ・フォルナリーナを画題とした作品は現在までに複数点知られているが、本作はその中で最も早い時期に制作されたと考えられている。


トルコ風呂
1859-63年頃 110×110cm | 油彩・画布(板) |
ルーヴル美術館(パリ)

 アングルが晩年期に手がけた裸婦作品の集大成。本作はオスマン帝国に派遣されていた英国大使夫人モンタギュー夫人が残した書簡集(1805年刊行)に記されるトルコ風呂の情景の一説に、さらにその書簡集に基づいて制作された数点の版画に着想を得て手がけられた≪浴女≫を主題とする作品である。画面中央前景には優雅に楽器を奏でる女性や、怠惰的にソファーへ寝そべる女性、髪に香油を付ける女性などが配されており、後景には音楽に合わせて踊る者、会話を楽しむ者、飲食する者などさまざまな女性たちが描き込まれている。本作に登場する女性たちは舞台が風呂である為、全て裸体であり、この裸婦の群衆的様子や独特の雰囲気には、アングル自身も強く惹かれていた西洋文化とは全く異なる豊潤な異国情緒とエロチシズムが感じられる。さらに画面前景の楽器を奏でる背を向けた裸婦はアングル初期の傑作『ヴァルパンソンの浴女』との、魅惑的な視線を向けながら怠惰的に横たわる裸婦には『グランド・オダリスク(横たわるオダリスク)』との造形的特長の一致が明確であり、本作は画家がそれまでに手がけた裸婦像の統合的再構成という面も見出すことができる。さらに製作過程を考察すると、本作は当初、四角形の画面で制作されていたものの、その後、幾度も画家自身の手によって修正を加えられ続け、ついには1862年から完成となる1863年までの間にイタリア風の円形画(トンド)形式へと画面そのものを変更するに至っている。なお本作の豊潤な官能性や総合的肉体描写は後期印象派の巨匠ポール・セザンヌを始め、ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ、アンリ・マティス、パブロ・ピカソなど後世の画家たちに多大な影響を与えた。