オイストラフ

ダヴィート・フョードロヴィチ・オイストラフ
Давид Фёдорович Ойстрах, David Fiodorovich Oistrakh、(1908年9月30日 - 1974年10月24日)はソ連(現在はウクライナ)出身のユダヤ系ヴァイオリニスト。息子イーゴリ・オイストラフもヴァイオリニストである。
 オイストラフは学生時代はヴィオラを演奏しており、生まれついてのヴァイオリニストではなかった。1935年のヴィエニアフスキ国際ヴァイオリン・コンクールでは、15歳のジネット・ヌヴーに敗れて、第2位に甘んじている。名ヴァイオリニストとの評価が広められたきっかけは、1937年、ブリュッセルのウジェーヌ・イザイ・コンクール(現:エリザベート王妃国際音楽コンクール)で首位をかち取り、世界の檜舞台にその名を轟かせたからだった。その後はモスクワ音楽院で教鞭を執るかたわら演奏活動を続けたが、ソ連が第二次世界大戦に参戦すると、最前線に出て慰問演奏を行なった。教師としても声望に恵まれ、ギドン・クレーメル等が門人にいる。息子のイーゴリ(1931年4月27日 - )も指揮者、ヴァイオリニストとして著名で、しばしば親子で共演し、録音を残した。
1974年にアムステルダムで演奏旅行中に客死、遺体はモスクワに送られ、同地で埋葬された。