ミロ


ジョアン・ミロ(1893年 - 1983年)

 ジョ アン・ミロは、ピカソ、ダリと並んで20世紀のスペインを代表する画家である。カタルーニャ地方のバルセロナ出身。かつてスペインではカスティーリャ語以外の言語は公的には禁止されていたので、カス ティーリャ語式の読みでホアン・ミロと書かれることある。独裁者フランコの死去以降、地方語は復権され、現在言語正常化にある。ミロ18歳の時、うつ病と腸チフスを患い、療養のためカタルーニャのモンロッチ村に滞在した。この村の環境がミロの芸術に大きな影響を与えた。彼はこの頃から画家を目ざすようになり、バルセロナの美術学校に入学した。

 1919年にはパリに出て、ピカソら芸術家と知り合い、またシュルレアリスム運動の主唱者であるアンドレ・ブルトンと出会う。ミロの作風は自由奔放なもので、ミロは「画家」という肩書きにこだわることを嫌い、パリでは作家のヘミングウェイやヘンリー・ミラーなどとも交流があった。ミロはシュルレアリスムの運動に参加したことから、シュルレアリストに分類されるのが、ミロの描く人物や鳥などはデフォルメした形態、原色を基調にした色使い、あふれる生命感などは写実的描法を用いることが多い。他のシュルレアリストの作風とは異なり「無邪気さ、楽しそうなな表現」で独自の地位を築いている。深刻に思索を経て作品にしたり、絵画理論に基づいたりというタイプではなく、彼の絵は幼児が描いたようなやすらぎを感じさせる。神の啓示のような、電流を感じて描いたと述べている。

 1930年代からはバルセロナ、パリ、マリョルカ島にアトリエを持ち、1944年からは陶器や彫刻の制作を始める。晩年にはコンクリート製の大型彫刻や壁画などのパブリック・アートの大作を数多く残している。1970年には日本万国博覧会(大阪万博)のガス館に陶板壁画「無垢の笑い」を制作するため来日した。1983年、アトリエのあるパルマで老衰のため死去。愛知県美術館には「絵画」(1925)が、福岡市美術館には「ゴシック聖堂でオルガン演奏を聞いている踊り子」(1945)が、岐阜県美術館には「人と月」(1950)が、富山県立近代美術館には「パイプを吸う男」が収蔵されている。