音楽の歴史

音楽の起源

 約100万年前に人類地球上に現れたが、音楽がいつ頃から始まったかについては、その起源はわからない。最初は犬や猫などの動物と同じようなものだったのだろう。しかし動物は、鳴き声で感情を表現できても、歌をうたう動物は人間以外ありえない。チンパンジーの知能年齢は4歳と推定されているが、チンパンジーに毎日童謡を聞かせても歌えるはずがない。多分、人間の進化と共に音楽も進化したのであろうが、音楽を創造する能力は人類誕生時から潜在的にあったのだろう。

 人類最初の音楽は、言葉の強弱による感情表現、石器を作る時のリズム、遠くに合図を伝える太鼓のようなもの、さらには、葬儀、平穏、誕生、雨乞いなどの儀式や祭事から生まれたと想像される。

 

古代の音楽

 世界最古のメソポタミアの文明の遺跡からハープ・笛・太鼓などのレリーフが発見されている。またエジプトでは紀元前3000年ごろから、儀式や祭りのときに音楽が演奏されていたとされている。ピラミットの遺跡の中からハープ・あしの縦笛などの楽器が発見されており、壁画にも楽器が描かれている。もちろん楽譜は残っていないので、どんなメロディーを演奏していたかは分からない。


古代ギリシャの音楽

 西洋文明の発祥の地とされているギリシャでは、紀元前1000年ごろから、音楽は哲学・文学・体育とともに重んじられていた。音楽の理論的研究が他の学問と同じレベルで行われ、音階やリズムの種類が整えられた。また音楽はギリシャ神話と結びついており、余暇の楽しみとしてもギリシア人の生活に不可欠のものであった。

 ギリシャの演劇の合唱隊は、オペラの起原とされている。なおギリシャ神話に出てくる音楽を司る神様としては、以下のとうりである。
•アポロン:ゼウスの息子で、音楽・詩歌・予言の神
•ムーサ:ゼウスの娘でミュージックの語源となっている。
•ハルモニア:
調和と秩序の神、ハーモニー(調和)の語源となっている
•オルフェウス:アポロンの息子で、彼が奏でた琴の名前が織姫座のベガである。

 

ピタゴラス音階

 ピタゴラス(紀元前582年~500年 ギリシャ)は哲学者、数学者、宗教家として有名である。三角形の1辺の長さを c、他の2辺の長さを a, b とすると、a2 + b2 = c2が成り立つという「ピタゴラスの定理」はあまりにも有名であるが、ドレミファソラシドの音階を初めて分析発見したのもピタゴラスである。ピタゴラスは音楽を宇宙の調和と考え、音階の謎を研究ししたのである。この「ピタゴラス音階」をは最も古い音階とされている。

 ピタゴラスが鍛冶屋の近くを歩いていると、鉄を打つ音が、いくつかの音が重なると心地よく響き、それとは逆の場合があることに気づいたのである。 心地よく響く金槌を調べると重さが3:2だった。 ここで重量が3:2のときに音は完全5度(Perfect 5th)の関係にあり良い響く(協和)ことを発見したのである。これを「ピタゴラスの黄金分割」と言う。この他にも重量が2倍の比率の音が同時に鳴った時は1音(オクターブ)に聞こえ、4:3のときも(ドとファの4度)和音になることに気づいた。

 ピタゴラスは「ピタゴラスの黄金分割」を用いって、 ドを基準に、ドから五度上のソ、ソから五度上のレを決め、同様にレからラ、ラからミと繰り返すと12回でドに戻ってくることをも発見している。このようにつくられた音階がピタゴラス音律である。

 この「ピタゴラス音階」は笛でも原理は同じである。1mの空洞の管を吹いた場合ドであれば、これを3分の2にカットするとソになり、ソの管を3分の2にカットするとレなる。逆にレの管の長さを2倍にすれば、低いレができる。同様にレからラ、ラからミが作れる。これを繰り返して、ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ、シ、ド、の音階の笛ができあがることになります。

 弦の場合も同様で、弦の長さの比が2対1、3対2のとき2つの音が最も美しいことになる。まさに音程は数学だったのである。音程を数学的に解明した「ピタゴラス音階」は「ピタゴラス定義」と同様にピタゴラスの天才ぶりがわかる。

 

観音様と弁財天

 日本では観音様を音楽の神と誤解している者がいるようだが、観音様の「観は人々の声を観察する」ことで、音は「人々の生きる苦しむ声を聴く」ことを意味している。つまり観音様は、人々の苦しみを聞いてくれる神様になります。
 日本の音楽の神様は、七福神(エビス・大黒天・弁財天・毘沙門天・布袋・福禄寿・寿老人)の中の弁財天である。弁財天は美の女神、音楽、芸能の女神とされている。弁財天の
語源はインドの『川の神』で、川のせせらぎの音から音楽の神ともなった。日本での弁財天は、奈良時代は美しい仏とされていたが、平安時代には貴族たちが弁財天に笛や琵琶の上達を願うようになり、美の神、音楽の神、芸能音楽上達の神としての弁財天信仰が広まったとされている。