ハルシオン

ハルシオン 平成4年(1992年)

 平成4年、兵庫県三木市内の40カ所の病院でハルシオン(一般名 トリアゾラム)の盗難事件が発生。同様の盗難事件が、茨城県茎崎町天宝喜の茎崎病院など、全国の病院に広がっていった。さらにハルシオンが海外から不正輸入で持ち込まれるようになった。

 睡眠薬であるハルシオンは、米国の製薬会社アップジョン社が開発。「効き目がハッキリ、目覚めがスッキリ」との宣伝で多くの国々で発売され、世界で最も使用頻度の高い睡眠薬とされていた。

 日本でも、昭和57年に中央薬事審議会で製造が承認され、翌58年に発売となると、睡眠薬の37%のシェアを占めるほどになった。それまでの睡眠薬は、半減期が長いため翌朝の目覚めが悪いという欠点があった。しかしハルシオンは超短期型の睡眠導入剤で、内服後15分で入睡効果が現れ、半減期が約3時間と短いため、朝の目覚めがさわやかだった。そのため精神科以外の内科や外科などでも、ネコも杓子(しゃくし)もハルシオンが処方された。

 画期的で安全性が高いとされていたハルシオンだったが、発売からしばらくすると、副作用として前行性健忘が問題になってきた。前行性健忘とは、交通事故などで意識を失った後に意識が戻っても、事故直前の記憶を失ってしまう逆行性健忘とは逆の症状である。つまり、ハルシオンを内服した後、意識が清明であっても、その時の記憶を失ってしまうのである。

 ハルシオンを飲んで眠ると、翌朝、普段通りに目覚め、普段通りの行動をしているのに、夕方になると日中の行動を覚えてないのである。周囲から見れば普段通りに見えていても、本人は目覚めた後の行動を記憶していないという不気味な健忘であった。

 この前行性健忘が問題になったのは、ハルシオンを飲んで殺人事件などの凶悪犯罪が起きたからである。ハルシオンを飲んだ者が殺人事件を起こしても、加害者は殺人行為を覚えていない。犯行時の記憶消失は、犯行の立証を困難にし、加害者に責任を問えない事態となった。

 他殺であるのに、事故とも解釈できる奇妙な状況となった。平成4年、ハルシオンを飲んでの殺人事件が神戸で起き、同年にはハルシオンを飲んでの強盗事件も起きた。いずれの犯人も、犯行時の行動を覚えていないが、目撃者の証言では意志的な残虐な行為であったと証言している。このような事件について、警察は「嫌疑不十分」の意見書を添付して地検に送検することになった。

 ハルシオンの服用は、記憶を消失させ、人間の隠された残忍な攻撃性を引き出し、このような恐怖心が、睡眠薬などに関心がない者にまで不安を生じさせた。一方では、平成元年ころから若者の間で「トリップ遊び」と名付けられたハルシオンの乱用が流行した。「トリップ遊び」とは、ハルシオンを酒と一緒に飲んで、もうろう状態のまま繁華街をふらつくことである。

 ハルシオンは、医師の処方箋が必要であるが、このトリップ遊びのために通常20円のハルシオンが100倍の値段で売買され暴力団の資金源となった。さらに、平成4年にハルシオンを求めての病院での盗難事件が頻発した。

 昭和58年のハルシオンの発売から数年の後に、ハルシオンを使用した新種の昏睡強盗が生まれた。昏睡強盗とは、女性が売春をにおわせ男性をホテルに誘い、ハルシオン入りのビールを飲ませ、男性が眠っているすきに現金や所持品を奪う犯罪だった。

 昏睡強盗は、昭和61年頃から東京や大阪などを中心にタイの女性が行っていたが、その安易性と成功率の高さから次第に日本各地に広がった。繁華街のピンクサロンなどでは、ハルシオンを混入させた酒を客に飲ませ、寝ている間に現金を奪う犯罪が頻発した。ハルシオンを飲ませ前後不覚にして、路上に置き去りにするのだった。さらにレイプ目的で女性にハルシオンを飲ませる事件もおきた。

 平成6年、福岡市中洲のピンクサロンで福岡高検の検事が被害に遭う事件が起きている。検事はピンクサロンでハルシオン入りの焼酎を飲まされ現金80万円を盗まれた。この事件では、検事でもピンクサロンに入るという意外な人間性を垣間見たのと同時に、正義感から捜査に当たった検事の職業意識に妙に感心した。

 平成3年10月、英国BBCは「ハルシオンの悪夢」という番組を放映。ハルシオンの記憶障害について、さらに製造したアップジョン社が承認申請に提出したデータが捏造であったと報じた。この放送以後、ハルシオンは英国や北欧で一時販売停止となった。

 米国のユタ州で、ハルシオンを服用した57歳の娘が83歳の母親を射殺する事件が起き、精神鑑定の結果、「ハルシオンの精神障害による殺人事件」とされた。この娘は、アップジョン社を相手取り2100万ドルの賠償を求める民事訴訟を起こし、会社から和解金を引き出している(「ニューズウィーク誌」1991年8月19日)。

 また離婚した夫が300キロ離れた元妻を射殺した事件が起きたが、殺害時の記憶がない元夫は裁判で無罪になった。このような事件が続いたことから、市民団体「パブリック・シチズン」がFDA(米食品医薬品局)にハルシオンの販売禁止を求めた。

 平成4年1月8日、厚生省は中央薬事審議会副作用調査会にハルシオンの安全性と有効性の検討を依頼。同月31日、アップジョン社に投与用量や期間を限定するよう求めた。そのため、投与量は0.125 mgから最大0.5 mgまでと限定され、厚生省はハルシオンの使用上の注意を医療機関に通知した。

 さらにハルシオンを飲んで当直していた医者が、翌朝になり患者を診察したのに覚えていない事例が学会で報告された。当直などの激務から、ハルシオンを常用している医師が意外に多くいて、医師たちはハルシオンの前行性健忘を自ら体験していた。服用後の不安感、混迷などの副作用も医師自らが体験していた。そのためハルシオンの副作用が問題視されると、ひそかに内服していた医師たちは、「絶対に処方しない」と決めるようになった。

 ハルシオンが犯罪に結び付くこと、外国からの違法輸入が話題になり、ハルシオンの使用量は激減し、そのため副作用の報告も少なくなった。また麻薬に準じる向精神薬に指定され、「盗難の報告が義務化され、処方を受けた者は第三者に譲り渡してはならない」と規定され、違反すれば3年以下の懲役刑となった。

 このようにハルシオンは、社会に大きな問題を引き起こしたが、今日でも処方され、後発医薬品メーカー9社からも同剤が発売されている。結局は、ハルシオンの処方量が多すぎたこと、安全性の宣伝が逆効果となり、ハルシオンのせん妄が犯罪を増強させ、悪いイメージとなったのでは回想している。