ミケランジェリ

ミケランジェリ
(Arturo Benedetti Michelangeli, 1920年1月5日 – 1995年6月12日)イタリアのピアニスト。イタリアのオルツィオヌオーヴィ生まれ。5歳の時にヴェントゥーリ音楽院に入学し。1938年にブリュッセルのエリザベート王妃コンクールに出場するが7位入賞にとどまる(1位はエミール・ギレリス)。ミケランジェリは初見で弾くのが苦手で7位に終わったのも、1週間で覚えなければならない課題曲があったからといわれている。1939年のジュネーヴ国際音楽コンクールで優勝。審査員のアルフレッド・コルトーに「リストの再来」と賞賛された。戦争中はパルチザンに参加しゲシュタポに逮捕されたが、敵側に自分の教え子がいたので脱獄出来た。戦後は盛んにコンサートを行うが、1953年に体を壊し演奏活動をセーブするようになる。1955年、ショパン・コンクールの審査員としてワルシャワに招かれた際、コンサートを行う。その圧倒的な演奏内容は若きピアニストたちを打ちのめした。ミケランジェリはキャンセル魔として有名で、ピアノの響きが少しでも気に入らないとコンサートをしないこともしばしばあった。