君といつまでも

君といつまでも
 君といつまでもは、加山雄三の5枚目のシングル。昭和40年12月発売。収録は関西のスタジオで行われ編曲(アレンジ)が気に入った加山が、嬉しさのあまり「いやあ、幸せだなぁ」と呟いた。そのことから、後に流行語となる台詞が間奏に収録されることとなった。300万枚を超える大ヒットになり。昭和41年の日本レコード大賞特別賞となった。加山の主演映画『エレキの若大将』(1965年、東宝/岩内克己監督)では、主題歌として、「君といつまでも」と「夜空の星」がともに歌われている。「君といつまでも」は『アルプスの若大将』(1966年、東宝/古澤憲吾監督)の主題歌としても使われている。
 加山雄三(1937年〜)は、本名・池端直亮(いけはた なおあき)、ペンネーム弾厚作。ニックネームは若大将。父は俳優の上原謙(池端清亮)、母は女優の小桜葉子(池端具子)。妹は池端亮子。母方には明治の元勲・岩倉具視がいる。
神奈川県横浜市神奈川区幸ヶ谷に生まれるが、覚えているのは神奈川県茅ヶ崎の家からである。茅ヶ崎市の実家には31歳で結婚するまで過ごした。茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校、茅ヶ崎市立第一中学校、慶應義塾高等学校から慶應義塾大学法学部政治学科へ進み卒業後の1960年春に東宝へ入社。同年「男対男」で映画デビュー。当時、同じく有楽町にあった渡辺プロにも一時期在籍。
 1961年、「夜の太陽」で歌手デビュー。NHK『NHK紅白歌合戦』出場17回。代表曲多数。後のフォークソングやニューミュージック全盛時代に先立つ、日本におけるシンガーソングライターの草分けであり、また日本ではじめて多重録音を手がけた歌手である。ソングライターとしてのペンネームは、加山が尊敬している團伊玖磨と山田耕筰を足して2で割った弾厚作(だんこうさく=ドン・コサック)で、同名義で作曲している。
 1964年6月10日、日刊スポーツに『波乗り日本第一号 加山雄三 サーフボー作る』と載る。
 1965年12月に映画『エレキの若大将』主題歌として発売された「君といつまでも」は350万枚の大ヒットになり、1966年の第8回日本レコード大賞の大本命とされていたが、結局大賞は同曲に比べ売り上げ面で劣る橋幸夫の「霧氷」が受賞することとなり、「君といつまでも」は特別賞に留まる。
 俳優としてはそれまでの宝田明に代わって東宝の若手看板スターとして大活躍、娯楽映画の『若大将シリーズ』が大ヒットし代表作となるが、一方で黒澤明、成瀬巳喜男、岡本喜八といった名匠の作品にも多く出演している。ブロマイドは女学生を中心に爆発的な売れ行きを記録した。
 1965年、神奈川県茅ヶ崎市にパシフィックホテル茅ヶ崎を開業。開業から5年後に23億円の負債を抱え倒産。ホテルは18億円で売却され、監査役だった加山は、父の上原と共に巨額の債務を抱えた。加えて、女優松本めぐみとの駆け落ち同然の結婚が世間を騒がせ、映画出演の減少もあいまって、かつてない不遇の時代を迎える。ナイトクラブ、キャバレー回りをするも、ギャラはほぼ全額借金の返済に充てられ質素な生活へと追い込まれるが10年で完済した。
 その後、テレビのバラエティ番組、テレビドラマにでていたが、ドラマの挿入歌である「ぼくの妹に」がヒットして徐々に息を吹き返す。加えて「理想の父親」と呼ばれるほど世間からの好感が高く、ヤマザキナビスコのクラッカー「プレミアム」で家族全員でCM出演をする程、「理想の家族」としても認知度が高い。
 1986年 - 1988年まで『NHK紅白歌合戦』で3年連続で白組司会を務めた。1986年、『第37回NHK紅白歌合戦』の司会では、白組トップである少年隊の「仮面舞踏会」を紹介する際、誤って「仮面ライダー」と叫ぶ「事件」を起こし、当時のバラエティ番組などにしきりにネタにされている。
 1991年12月28日、新潟県南魚沼郡湯沢町に加山キャプテンコーストスキー場を開業。2010年-2011年シーズンまで営業したが、2011年に発生した東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)の影響や若者のスキー離れなどによる経営資金調達困難などが影響し、2011年7月に閉鎖を決めた。