慶応大医学部・集団レイプ事件

慶応大医学部・集団レイプ事件 平成11年(1999年) 

 平成11年7月31日、慶応大医学部の男子学生5人が集団レイプ事件により警視庁四谷署に逮捕されていたことが明らかになった。この事件は、同年5月6日、医学部ヨット部の学生を中心としたグループが、新宿でほかの大学の女子大生たちと合コンを行ったことがきっかけであった。合コンが終わると、新宿区内にある男子学生のマンションに女子大生2人を連れ込み、そのうちの1人の女子大生(20)を集団でレイプしたのだった。もう1人の女性はマンションから逃げ無事であった。

 暴行を受けた女子大生は翌日、警視庁四谷署に婦女暴行の被害届を提出。四谷署は7月5日に5人を逮捕した。逮捕されたのは医学部4年生(23)、医学部2年生(19)3人、医学部1年生(18)であった。この逮捕後に5人と女子大生の間で示談が成立し、女子大生が告訴を取り下げたため23歳の男子学生は不起訴処分で釈放され、残りの4人は未成年のため身柄を家庭裁判所に送られた。

 慶応大医学部は臨時教授会を開き、事件にかかわった5人全員を退学処分にすることにした。猿田享男医学部長は退学の理由として、「将来、患者を助ける立場にありながら不当な行為に及び、慶応大医学部という立場を無視し、非人間的、非倫理的なことを行った」と述べた。5人を人間性において、医師になる人間として不適格としたのだった。慶応大では、前年11月にセクシュアル・ハラスメント(性的嫌がらせ)防止を目的に「ハラスメント防止委員会」を発足させ、翌4月にはパンフレットを配布して学生を指導していた。

 この集団レイプ事件は、学生たちの蛮行もさることながら、子供にマンションを与えていた親の財力、男性のマンションに深夜ついて行った女子大生の非常識が話題になった。慶応大医学部という名門で起きた事件だけに、やっかみも加わり大きく報道された。

 集団レイプが起きたマンションは、信濃町駅から歩いて数分の場所にあった。慶応大医学部に近い新宿区の1等地で、群馬県の病院の院長であるA学生の叔父が1棟を所有しているマンションで、Aの家族は親子3代にわたる慶応出身の医師だった。

 主犯格とみられる4年生のB学生の父親は東大医学部教授で、母親も女医という家庭環境にあった。また2年生のC学生の父親は、人権派弁護士として知られていた。C学生はこの事件で退学後、千葉大医学部を受験して合格したが、過去を知った千葉大が再入学を拒否したという後日談がある。

 強姦(ごうかん)は親告罪なので、女性側の告訴がなければ起訴はできない。また起訴前に示談が成立して、告訴が取り下げられれば起訴はできない。しかし本件のような輪姦(りんかん)は親告罪ではないため、被害者の告訴がなくても起訴となった。

 今回、5人は退学という制裁以外に、刑事事件において輪姦の罪を問われることになった。慶応大医学部で起きたレイプ事件は、受験戦争で勝利した学生が、患者を診る医師としてふさわしいかどうかが問題となり、試験の成績と人間としての常識は必ずしも一致しないことを示していた。

 この慶応大医学部生の集団レイプ事件と前後するが、平成11年5月、三重大医学部でも学生によるセクハラ事件が起きている。三重大医学部の学生たちが津市内のカラオケボックスなどで数回にわたり「王様ゲーム」を行い、負けた女子大生たちの服を脱がせるセクハラ行為を繰り返していたことが発覚したのである。王様ゲームとは「割りばしに番号を書き、当たり番号を引いた者が王様となり、ほかのメンバーに好きな命令を下す」というもので、当時の若者の間で流行していた。

 被害を受けたのは女子学生が、医学部の人権問題委員の教官に相談したことから事件が発覚。男子学生らは女子大生を呼び出し、被害を受けた女子大生は4人であった。平成11年7月22日、三重大医学部はセクハラ行為があったとして男子学生5人に退学処分、4人に無期停学、4人に厳重注意の処分を下した。

 三重大医学部の珠玖洋学部長は「医学部という高い倫理観が求められる学部で起きた事件で、また患者という弱者を守るべき医学を目指す学生として許されない行為」として、重い処分にした。この事件の処分は学内にとどまり、刑事事件には発展していない。

 三重大医学部は医学部学生を対象に、事件の経緯について3時間に及ぶ説明会を開いた。学生からは事実関係や処分の妥当性について質問が相次いだ。退学処分となった1人は「あれはゲームの延長でセクハラではない。退学処分は事実誤認に基づいたもので不当である」として津地方裁判所に提訴した。

 セクハラや痴漢行為は女性の受ける印象によって決まるという曖昧(あいまい)さがある。女性の訴えが本当であっても、相手を陥れようとする作為的なものであっても、男性側の弁解が通用しないのである。医師を志す者はそれだけ高い倫理観が求められ、この心構えの欠如が事件を引き起こしたであるが、可能性は低いものの冤罪を否定することはできない。言えることは、くれぐれも注意することである。